2016年2月11日、12日の再演に向けて…
毎年2月に横浜で開催されているTPAM/国際舞台芸術ミーティングin横浜。
この度、急な坂スタジオ・ディレクター 加藤弓奈が、TPAMディレクションのディレクターの一人を務めました。
TPAMサイト(詳細はTPAM2016のサイトにてご確認ください。)
加藤弓奈ディレクションとして2015年5月にSTスポットで上演されたドキュントメント「となり街の知らない踊り子」を紹介させていただくにあたり、特設ページを公開!
初演終了後に行われた山本・北尾によるアフターインタビューを公開いたします。ドキュントメントのことやダンサーの話などなど、全3回に渡ってお届けします。初演をご覧になった方にも、「見てない!」という方にもお楽しみ頂ける内容となっております。ぜひ、お読みください。
最終回となる第三部では、今回のTPAMの上演の様子をご紹介しております。
撮影は、「つくりてのしてん」でおなじみの、鈴木竜一朗さんです!
ドキュントメント アフターインタビュー
話し手:山本卓卓、北尾亘
聞き手:佐藤亮太(STスポット館長)
2015年5月20日@STスポット
-5月の公演はお疲れ様でした。実際に動き始めてから約半年での公演となりました。今日はその流れを話せればと思います。
山本:2012年5月の桜美林のWS(※1)を佐藤さんが見に来たことがきっかけですね。
-そうですね。そのWSはスタッフ向けのWSでしたが、ただの技術講習ではなくスタッフがクリエーションにどのように関わっていくかということを、ショーイングとアフタートークで見せていたものでした。これを同世代の作家が行っているというのが驚きで、一緒になにかやりたいなと思いました。その一方で、主宰されている範宙遊泳という劇団もあるので、劇場としてどういった関わり方がお互いにとってよいのだろうかというのは思案しました。それで、ドキュントメントという個人のプロジェクトをやっていることを知り、それならばこちらにも出来ることがあるだろうと声をかけました。
山本:自分はソロのプロジェクトはずっとやってみたかったと思っていました。団体だと、メンバーの力が増すに連れて、自分の手から離れていく感覚があって、それは自分にとって行き詰まりをうんでしまうような気がしていて。
それでソロが出来れば風通しがよくなったりメンバーにとっても刺激になったりするのかなと。
そのあたりからWSの仕事も増え始めました。
-そういった流れの中で、2013年9月にSTスポットでもワークショップ(※2)をしました。劇場としては、いきなり公演をする前に、お互いのやり方を知るという上でも、前段階を踏みたかったというのがあります。
山本:あれはやってよかったなと思うし、今でもみんなの顔を覚えています。ただ、人数はちょっと多すぎましたね(笑)
-応募数も多くて人数は日程の中では絞りに絞っても限界までやりましたものね。
山本:ドキュントメントのコンセプトは1人の人に焦点を当てるのを徹底していて、プロフィールや生い立ちを反映させていました。今回は(北尾)亘の生い立ちは反映されていないけれど、コンセプトはずれていません。
とにかく俳優と演出家が1対1で向きあうということをやりたかったんです。
-そうですね。このプロジェクトは誰とやるかがとても重要ですよね。最初は横浜の演劇に触れてない人とやりたいっていう案も出たのですが、これはそういった層に届かせるのが難しいという問題がありましたね。
山本:市井の人の声を聞きたいと思っていたのだけど、「演劇未経験者」の人を募集しても、そもそもその層には情報媒体が届きにくい。
-スカウトをするかという案も出されましたよね。
山本:そう。でもそれもなぁと思って。「演劇をやりたくて演劇未経験者」か「演劇をやりたくて演劇経験者」という2択になりました。街中で声をかけても、その人はたぶん演劇をやりたくないですよね。
-ここ最近は、ジャンルの垣根を超えるということがとても多く見られるようになっていると思うのですが、ただ闇雲に混ぜるだけではお互いを磨耗させることにしかならないと思っています。
山本:パフォーマンスをする上でのある程度のスキルは必要ですよね。その人物の声を聞くくらいならいくらでもできるけど、実際に舞台に立つのはだれでも出来るわけではないですからね。
-そもそも、北尾さんとやりたいっていうのはいつからでしたっけ。
山本:厳密には覚えてないけど、けっこう前から考えてました。亘は演劇経験あるし、スキルがあるのも分かっていたから。彼が出演した演劇作品も観てるんだけど、まだ「眠ってるな」と感じることもあって、一度、本気で向き合いたいなと。
北尾:(2014年)6月のBaobabの公演(※3)が終わったところで「コラボやらない?」みたいな話はありましたね。
-で、他にも誰とやるかっていうのがあって、イラストを書いてもらった禺吾朗さん。
山本:SNSで知ったのですが、面白い絵を書く人がいると思って一目惚れでしたね。
-動き始めてからはどうでしたか?
北尾:かなり、自分自身のことを掘られるんだろうなとは思っていました。同時に、木ノ下歌舞伎の「黒塚」の再演など、演劇の作品に続けて出ていたのもあって、演劇のコンディションではなくて踊る方のモチベーションで臨みました。いろいろ探られた上で、半分以上は踊るだろうなという漠然とした想定でしたね。
始まってからは、(俳優を)対等に扱ってくれるんだなという印象を受けました。以前、範宙遊泳に客演したこともありましたが、そういう山本卓卓は初めてでした。本人から言われたのもありますが、「ダンスと演劇のあいのこ」という話が早めに出て、それに自分もどれくらい返せるのかっていう思いもありました。それはディスカッションの繰り返しで、自分のダンス観を振り返りながら整理されていきました。予想とは全然違う入りでした。
山本:ビビッてた?(笑)
北尾:そうだね(笑) 作品に入る前の試してみようっていう段階で、演出家の目線なんですけど、視点がすごく面白かった。それで一気に距離が縮まりました。本人が気になるところとか、身体へのアプローチとかがダンスの発想にはないけど、突拍子がないわけじゃなくて、プレイヤーとして「それいけるわ〜」みたいな感じでした。
山本:自分はダンスの現場にいたことがないから、視点は全然違いますよね。ダンスってこういうものなのではっていうのは、勘とか資料とかで考えることはあったけど、身体のことをじっくり突き詰めるためにも、この企画で一緒にやるならダンサーとだなって。
北尾:ダンスや身体に興味があるって言うのをひしひしと感じたので、やりやすかったですね。
山本:言葉だけなら詩や文学でいい、演技だけなら映画でいいと思っていて、でも演劇は目の前に人の身体がありますよね。そこで、僕は身体を抜いて骨組みだけ出して、お客さんに肉をつけてもらうことをやり始めました。つまり、字幕をプロジェクションする手法です。これは俳優の身体へのアンチではあります。俳優の身体を裏切って、観客の肉付けする身体のみを信頼したわけです。この裏切りの中で太い身体を獲得してくれないか、という期待は常に俳優に対して持っていました。で、期待しているだけじゃダメだと思ったんです。
第二部へ続く…
-実際に演じてみてどうでしたか?
北尾: 急な坂スタジオでの序盤の稽古では、近くに動物園や公演があったからそういうところに行っていた頃、きょんさん(衣裳を担当したFAIFAIの藤谷香子さん)から「これってお芝居だよね」って言われたのは大きかったかもしれない。どうやら自分はお芝居しようとしていたらしいこと、でも卓卓は違うことをしたいらしい。そういうことを実感するターニングポイントになりました。それで楽日くらいかな「演じているとはいえない感覚であり、踊っているとも言い切れない感覚」があって、それを俯瞰で見ることができたときに、これがあいのこかと。
山本:最初から言ってたことは、お芝居とかダンスとかじゃなく、そのあいのこのようなものを生み出したいと。
そのためには、2人の関係やプロセスから見直す必要あると思って、お互いのいつも通りの作り方を避けました。亘にとって音楽ってなんだとか、言葉ってなんだとか、空間ってなんだとかひたすた聞いて、僕との価値観の違いを確かめ合いました。これは刺激的でした。そのディスカッションの延長で、言葉を音楽として踊れるかという提案で、稽古場では4つ打ちとかかけて踊ってもらうところから始めた果てに詩の朗読で踊ってもらうこととかをやりました。
-歌もので踊るのとも全く違う発想ですよね。
北尾:そうですね。言葉とダンスって言ったときに、テーマや物語とか言葉を使って作ることもよくあるんだけど、その言葉に支配されて、それを体現するだけの身体になってしまう、それに満足してしまうようだとがっかりしてしまう。音との関係のほうが自由に感じるから、そういう点での抵抗はあったかな。
山本:言葉は強いからね。何でもないものでも何もなくても布って言えば布になるし。意味に引っ張られてしまう。
北尾:最後の詩の朗読での稽古のときに、テキストを持ってしゃべりながらようやく「あっ」ってなったね。
山本:言葉に安住させないことが必要ですね。演劇で言葉を大切にし過ぎると共時性とか偶然性が貧しくなってしまう。だから、言葉の権力を押しつぶす必要があって、目の前の俳優の肉体が言葉に勝っていくこと。俳優はそれを自覚していても、稽古を重ねるうちに言葉が勝ってしまって、その傘の下にいる状態になこともある。そうした時、演出家は気づく必要があります。でもそもそも、そうしたことに興味がなければ仕方ないのですが。
-北尾さんは作品を作る上で、ダンサーに求めるもの、これから求めていきたいものはありますか?
北尾:今、振付を減らしていて、いかにダンサーそれぞれが自分の身体や舞台に立つ上での思考を知って、その選択を増やしていけるかを考えています。即興を繰り返す中でモチーフや音の力で組み立てたものに、負荷という形で僕の振付を伝えるようにしています。それによって、自分の選択したことと押し付けられたことの境目ができるので、それを織り交ぜるのはダンサーの作業だって言っています。それは、ダンサーがクリエーションの場で持ち帰るものを増やしたいからですね。それでもう一度稽古場や舞台に上がるための材料を揃えていくほうがいいよねって。ダンスを作る上での衝動と生活の中での衝動とか、そういうことを意識して欲しいと思っています。
言葉が権力を持たないようにって卓卓は言ってたけど、でも言葉があってこそ自分の体が追いついてっていう状態もあるし、そういう発見がたくさんあった。だからダンサーにもいろんな状態を体験して欲しいと思う。で、出来れば苛まれて欲しい。何がいいんだろうかって悩むような。
-お稽古事だと悩みにくいし、自分のことに酔っちゃうと難しいですよね。
北尾:今までは自分の世界を見せていこうとしてたんだけど、今はダンサーを信じようと思っていて、子どもみたいに「みんな最強になろうよ」って言っています。
-難しい部分やコントロールしない部分を「任せるよ」みたいなことは、そういう信じることができないと言いにくいのではないかなと思います。
山本:全て自分でやろうとするのは無理ですからね。信頼できる相手でさえあれば委ねる。僕も全てを自分がやって完璧にすればいいのではと思っていた時期があったけれど、それは間違ってたなって。
-そういうのがこのタイミングで演劇とダンスで出来たのは嬉しいですね。さて、けっこういい時間になってきましたが、もう少しいきますか?
山本:まだ作品の内容に入ってないのでもうちょいいきましょう(笑)!
第三部へ続く…
第三部「過ぎ去る」
-前回までのドキュントメントは個人史だったので、今回は稽古場に何度か行っていると「あれ?違うことをやってるぞ」という認識がまずありました。
山本:ぶっちゃけ、僕は亘の個人史にあまり興味がない。
一同:笑
山本:彼のダンスや身体、身体についての考えについて知りたかったんです。プライベートなことばかり話すより、そっちの方が健全かなと思いました。プライベートなことは飲み会とか で話せばいいですしね、「モテたい」とか、そういうことは(笑)。
北尾:(個人史を)掘られるつもりでしたが、掘られても面白いことないんだよなぁとは思っていました。ただ、もしかしてここで「実はね……」みたいな話が聞けるかなと思いましたが、本当にないんだね。
山本:実はね……っていうのは?
北尾:この作品にはヤバい人がいっぱい出てくるんだけど、なんかそういう人たちのことが分 かってしまうような感覚。すごく遠いフィクションみたいな感覚ではなかった。だから実はこのエピソードは実話でした、みたいな。
山本:実話ではないかな。それは、観てる人にも「私にもある」っていう感覚を持って欲しいと思って書いたからかな。人と人とがすれ違うことはみんな経験している。それは単に道ですれ違ったり、性格的にすれ違ったりとか、いろいろな意味でのすれ違い。でもそれをいちいちナーバスに、その全ての人に感情を動かされていたら生きていけないですよね。舌打ちするオッサンとかにいちいち感情を動かされていたら狂っちゃいますよ。で、逆に自分も加害者になる危険も孕んでいる。そこはみんな共通してわかっている感覚だと思いますけど、そこを知らんぷりせずに見たくなってしまう。自分も見落としているところでもありますから、引き伸ばして見てみたくなる。過ぎ去る人や時間をいろんな視点から語りたかったんです。大学時代はともだちがいっぱいいたけど……いっぱいじゃないや(笑)。そういう人たちと時がたって疎遠になってしまうのは仕方のないことですよね。みんなそんなもんだよね?
北尾:どうかな?どうかな?
山本:えっ、えっ?
-わかります。
山本:僕も誰かにとって過ぎ去る人でもあるし。だから尚の事、ダンスっていう瞬間を刻もうとしていくことと何かをすることに興味があるんです。
北尾:この(観客との)距離だったからだろうけど、90分の中で一人の身体に蓄積していく様子を見ようと思えば見られるっていうのも面白いよね。
-街を舞台にして登場人物をたくさん出していくっていうのは初期段階から構想にありました?
山本:僕はお話がサクサク進む方が好きなんですよ。だからこうなるだろうなとは思っていました。
-稽古から本番にかけていなくなってしまった人物もいましたけど、彼らはどんな人たちでしたか?
北尾:子どもを突き飛ばした母親とか。テキストに入る前段階でたくさんいて、吸収されていった感じかな。だから要素が細胞みたいな感じで生きてますよね。
山本:それは創っていく上でありますよね。で、身体の重要性を改めて感じました。僕は物語を志向しているけど、さっき言ったことの繰り返しになりますけど、演劇である条件はやっぱり身体だと思うんです。
-そういった身体についてどう考えているかというのは、作品の内容に直結しますよね。
山本:今回はテキストから生まれた動きか、動きから生まれたテキストかっていうのはわからないと思うんだけど、どうなのかな。
-初見だとやはり劇作家がいて台本があるからテキスト先行だと思って劇場に来ると思う方が多いと思うのですが、開演後にそれは揺らいだのではないかと思います。(北尾の動きが)出来事を説明するようなマイムでもないので、演劇にかなり近いですが、一人芝居って言っていいのか迷うみたいな。
北尾:自分で紹介するときは「一人芝居」って言ってましたね。見ていただいた方から「振付ってどうしたの?」って聞かれましたが、振付してるっていう感じもないし。そういうセクションのような括り方じゃないよね。
山本:公演が終わった後「どうしてこの作品が出来たのかわからない」っていうのがいいんじゃないかなって思うこともあります。稽古で役者が来られなくなって、その日にやろうとしてたシーンではなくて別なシーンを重点的にやったら、そこがよくなってしまったとか。偶然の積み重ねで作品は大きく変わるし、そういう必然と偶然ががっしり手を組むというか。僕の理論やビジョンの中で完結してしまうものだと、僕のキャパを超えていかないんです。そういう意味でこの作品は僕のキャパを超えているし、それでも僕の作品ですと言えます。もちろん理論やビジョンは大事です。でもすべてを確証の下にやろうとしていくことってなんかつまらない。
-作品について全て説明しろというような責任とは違いますよね。
山本:つくった僕にだって分からないよっていう部分を少なからず残しておくことは重要なことだとは思っています。
-ダンスだとそことどう結びつけていくのでしょうか。
北尾:プランにとらわれ過ぎるとダンスとして面白くなくなるし、プランゼロでも踊れてしまう怖さもあります。説明したら詰まらなくなってしまうこともありますよね。
-公演が終わってみての手ごたえはどうですか?
山本:無関心とか、無関係についての話だったわけですから、そう考えるとこの作品に出会っていない人は何億といるわけですよね。再演したいな。 (この時点で2月の再演は決まっていない)
−北尾さんは?
北尾:ものすごく負荷がかかり、ものすごく見つめてくれて。この世代のダンスの中ではいい経験をしすぎちゃったから、これをプレイヤーにも求めていきたい。それで、ダンサーが豊かなことをもっと投げかけていきたい。
山本:僕は今回、ダンスがとても好きになりました。これは僕がソロで踊るしかないか……
北尾:やりなよ!
山本:お、おう・・・
-今回観に来ていた若い作家の中には「おれたちもいいの作るぞ」って燃えている人もいました。
山本:稽古を長時間ここ(STスポット)で出来たことは本当によかったです。STスポットもそういう面白いことが出来る場所だって気付いてくれるといいですね。
-本当にありがたい言葉です。年度を跨いで企画を進めていったので色々と大変なこともあったかと思いますが、こちらもここで上演してもらうことが出来て本当によかったです。
山本:劇場との関わりを深めていくことで作品の表情って絶対変わりますよね。
-ここに限らず、そういうふうに働きかけてくれる人はいつでも待っていると思います。STスポットもそういうことをもっと話してもらえるような場所になりたいですね。
山本:場所って大切だと思う。土が違えば収穫される作物も違ってくるわけですから。
北尾:場所は考えちゃうよね。ここは身体に抑制がきいていたから90分出来たというのもあっ たけど、楽日には抑制をすり抜けるような「演じているとは言えない感覚であり、踊っているとも言い切れない感覚」があったから、スケールが大きいところだと可能性も広がるかも知れない
-では、その可能性を探るためにもまた次の展開を考えていきたいですね。本日は長時間お話いただきましてありがとうございました。
STスポットよりも大きなYCCで、本作の新たな可能性を感じさせる上演となりました。今後も様々な場所での再演を目指して行きたいと考えています。山本、北尾、それぞれの今後の活躍にもご期待いただければ幸いです。(2016年3月急な坂スタジオ ディレクター 加藤弓奈)