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「余計なお世話です」番外編〜綾門と加藤の往復書簡〜

 2018年秋から急な坂スタジオのHPにて、綾門優季さんによる連載「余計なお世話です」を掲載してきました。公演ごとの舞台批評だけではなく、舞台芸術全体の課題などを交えながら、たくさんの方からのご協力の元、連載を続けてまいりました。
 この数ヶ月、社会全体にとっても、舞台業界にとっても、厳しい状況が続いています。この状況の中で、今語られるべきことをどのような形で掲載するのが良いか話し合い、綾門さんと加藤(急な坂スタジオディレクター)の手紙でのやりとりを掲載することにしました。

 二人のお手紙を、こっそり一緒にのぞいてみましょう。

「余計なお世話です」番外編〜綾門と加藤の往復書簡〜

★往復書簡 1通目(綾門→加藤)

 お久しぶりです、綾門です。ついこないだのつもりでしたが、最後に急な坂スタジオに伺ったのは2月中旬だったので、あれから1か月以上が過ぎたことになります。みなさま、お元気でしょうか。

 私事で恐縮ですが、そして突然ですが、神奈川に引っ越しました。正確には東京の家を引き払わず、着の身着のままで飛び出してきただけなので、引っ越しと呼ぶかどうかも怪しいものですが。今は劇作家数人で、シェアハウスを急に始めたような状態です(食糧よりも長期間の孤立が危ないと思っていたので、それは何とか避けられました)。東京を脱出するかどうかは議論の分かれるところですが、感染者ゼロ(※1)の富山にある実家に帰るのと比べて、東京ほどではないとはいえ感染者が日に日に増加傾向にある神奈川に移動するのは、ぎりぎりありだ、と僕は判断しました。数人との暮らしの中では、相互の自然な会話でアイデアも生まれやすく、今後も柔軟に作品を発表していけそうです。

「東京都ロックダウンかけられたらしばらく急な坂スタジオ行けないかも!」とメールでわんわん騒ぎましたが、失礼しました。神奈川にいるので、もうしばらくは行けると思います。ただ、神奈川県知事の記者会見をみてしまうと、東京といっしょにロックダウンする気なんじゃないか、いっしょじゃなくても割とすぐに神奈川も続けてロックダウンする気なんじゃないか、とヒヤヒヤしています。ところでコロナファイターズってなんなんですかね。未曾有の危機が迫っているというのに、あの変なステッカー。頓珍漢な記者会見が今月あまりにも多く、いちいちツッコむのにも疲れてきました。

 荷造りを終えて家を出るとき、この家に戻って来られるのはいつになるんだろう、とぼんやり天井をみていたら、映画の安いワンシーンみたいに涙が頬を伝って、僕もびっくりしました。なんでこうなっちゃったんだろう…。答えは、コロナウイルスのせい、と単純明快なのですが、油断すると考え込んでしまいます。まさか「オラ、東京で劇作家としてひとはたあげてくるだよ! おっとう、おっかあ、待っててけろ!」(イメージがこんな感じなだけで富山弁とは全く関係のない表現です)と覚悟を決めて上京してきて、それなりに毎年収入もあがり続けて、よし、これから…と思った矢先に、慌てて数年間ずっと住んできた家を出ることになるとは。多分、僕みたいに唐突に、これまで積み上げてきたキャリアや今年以降のプランが、事実上崩壊しつつあるひとたちは他にも山のようにいるはずで、どうやってこの衝撃を受け止めているのか、あるいは受け止めきれていないのか、様々な方に聞いてみたいものです。外に出られないとしたら、電話取材ですかね。

 ロックダウンも大変ですが、メールボックスも頭痛の種です。そちらも大変かと思いますが、むちゃくちゃなことになっていまして、何が中止になってどこが変更になって、何を今日やるべきで誰にすぐに連絡を取るのか、日を追うごとに混迷を深めています。いろんなひととやりとりしていてわかったのは、同じ舞台関係者といっても、ひとりひとりの危機感は思ったよりバラバラだということです。東京とそれ以外でもだいぶ温度差を感じます。僕はだいぶ危機感の高い部類の人間のようです。免疫の持病がある、という事実が、僕を震え上がらせています。かかったら死ぬんじゃないの、と唸っている数少ない20代です。満員電車も日に日に精神的負担になっています。なんでこんな人多いの、って当たり前のことに怒りが爆発しそうです。流行るに決まってるでしょうが、こんなぎゅうぎゅうの満員電車にいつまでも乗ってたら!


ジエン社番外公演『わたしたちはできない、をする。』(撮影:刑部準也)

 加藤さんにご相談したいのは、長期戦と言われるコロナが大変すぎる期間の、心のケアについてです。なにせ今月だけで不安が目白押しなのです。ここで思い出したいのは、The end of company ジエン社 番外公演 『わたしたちはできない、をする。』の中で試みられていたことです。
 できない園の中には何かができないひとたちばかりがいます。靴ひもを結ぶことができない。人の顔を覚えることができない。そして、何かができるようになると、できない園から去ることになります。心のリハビリの特殊施設(?)みたいな場所ですが、今でもずっと思い出すのは、怒ることのできないひとが怒ったときに、怒れるようになったことを賞賛する場面です。十数名が一斉に、その感情の発露ができるようになったことを心から祝福しているようにみえました。

 ただ、加藤さんにひとつ伺いたいのは(この往復書簡では必ず何かひとつ質問を相手にすると決めるのはいかがでしょうか)怒ることができるとして、怒るべきか、ということです。もっと言えば、怒らないようにすることが、僕にとってはどうしてもできないことです。毎日ニュースをみているだけで、怒りたくなることはじゃんじゃん情報として流れて来ますし、正直、舞台芸術の関係者は、全員が政府に対して、文化庁に対して、怒ってもいい理由を明確に持っていると思います。ある日突然、仕事も生活も奪われた/奪われつつあるのですから。しかし、この調子で怒っていると身がもちません。長期戦であることはもう薄々察している戦いの序盤で、これだけ怒りにエネルギーを割いてしまうことは非効率的なのでしょうか。なるべく怒りを抑え、前向きに新しい作品をつくることに気持ちを向けるべきなのでしょうか。いや、実際に向けてはいるのですが、ふとした瞬間に、グン、と怒りの感情に引き戻されてしまうのです。怒り、とどう付き合っていけばいいのでしょうか。

綾門優季

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※1 このメールを書いている時点では感染者ゼロでしたが、2020年4月1日現在、富山県内では2人の感染者が確認されています。
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