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Aokidのコラム「Drawing & Walking」第4回

急な坂スタジオで新しい連載をはじめます。
ダンスだけではなく、絵や美術など様々なアプローチで踊り続けてきたAokidさんは、どんな言葉を紡いでくださるのでしょうか。
このコラムでは、ふと思い浮かんだことや、稽古場や様々な場所ですれ違った人・ことについて綴っていただきます。
Aokidさんの独特なリズムで綴られる文章をぜひお楽しみください!

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Aokidのコラム「Drawing & Walking」第4回

夏の踊りは、驚くくらいに見上げた太陽があつく、思わず足下の影を見つめる。


夏が終わりそう。ついぞ目黒川沿いの、あの夜のライトに照らされる美しいプールに入ることがなく終わる。7月に始まったと強く感じる長い夏だった。8月いっぱいはどこか夏だと思う節があっても夕方を過ぎると秋のような気温に落ち着いている後半があり、もちろん季節が数字に合わせて動いているわけでないということが目に見えて、肌で実感出来るような”ズレ”を経験出来たとも言える感じだった。

盆踊り。
今年の夏は”盆踊り”に初めて参加した。
これはWWFes(ウェン・ウェア・フェス)の次回に向けてのリサーチでもあったのだけど、踊ってみると思いの外おもしろい。港区にはコソ練部という、区民会館などを借りてただひたすらに3時間踊り続け、本番の盆踊りに備えるサークル活動がある。これは放課後ダイバーシティ・ダンス(ADD)にも参加していた福留麻里さんが教えてくれた集まり。
麻布区民ホールであった、この練習会に一度参加し、そのあといくつかの盆踊り大会が中止になったが、その後、西久保八幡神社の盆踊り大会には参加できた。
練習会を経ての盆踊り大会。この流れがとても濃く、地域によっても違いがあると思うが港区は取り組みへの熱が強いように感じた。盆踊り大会は参加者のほとんどが休憩時以外はほぼ怠けず積極的に踊りにいくといった感じ。これは練習会でもそうだった。踊りの全体のクオリティーが高く、崩れない。
これまで自分はアーティスト活動を通して主語的なダンスを中心にやってきたところに、このコロナ禍で盆踊りに興じるとは、なんとも妙な感じがする。
盆踊りは円になってぐるぐる踊り続け、誰でも入ったり抜けたりしながら延々と続く。確かに誰かの踊りを見ながら自分も踊るのだけど、このたくさんの人が踊っている状態というのが面白くて、誰が踊っているかも全ては把握できないので、たとえばお化けが入ってきたって気付かないだろう。
踊り自体の振付には地域性とかもあるのだろうが、”風”を扱ったような振付が多いように思う。風を体の方に呼び込んだり、払ったり、ふわっとさせたり。その振付が着物や浴衣に由来するのか。


西久保八幡神社で盆踊り大会

クリエーションに関しての話。
STスポットでやる10月のイベントに向けての準備から、音楽家の西井夕紀子さんと帰っていた時のこと。演劇や舞台における音楽の役割について話していく中で、劇伴などをよくする西井さんは音楽をつけることが台本やテキストの良さを損なったり、意図していたことから遠く離れていくということが往々にしてあるというようなことを言っていた。音楽はつまり音楽なので、そこで音楽の形式自体が持っている思考の形みたいな問題がどうしても出てきてしまう。それは言うなれば物語の意味性とは別のところで発生しているとも言える。
それは音楽だけでなく、作品自体を観察しているからこそ損なわれる表象についての西井さんの考察だったと思う。

本の話。
最近はChim↑Pomの卯城竜太さんによる著書『活動芸術論』を読み始めた。アーティストの書く本が学生の頃から好きで、それで大学の図書館も好きになったり、本が先行して好きになったアーティストも多くいる。アンディ・ウォーホルは『POPism』から、田中功起は『質問する』から、とか。
Chim↑Pom from Smappa Groupとは2018年の『にんげんレストラン』に参加して以来、ちょくちょくと企画などで声をかけてもらっているアーティストグループだ。本を読むことでより面白く見えてくるのは、彼らの作品の多くがプロジェクトベースであるということ。様々な人がその都度違った形の企画に巻き込まれ、協力してもらったり、反対されたり、アートという社会の中で抽象的なやりとりを通してどのように人がそこで協働する形をとれるかなどを見ていくことが出来る。歌舞伎町の展覧会に参加した際に彼らの運営を間近で見ていると、これはある種、演劇やダンスのカンパニーとだって比べてもとても面白いと思ったのだった。他のアーティストや他のジャンルのアーティストがいかにして動ける場所を作れるか、という土台作りをも彼らは行っていたのだった。そういうあり方にとても惹かれる。僕は活動を通して、自身の技術や人の技術を発見し会得していきたい反面、人々が表現し合えることをどのように作れるか、にも興味がある。
たとえば彼らのように舞台だけで制作が終わらない場合、カンパニーメンバーやグループは意外な能力を発揮せざるをえず、動き始める部分というのが期待出来るのでは、など思ったり。

最近読み始めたもう一冊は松木裕美さんによる『イサム・ノグチの空間芸術』で、副題には”危機の時代のデザイン”と書いてある。
イサム・ノグチへの興味は岡崎乾二郎さんの著書の中で、平和記念公園の話にイサム・ノグチが出てきたことから改めて彼の彫刻のディティールに興味を持ち始めた。昨年、『RE/PLAY DanceEdit:札幌』で札幌に行った際にモエレ沼公園にも立ち寄ることが出来、彼の彫刻、家具、公園といった広いデザイン観への興味が広がっていった。
この本が面白いのはアメリカでの彼のパブリック彫刻などをどのように政治や運営的な面から取り組んでいったかについて書かれているということで、現在読んでいるところ。
そうだ、自分も今はゲリラでやったり何か案件をもらってやっているが、自身の作品を守られた空間で作る一方、形を崩しながらでも別の人たちと協働していくことで社会の役に立ちたいというのがある。役に立ちたいというか、もっと参加したい、というのがある。
それを現在、疑っていないとしたら、高校の時の毎日の学校での生活とかがあったからなんじゃないかと思う。

旅行の話。


鴨川での”ポータブルアクション”(撮影:倉田翠)

8月は公演、ライブ、クラブイベントの他に京都観光へ。
京都に東京でやっているストリートアクションを持ち込むことを思いついた。夏休み休暇として過ごすつもりがそうはならなかった。休みだとか仕事だとか曖昧な境界のままにさせておこうと開きなおる。
京都初日にそのアクションをあてて14時から鴨川で”ポータブルアクション”、19時からは”ストリートリバー&ビール”を行うとSNSで告知。
14時からのポータブルアクションはギターの弾き語りと、ブルーシートを使った演奏を京都の街並みに対して行った。最初に始めたストレッチがそのまま対外向けのダンスの様相も帯びていったのは鴨川の立地があると思う。それから演奏をしていくと知り合いがちらほら集まってきてコンサートへと移っていった。この日はほんとに暑くてほとんど鴨川に人がいなかった。
鴨川は街の中にありながら少し街からは低地にあり、その上を陸橋が渡していてその高さに街が広がっているから橋の上からは鴨川を一望出来る、そして鴨川は公園のような使い勝手が出来る。通常であれば公園というのはビルから見下ろすような形か、街からだと並行に広がって見えるが、この鴨川に限っては平地に対して低くなるので高低差が見る見られる状態を生じ、鴨川で何かに興じる様子などを関節的なパースペクティブで橋の上から捉えられるという設計になる。
パフォーマンスの目線で考えると、この鴨川で起こる様子を橋の上からある種のフレームとして授与しやすい状態がデフォルトであり、パフォーマンスにすぐ参加するかどうかは見送れる距離感の観客として眺めるような関係をとりやすい。こういうのが街の設計としてあるのか、と改めて気づいた。
パフォーマンスの後、akakilikeの倉田さん、平澤さん、そして映像作家の西くん、建築家の木内さんが集まり、この大人たちで日陰にブルーシートを敷いてアイスキャンディーを食べお酒やジュースを飲んだ。
帰り道、ギターでセッションしている老人とそれを眺める老人がいて、通り過ぎた後に今しかないと思い、セッションに混ぜてもらった。一癖も二癖もあるような老人だった。
そこでそれなりに体を使ったセッションをしてホテルにチェックインしに行った。
すでにくたくたに疲れていて夜はキャンセルしたいくらいだった。45分ほど仮眠して、ストリートリバーをしに再び三条へ向かう。15分だけ遅れる旨をSNSで宣伝する。
川へ着くと関西に移り住んだタカカーンセイジさんとまやさんが待ってくれていて(!)頑張れる気が起きてくる、、、
鴨川で早速ストリートリバーをやり始める(つまり音楽をかけ踊り始める)。場所や人に対して少しずつ様子を見るように踊りながらだんだんと知ってる顔が集まってくる。『RE/PLAY DanceEdit』で共演した斎藤綾子ちゃんや今村達紀さん、あるいは、たかくらかずきくん、、、昼にも来てくれた倉田さんが再びチームの魚森さんを連れて。
さっきも書いたがここで踊ることはちょっと地形が東京とは違う。なんとなく集まった人は東京の例も知らない中、手がかりなく踊っていく、僕は東京の様子を参照しながら踊っていく。すると複数人でこの場で踊ることの立体感やパースペクティブの広がりがかなり感じられて面白くなってくる。途中、川床の近くに寄って休んでみる側に回ることも可能だ。そう、昼間もそうだけど夏には川床が川に対して迫り出すことでまたオーディエンスがいつの間にかこの立地には設定される。(果たして彼らがパフォーマンスを見たいかどうかはわからないが)
20時を回ったところで踊ることをやめ、コンビニへビールなどを買いに行った。すでに楽しい。
1時間ほどビールを飲み合う、話し合う。今日は滋賀からダンスの後輩や、大阪から来ている人もいるし、京都の人もいる。様々な人がクロッシングしていくような感じがある。互いの告知などをチラシを介して行う。そうそう、このストリートの取り組みは色んな人が集まれる場所を作りたいと思い始めた。人の協力もあり、このような形になって嬉しい。これから何かに少しでも飛び火して面白いことが起きるといいのだが。また京都でぜひやりたいと思う。あるいは色んな地域でやると場所のセノグラフィーが理解していけるかもしれない。

STの企画の話。

STスポットで開催したショーケース『経過いな時間たち』メインビジュアル

ところで今度、9月20日にSTスポットで小さな自主企画をたてている。この催しは僕が学生だった頃やそれ以降に東京で多くは体験されたジャンル横断的なイベントにインスピレーションを受けて開始するもの。これまでもそういった試みはしていたものの、こうしてSTスポットのような劇場の機構を持ったスペースでも続けていくことで、照明や音響といった構造も無視せずに関わっていけるような心構えをして始めようとしている。
たとえば”吾妻橋ダンスクロッシング”や”HARAJUKU PERFPORMANCE +”などを通してダンス以外のパフォーミングアーツの面白さに触れたり。”たまたま”や”二パフ”ではまだ名前もついていないような実験的なことを、玄人なのか素人なのかそんなことも傍に置いて目の前でアクションを執り行う様を見た。”MUSIC TODAY”で見た環ROY、U-zhaan、蓮沼執太、島地保武のセッションが忘れられない。KENTARO!!さんが演劇や音楽も誰よりも掘ってよく知っていて、活動の早い段階で僕にも観に行くよう勧めてくれた。
参考にしつつそれらとは違う準備、ディレクションでやっていくのだが、実はジャンル横断的なものを編集した形で見れる機会がここ最近減ってきている気がする。それは箱というもの自体が形骸化していることや、または箱だとかソフトに収まらない問題が露呈したことでそのパッケージングが通り越されてて、目を向けられる行為自体が減っているゆえに起きえないことになっているのか。
あったはずの回路を改めて思い出すと同時に再びなぞる過程で別の色が入っていき、新たにリボーンする可能性を提示したいと考えているのかも。もう一度それに取り組みまとめ・編集しようとする中で見えてくるラインがある気がしている。
今回の出演者は、よだまりえ、asamicro、M集会、岩渕貞太の4組。
よだ、asamicro、M集会に共通しているのは、それぞれに形は違えど自身の取り組んでいる分野との距離感が常に絶妙に揺れていることで、他者との協働や別の場所での展開可能性やあるいはその分野に取り組みながらも別の回路や複数の要素を紹介するような側面を自然と内包している作家たちなんじゃないかと考えている。よだやasamicroは生活の中にも自身のアーティストとしての生き方が反映されているように感じられ、それをまた発表の際に持ち出したり。
M集会は金沢で組まれたバンドであるが美術から出発し、場の運営なども行っている他、彼らの活動に関わることを通して別の身体性を獲得していけるような促しをこっそり含んでいるような気がする。
ゲストダンサーとして岩渕貞太さんに参加をお願いしたのは、ジャンルを横断することと世代を横断することが、今後の活動として越えていきたいコンセプトの一つであったからだ。
ダンスはトップダウン的に作品を制作することが多く、キャリアを形成しつつある振付家は基本的には指示を出す側に回ることが多いが、これからは”現役の体”という美学以外が見直されていくような状況がより起こっていくのではないかと考えていて、様々な世代が一緒に踊っていくことが必要な気がしている。またそれこそがダンスに向いているフィールドでもあるんじゃないか、と。
貞太さんは自身の作品だけでなく、”ゆる研”といって半分オープンにした稽古というか身体の研究会を急な坂スタジオでも行ったり、他のダンサーへの目配せが常にある活動をされていたり、あるいは積極的に様々なアーティストとのコラボレーションも重ねている。
逆に作品以外でのダンサーとのセッションだと、この特異的な身体や動きがどう立ち上がるのか興味があり、ぜひと声をかけさせてもらった。

やってみてみないとわからないが引き続きこういった企画を数年は続けたいと思っている。代々木公園で展開している”どうぶつえん”シリーズはちょうど横浜ダンスコレクションに出た2016年に始めた。その時に橋本匠くんと打ち上げのジョナサンで場所を作っていくということもやっていかないと、という話をしていた。色んなものを見に行って”コミュニティ”という視点でも業界を考えていく必要があると、ここ数年感じている。言うなればこの芸術分野が持つ能力みたいなことを社会に多く広げていく使命ぐらいはあってもいいんじゃないか。
室内などのスペースでやることと、どうぶつえんやストリートの活動で培った外でやること、さらに別のインスピレーションも取り入れた新しい統合型の方法などを打ち出しつつ、そこに人が乗っかって行けたら、新しい可能性が見えてくるかも。

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Aokidプロフィール


撮影:石原新一郎

東京生まれ。ブレイクダンスをルーツに持ち東京造形大学映画専攻入学後、舞台芸術やヴィジュアルアートそれぞれの領域での活動を展開。ダンス、ドローイング、映像、パフォーマンス、イベントといった様々な方法を用いて都市におけるプラットフォーム構築やアクションとしての作品やアクティビズムを実践する。近年の作品に『地球自由!』(2019/STスポット)、『どうぶつえんシリーズ』(2016~/代々木公園など)、『ストリートリバー&ビール』(2019~/渋谷)など。たくみちゃん、篠田千明、Chim↑Pom、額田大志、小暮香帆といった様々な作家との共作やWWFES(2017~)のメンバーとしての活動も。