7月になり、「坂あがり相談室plus(2017年度版!)」対象者の犬飼勝哉さんの急な坂スタジオでの20日間が始まりました。
「公演」というゴールが設定されている稽古の場合、スケジュールや予算といった物理的な限界がある中での創作になってしまいがちです。
今回、犬飼さんと相談し、「公演」のための稽古の時間と同じ感覚で20日間を過ごすのではなく、普段、稽古場で実践してみたいけれど、出来なかったこと・してこなかったことに挑戦することにしました。
◯作品のことについて、いつもよりじっくり俳優と話したり共有する
◯なかなか話す機会のない人たちと出逢い・話してみる
◯急な坂に保管されている様々な作品の記録映像を、大きなスクリーンで鑑賞してみる等…
そんな急な坂での日々を、日誌という形で綴っていただきます!
★「坂あがり相談室 plus」2017年度版!募集
★「坂あがり相談室plus」2017年度版!対象者決定のお知らせ
新連載!犬飼勝哉の稽古場日誌
※4回分を更新しました。今回の更新で20日間の稽古場日誌の最終回になります。(8/31)
脚本に対しての上演の優位性を獲得すること。つまるところ、これができればいいわけだ。そして上演の優位を示すように記述された脚本が、前述した「設計図」のような脚本ということになりそうだ。
どういった転換をおこなわなければならないのか、夏らしく花火に例えて話をしてみる。
「打ちあがった花火―見物客」この関係は「舞台上での上演―観客」にそのまま対応しそうだ。ここで脚本にあたるのは、普通に考えると「川辺に置かれた打ち上げ台」ということになる。
「打ち上げ台―花火―見物客」が「脚本―上演―観客」と対応する(花火大会みたいなものを想定するときっと全体的なプランナーがいそうだから、そうではなく一発の花火、ということにしてもらいたい)。この例えだと、上演(=花火)の煌びやかさに対して、脚本(=打ち上げ台)が暗がりで裏方に徹しているので、かなり上演(=花火)が優位に立っているように思えるかもしれないが、これでも十分ではない。まだ脚本は上演に先立っている。脚本から上演が生まれるという、この因果関係を相手どらないと、優位性を揺るがすことはできない。
では上演の優位を示す「設計図」のような脚本とは、どういったものになるのだろうか。結論から言うと「火薬―花火―見物客」=「脚本―上演―観客」だ。
脚本は花火玉が炸裂するための、火薬のようなものだと考える。もちろん火薬が入っている、というだけでは玉のままだ。花火はどうやって打ち上げられたのかという話になる。因果関係の問題だ。「打ち上げ台→花火」という関係があったからこそそれは打ちあがったはずだ。これを「花火→花火」という対応関係に置きかえようとしているのである。
花火が夜空に打ちあがったのは、花火が夜空に打ちあがったから。しかし花火が炸裂するためには火薬がなければならない。つまりこのようなかたちとなる。
これまで「上演」という言葉で説明していたものに「稽古場でのリハーサル」をつけ加えたほうがいいかもしれない。ようするに「俳優によって立ち上げられたもの(場面)」というような認識である。
「立ち上がった場面」は、背後に脚本があったことで生まれたわけではない。ただ「立ち上がった」のだ。それはどこからも生まれていない。その場で「0」だったものが「1」となったのである。脚本というものは、その「0→1」のために必要だった、言葉というひとつのエッセンスに過ぎない。
「設計図」のような脚本というのは、このような自らの立ち位置示す脚本となるだろう。それはおそらく記述方式の点で工夫がなされているもの。意識的にそれを訴えかけるもの。断片的でも説明的でもいいが、それを用いて「立ち上がったもの」に権威を譲るような性質をもつものとなる。
これでようやく「馴染ませる」側に光が見えてきた気がしないだろうか。
・・・
「馴染ませる」というのは、演劇が根本的にもつ芸能性を信じたアプローチである。背後に絶対的な神(脚本)が存在するというよりも、もう少しそれは臨機応変なものだ。演劇は文字という結晶から生れるのではなく、空気中に、ともすればそれは自然発生的なかたちで、あらわれた(もしくは降りてきた)ものなのかもしれない。つまりその可能性を信じるということになる。
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犬飼勝哉
これは以前から少々感じていたことなのだが、今現在、演技のスタイルについておおまかに言えば二つの逆方向のベクトルが働いているような気がする。簡単に言うと、それはセリフを「馴染ませる」か、それともセリフを「立たせる」か、である。
ごく一般的な捉え方だと、演技はリアル(本当っぽい)ほうが良いものとされる。さも自然にセリフを吐くのが良い演技であり、それができる俳優が良い俳優だ、と考えられる場面はきっと多いはずだ。ざっくり言ってしまうとこれが「馴染ませる」タイプの発想となる。セリフを「馴染ませる」には、セリフを自分の感覚へと変換する、あるいは役中の人物に成りきる、といった技術が必要となりそうだ。
ただセリフというものは、あらかじめ誰か(脚本家)によって書かれた言葉である。そのような他人の言葉をさも本当っぽく発するというのは、そもそも嘘(リアルではない)ではないだろうか。演劇の場合、そのセリフはきっと何度も繰り返したセリフだろうし(たとえ初演だろうとリハーサルで繰り返しているはず)、結末さえ知ってしまっている。
そのような状況に置かれて、正直に(リアルに)対応するとどうなるのか。セリフを「立たせる」というアプローチは、このような流れで生まれてきそうだ。つまり俳優がセリフとの距離を置いて、セリフを発するのである(これが異化というもの?)。演劇は、脚本内の物語空間と、舞台に現前する身体という、二つのレイヤーが同時間的に存在する。そのためより俳優と脚本の乖離が生まれやすい状況にある。
セリフを「馴染ませるか」か、それとも「立たせる」か。今見てきたように、この二つは相反するもののように見える。同時に両方、というのはなかなか難しそうだ。
それで、先ほど②で述べた「ライン」という考え方は、明らかに「馴染ませる」側の発想だ。
この「馴染ませる」と「立たせる」の対立を踏まえて脚本というものについて考えてみる。そもそも脚本とは何なのだろうか。
一般的に演劇がつくられる工程を考えてみると、
1.脚本家によって脚本が書かれる
2.演出家によって脚本からシーンが立ち上げられる。
3.俳優によって上演される
という流れがオーソドックスなものと言える。
日本では脚本家が演出家を兼ねる(演出家が脚本家を兼ねると言うべきか)ケースが多いという話だけれども、今回はそれにはとくに触れないでおく。
確認したいことは、脚本が上演に先立っているという点だ。そして先立っているからこそ「脚本の解釈」という発想が生まれるし、「脚本にこう書かれているから」という風に演出される際の、また上演される際の拠り所として、脚本がある。
「馴染ませる」アプローチというのは、セリフを自然に言えれば言えるほど良い、という考えだ(「現代口語演劇」という言葉に置きなおしてもらってもいい)。つまり脚本があたかも存在していないように振る舞えということである。これは妙なねじれが発生していないだろうか。脚本はそもそもある、でも脚本がまるでないかと思えるようにする。というのは何か根本的に間違ってないか?
つまり「馴染ませる」というのは、出発点からして、けっきょく頭打ちな態度なのかもしれない。
ここで、どうしても「馴染ませ」たい私たちが思いつく方法が二つ。
①そもそも脚本を書かない。
②「設計図」のような脚本を書く。
①に至る気持ちはすごくわかる。リアルな演技を求めるあまり、そうなる。書かれたセリフを発する、という制限はかなり厳しいものだ。自分の言葉で、自分の持っている語彙と感覚で、言葉を口に出すのと比べると、はっきり言うと違いは丸わかりである。たしか映画では、このように脚本を書かずプロットだけで作られたもので、良い映画はあったように思う。しかし演劇ではあまり見たことがない。なぜかというとそれは簡単で、映画の場合は編集が可能だからだ。映像の場合は、偶然発生したいわば奇跡のような瞬間を、記録することができる。それを数個繋げられれば奇跡は連続する。しかし奇跡はそう簡単に起こらないものだ。起こるか起こらないかわからないものに賭けることは演劇の構造上、なるべく否定したいところだ。
脚本を書かず、稽古場で俳優から言葉(セリフとなりうる言葉)を抽出し、それを用いて「脚本のようなもの(それは実際にテキストに起こすかどうかは別として)」をつくり上演する、というのは可能そうだ。このように作品をつくるカンパニーがあることも知っている。
ただ、前述した問題に対して、まだ根本的な解決には至っていないような感覚が残る。これは俳優自身の語彙と感覚から生まれた言葉をセリフとして用いるため、きっと「リアル」に見えるだろう。しかしそれを何度も繰り返している、という事実は変わらない。「馴染ませる」アプローチの問題点は、脚本を隠すように演じることと実際に脚本があることのねじれである。こちらの案も結局、「脚本がある」ことには変わりがないのではないだろうか。
ここで②について考える。
「設計図」のような脚本とはどういうことだろうか。つまり組み立てられたものこそ実体であり、「設計図」はその単なる指示書にすぎないという意味合いだ。脚本が上演に先立っているのは、そもそも時系列的にそうなっているだけであって、「価値」という面においては逆転させることができそうだ。つまり「脚本→上演」を「上演←脚本」という力関係に置きかえるということである。
しかし本当にそれってできるようなことなのだろうか。具体的にはどういうことになるのだろう。
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犬飼勝哉
脚本からシーンを立ち上げる方法に関して、かなり効率の良さそうなやり方が、話の流れで今回生まれた。日誌内の後半で出てきた「読み合わせ」を重視して、その回数を増やすというもの。
便宜上「読み合わせ」という風に呼んでいるが、演劇の現場で一般的にいわれる「読み合わせ」とは若干含みが違い、いわゆる「立ち」の稽古を、座った状態でおこなうようものだ。座って動きを制限することで、それぞれの役の「ライン」を脚本上から取り出すことに集中できる。
「ライン」についてもう一度説明する。
脚本は、たいてい複数の登場人物が交互にセリフを発するような、それだけで一本のライン=線に見えてしまうような表記のされ方をする。しかし本当は違うはずだ。登場人物の数だけ、ラインが何本もそこに重なっている。たとえばなにか複数の楽器で演奏する楽曲の譜面みたいなもので、各パートがそれぞれのスコアを持っているような感じ、というとわかりやすいか。
「7/18 その2」の日誌に写真で載せた脚本の表記のしかたは、まさにこの各々の「ライン」という見方がわかりやすい。二名のセリフが左右にそれぞれ分けて書かれてある。通常の脚本のように表記されると、会話がまるで「キャッチボール」のように行われていると思われがち。日常で人間がおこなっている会話では、ターンテイキングはもっと複雑だ。その意識が絡まりあう状態を、この表記のしかたでは認識しやすい。また、セリフのない時間を「空白」のかたちで示せているのも良い点。そのあいだはOFFではなく、常に意識は動いている。
まるで一本のラインのようにみえる脚本から、各配役の俳優がそれぞれのパートへと変換する。そのために必要な時間として「読み合わせ」の回数を増やしたのだった。
ではそもそも脚本を、写真のもののような表記で書けばいいのではないか、という疑問が出る。これに関して結論から言うと、あまりその必要はないかと現時点では考えている。
各パートに分かれた楽譜のような脚本は、視覚的にタイミングを要求してくる。結果、タイミング重視のビートマニア的な発語になってしまうのでは…と予想している(やったことがないのであくまで予想なのだが)。
重要なのは、タイミングではなく意識の流れである。セリフを言っている時と黙っている時が同質であるような状態(つねにONの状態)を作り出しておくこと。そのために、「ライン」は完全に視覚化されて提示されるのではなく、俳優の頭のなかにぼんやりとつくり出されているような状態がちょうどよいのでは?というのが現時点での考えだ。
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犬飼勝哉
7月1~20日のあいだ、集中して稽古をおこなった。
といっても20日間ずっと休みなく稽古の予定を入れたわけではなく、脚本を書いたり記録をつけたり、また急な坂スタジオ周辺を散歩する時間も多かった。ちょうどいちばん暑かった時期で、日射しにやられながら野毛山に通っていた。
俳優を呼んで稽古をおこなったのは、数えると計9日だった。時間帯はだいたい昼過ぎから夕方まで。期間の後半にかけて回数が増えていくかたちとなった。当初はもう少し多めに稽古の予定を入れるつもりだったが、なかなか参加者の都合がつかず、それに皆だいたい都内に住んでいるため、なかなか横浜まで呼びにくいという側面もあった。
稽古内容はおおまかに言えば、テキスト(脚本)を用いたオーソドックスな稽古で、とくに変わったことを試みたわけではなかった。脚本からシーンを立ち上げる、という普段の公演での稽古と同じプロセスを踏んだ。
それは演出として、テキストのない稽古というのをあまり想像できないからだった。まあとりあえず俳優が集まったなら、脚本をやってみたらいいじゃないか、と単純にそう考えた。
今回、日替わり形式で俳優3名ずつに集まってもらい(最終日だけ4名となった)、シーンを立ち上げた。これは脚本に登場する役が3名だったから。脚本は新作として今回書き上げたもので、まだ未上演のもの。併せてもうひとつ短編の脚本を印刷して用意していた。こちらは一度発表したことがある作品の脚本。集まった参加者が3名未満だった際に使おうと考えていたもので、結果的にほぼこちらは用いなかった。
参加者は、犬飼が直接的に声をかけた方々。今まで公演に出演をしてもらった俳優もいるし、初めて稽古場に来てもらった俳優もいた。3名の組み合わせは、それぞれ予定が空いている日の兼ね合いで、ランダムだった。
参加者のうち全日程来てもらっていたのが西山真来さん。西山さんが毎回居てくれるという状況があったからこそ、今回の20日間がうまくまとまったかたちとなった。もし西山さんが居なかった場合、全日程通して見る視点が犬飼からだけの主観的なものになっていたはずだ。
全日程を通して、「場当たり的」に動くということを念頭に置いていた。その場その場で発生した状況なり雰囲気に、なるべく適した対応をするよう意識的に心がけたつもりだった。
演劇は集団創作であり、その集団のもつ色が大きく反映する。「いい状態」の集団であるため、あまり手を加えないスタンスを採るようにしてみたということだ。そのため、はじめから「こうあるべき」という頭の中のプラン立てをあまり行わないようにした。期間中、こんなに何にも考えてないで大丈夫だろうか…と不安になりもしたが、結果的にだいぶ気楽にやれたように思う。
集団としていい状態を保つためにどのような「仕切り屋」でいるか、自分にとってちょうどよいバランスを掴むために、時間をつかう結果となった。
また今回の期間中の、そのときどきの心の動きをのちのち振り返られるよう、できるだけ詳細な記録をつけた。日誌の書き方として、佐藤郁哉著『フィールドワークの技法』で紹介されているRASHOMONという記述方法を参考にした。その名前は、小説ではなく映画『羅生門』に由来しているらしい。
フィールドノーツ(フィールドワークで見聞きしたことについての記録)をつける際に注意するべきポイントは、「未来の自分は他人」であると認識しておくこと。今書いているノーツを読む将来の自分は、現在書いている自分とは全くの別の人間であると考える、かなり時間が経過した後でもその記述を見れば現場の情景が再生できるようなものにする必要がある――重要と思われるアイディアがどういう経緯で出てきたのか、その場を思い起こしやすくするため、些末な出来事までできるかぎり詳細に記述した。
またメモの箇条書きから「エピソード仕立て」に清書するのは、記憶が鮮明なうちになるべく早く行うべきだ。前半の日誌は清書するまでに時間を置いてしまったため、後半のものと比べて詳細を欠いたものとなった。またついつい稽古場内での写真を撮り忘れてしまった。
日誌内のふたつの「番外編」はRASHOMONの練習のため、という意味合いもあった。なかなかまだ身につけるのが難しく、うまく書けたとはけっして思えない…また本編の日誌も含め、書き上げるのにはかなりの時間を要している。
スタジオ内で一人でいる時は、つねに何か書いている/書きあぐねている時間だったように思う。
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犬飼勝哉
■テキスト
いつものように「物体X」のテキスト読みに移行。西山さんと浅井と矢野くんに入ってもらい、一度「立ち」をおこなった後、座った状態での「読み合わせ」を二度、一度目はセリフの意図や言い方などの指示を多めに出し、二回目は気になる点以外は流しておこなった。昨日と同じやり方。その後、最後に一度「立ち」をやって終了した。
セリフの多いポジションに西山さんと浅井に入ってもらっていて、二人は昨日も同じことをやっていたため全体的にはあまり変化は見られず、また細かいセリフの言い方などの指示に気が向きすぎてしまい、今日の限られた時間で効果を上げることはできなかった。
参加者の都合で終了時間がいつもより早めで、なおかつ開始が遅れたために、少し慌てた感じになってしまい、一方的な指示に終始してしまったようなところもあった。壁掛け時計の時間を確認する回数も多いな、と自分で感じていた。
また矢野くんのセリフ量が少ないことが今日はなぜか気になってしまい、退屈じゃないだろうか…と心配になるところもあった。
■時間が足りない
矢野くんが帰った後に島村氏に代わりに入ってもらい、一度「立ち」、今度は浅井島村の役をチェンジしてもう一度やってみた。そのあたりで西山さんの出なければならない時間になったため終了。これも時間が限られていたため、すこしやってみる程度で終わってしまった。
先日から試みている「読み合わせ」のやり方だったけれども、今日は時間が足りなかったせいか昨日以上に簡素に終わってしまった印象だった。なんというか、もう少し遊びの部分というか余剰が必要だなと思っていた。
最後の日だったけれど、若干失敗したか?と思っている。
■20日間終了
終了後、たっちーから借りた「早稲田文学」のバックナンバーをロビーのところのソファに座って読み、本棚に置いてあった横浜トリエンナーレの本を読み、19時半ごろに片付けをしてからスタジオ2を出る。これで20日間が終了した。
野毛町のほうに先行して飲みに行っていた浅井島村に合流し、大通り沿いの中華料理店へ。二人がさっきまで入っていた飲み屋がなんだか物凄かったらしい。ディープな野毛に舞い込んでしまっていたようだ。
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犬飼勝哉
■動物園
最終日。11時頃に着。最終日なのでしばらく通っていなかった野毛山動物園へと行く。キリンとシマウマの不思議な関係をはじめて目撃した時は衝撃的だったが、見慣れてしまうとそれも日常的な風景。
そらとモミジ(園内の二匹のキリンで、それぞれ雄と雌)は別に仲が悪いわけではなく、一緒の柵のなかに入ると、そら(雄)が強引に後を追いかけてしまうだけのようだ。そらは今日、モミジがいる柵のほうに首を差し入れて、首筋の匂いを互いに嗅ぐようにしていた。それからモモタロウ(シマウマ)のいる柵内にも首を差し入れ、背中を舐めたりしている。ちなみにキリンの舌は黒くてかなり伸びるので驚く。
モモタロウ(シマウマ)は、毎日来るたびに狭い柵の中に閉じ込められて可哀想、と少々思っていたが、貼り紙によると閉園後は大きい柵のスペースのほうに開放しているらしい。今はそらとモミジが微妙な関係のため、割を食っているのだ。
■参加人数について
最終日の参加者は西山真来、浅井浩介、矢野昌幸、島村和秀の四名。毎回五名くらいの参加者を集めたいと思っていたところあまり人が集まらず、ずっと三名(今回のテキストをやってみるには最低限の人数)でやっていた。それが今日は四人いる。
本当ならばもう一名来てくれるはずで、五名のところが四名となった。
今日やってみて思ったのが、今までのように三名のほうがやりやすかったということ。テキストをやっている際に一人余りが出ると退屈していないか気になってしまった。
これから稽古をする際は、必要以上の人は呼ばないで、抜き稽古(シーンの一部を切り取って稽古をすること)をメインに構成していったほうが効率がいいのかも。という、これは前から少し考えていたところ。
■開始
13時半開始のところ、遅れて13時50分からになった。ラジオ体操をしてから自己紹介としてワンテーマずつ話を回す。といういつもの流れ。今回は参加していた男性三名が強めの癖毛、いわゆる天然パーマだったので、ストレートパーマをかけた際の話がつづけて話題にあがった。浅井と矢野くん、島村氏と矢野くんは初対面だったはず。
話がされているあいだはなるべく口を挟まないよう気をつけていた。
いつもならばもうワンテーマくらい話してもらっているが、矢野くんが早めに出ないといけないのですこし短く切り上げた。
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犬飼勝哉
■限られた時間でどこまで作り込めるか
テキストを使った稽古に移行。
浅井に「小柴」、西山さんに「村松」、前原くんに「串田」をお願いする。皆、少なくとも一度は今回の稽古に参加しているメンバーなので、スムーズにできる。スムーズすぎて特に言うべきことがない。そのため、今日の限られた時間内でどこまで作り込めるかに挑戦するつもりで進めた。
一度「立ち」でやってみた後、昨日発明(?)された「読み合わせ」をおこなう。
「読み合わせ」の最中には、気になった点があったらすぐに止めて、セリフの意図や言い方を細かく指示。そして少し前からやり直す。
「立ち」ではなく座った状態なので、この繰り返しにタイムロスが起きず、指示を明確に伝えやすいし、俳優にとっては指示されたポイントを確認しやすい状況が生まれた。
皆、一度は公演をやったことがある俳優だし、その場で対応ができる人たちばかりなので、かなりはかどったように思う。
■「読み合わせ」のポイント
一度、細かく止めながら「読み合わせ」。最後までいったら、今度は指示したポイントを改めて確認するためにもう一度「読み合わせ」をする。一回目ほどではないが二回目も、気になったポイントがあればすぐ止めて指示を伝える。
この「読み合わせ」のポイントとしては、あまりセリフを「読む」ことに意識をもっていかないこと。セリフに気を取られず、自分がセリフを言っていない時の意識の流れ方をシュミレーションしておくこと。「「立ち」の状態を座ってやる」と言ったほうが近いか。
「立ち」の状態だと要素が多くて、指示が散漫になる。座った状態だと情報が当然少なくなるわけだからセリフの言い方に関する指示にこちらとしても絞ることができるし、俳優としても整理がしやすいだろう。ただこの「読み合わせ」は、一度「立ち」をやった後におこなうのが一番効果的かもしれない。なんとなくそう感じた。
この「読み合わせ」に関して、する前に昨日(7/18)の「ライン」の話を深くしておくと効果的なのかもしれない。それぞれのラインを作り出すようなことをしてくれと。
ただ今回はあえてラインの話は出さなかった。前の稽古場の時にでたワードを、メンバーが異なる今日に言い出しても、文脈が異なるのでうまく理解してもらえないかもと思ったから。それにあえてラインの話をしなくても、それぞれ自主的にやってくれる俳優かとも思い、説明しなかった。
ただ「ライン」の話をした後、つまり昨日これをやった時のほうが、セリフを言っていない時の状態をつくる意識が高まり、結果として濃密な感じが生まれたところはあった。今日のはじゃっかん淡泊だった。好みの問題だとは思うが、昨日の濃密な感じのほうが犬飼は好みだ。よりクレイジーなものが生まれそうな気配があった。
■本日の完成形
「読み合わせ」を数回繰り返したのち、「立ち」に戻った。「読み合わせ」をしたことによって動きすらよくなった。場の収まり方が違う→つまり「浮いている」状態が生まれ始めているのかも。
もう一度「立ち」を繰り返す。すると、さっきやったのより少し良くなくなったような気がした。ここで18時近くになったので終了。
■終了後
前原くんが飲みに行こうと言いだして皆で行こうとするも、明日で相談室の期間が終わりだと思うと急に寂しくなり、坂道を下りかけていたところで犬飼だけ一人で戻ってくる。そしてスタジオ2で今日の日誌を書いている。前半のほうは後追いで思い出しつつ書いたところがあったが、数日前から覚えているその日のうちに日誌をつけるという風にしている。そうしないとすぐに忘れるから。
書き終わり、9時ごろスタジオを出て坂道を下りているところに浅井からLINE通話。今前原くんと海に来ているのだそう。もしまだ横浜にいるならみなとみらいの方へ来いと言われるが、みなとみらいの方へは行かず、そのまま帰宅した。
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犬飼勝哉
■スタジオ2
11時ごろ急な坂スタジオに到着。今日と明日で今回の20日間は終わる。
けっこう朝早く家を出たつもりが、電気料金の支払いのために新宿に寄ったら意外と時間がかかってしまった。さいきん東京電力は電話が繋がりづらいので、直接支払いに行くのが手っ取り早い。今度からもう口座引き落としにしようと思っている。いい加減にその手続きを。
さて、今日からスタジオ2になる。スタジオ1には大所帯のカンパニーが入ったようだ。スタジオ内では何かが組みたてられていてインパクトの音が断続的に響いている。スタジオ前の廊下で衣装らしきものを縫っている人らも。
昨日移動したスタジオ2は一階奥の、今まで使っていたスタジオ1の隣の部屋になるのだが、変な空間。謎の神棚がある。その扉を開けると小さなフィギュアが三体置かれてある。
全体的に和を感じるつくりになっているが、床はリノリウム敷き。
■ラジオ体操
本日の参加者は、西山真来、浅井浩介、前原瑞樹の三名。前原くんが久々に参加。13時半ごろ開始。いつものようにラジオ体操から始める。
前原くんはラジオ体操の第2をまったく知らなかった。忘れてしまったという感じではなく、そもそも知らないという様子だ。
そういえば都知事がオリンピックに向けて都庁の職員全員でラジオ体操を始めるというニュースが最近あり、なんだかやりにくくなってしまった。
■自己紹介
自己紹介と一言を回す。犬飼は昨日電気を止められた話。犬飼の自宅はアパートの二階だが、電気メーターが玄関のドアの上部にあり、そのメーターから二本出ている線のうち一本を抜かれているので、電気が止められたことがわかった。前原くんは、今朝自宅トイレがタンクの故障で水浸しになった話。浅井は昨日、雨が急に降りだしたのを確認しようと窓を開けようとしたところ、その窓が二重窓で、見えていた窓の手前にもうひとつ透明のガラスがあって、顔を強打したという話。
このように輪になった状態で話題を振って一人ずつ順番に話をしてもらうというのを毎回おこなっているのだが、どうも強制しているような感覚があって気持ち悪さを感じている。ラジオ体操についても、やはり強制的にやらせている感じがしてしまう。演出というのは、けっきょく人に何かを強制しなければいけない立場なのだろうか?
*****
犬飼勝哉
■移動
寝袋を畳んで袋に詰め、移動。
公園の向かいにあったミニストップで虫よけスプレーを購入。蚊も多くて寝られなかったのだ。どうでもいいけどこのミニストップの店員さんが可愛かった。
そして野毛山のほうへ。
■展望台
坂道を上がり、動物園のあるほうへ。動物園の隣には大きな公園がある。
公園内には人が誰もいない。現在、深夜二時過ぎ。
展望台がある。夜の横浜の景色を見るために階段で三階へ。夜の静寂。
奥の人目につかなそうなところに寝袋をもう一度袋から出し、敷いてみる。ここでもしかしたら横になれるかもしれない。
寝ると蚊がすぐにやってくる。虫よけスプレーをかなり吹きかけても、少し時間が経つともう効果はうすれるようだ。
■人が来る
話し声が下からあがってくる。そのうち階段を上がってくる人影が見える。青春感の漂う男の二人組。やっぱり深夜の公園を歩いていて展望台があったら上がってみたくなるものだ。
展望台の奥で寝転がる犬飼のすがたを発見し、二人立ちすくむ。
「こんばんは」と犬飼。「ちょっと横になってるんですよ」
二人組「ああ、びっくりした」「今日涼しいですもんね」
犬飼「まさか、ここまで上がってくる人がいるとは、こんな時間」
二人組「すみません」
そして、その青春感の漂う男二人は、手すりのある景色が見渡せるところで横並びになり、いろいろと話をしている。
「前にここまで来たときには雷が光っていた」というフレーズが聴こえた。
しばらく景色を見ながら話し続ける男たち。犬飼だんだんうとうとしてくる。
そして「失礼しました。お気をつけて」と去っていった。
「おやすみなさい」
「おやすみなさい」
■位置を変える
先ほどの滑り台の乗り場でもそうだったが、人が上ってきて最後に行きつくポイントに陣取っているのが間違いなのではないかと気がついた。その最終的なポイントに居ると、どうしてもやってきた人とコミュニケーションを取らざるを得なくなるので眠れない。
というわけで、展望台内で少しだけ場所をかえた。
階段を上がったところの脇にある奥まったスペース。ここなら人が上がって来たとしても気づかれにくいし、気づかれてもスルーされる可能性が高い。
蚊と寝袋が暑いのとで、なかなか寝付けない。
■トイレに行く
一度トイレに起きる。カラスの声が、まだ辺りは暗いのにし始める。
展望台を下りると、公園内を走る早朝ランナーのすがたも。
この展望台の一階に男子トイレ女子トイレ、多目的トイレがそれぞれひとつずつあるのだが、深夜は防犯上の問題からか、シャッターが下りて使用できなくなっているので、公園を出たところの道路わきにある公衆トイレまで歩く。車がぜんぜん走らない道路。
帰り道に黒猫がいる。
距離をすこしずつ詰めるも、一定範囲にちかづくと後ずさり、向こうも距離を取る。黒猫の写真を撮ろうと思いスマホを構えると指にひっかけてスマホを地面に落とす。その音に驚いて黒猫は草むらに逃げ込んでしまった。
もう一度寝袋に入り、寝ようとする。
だんだんと空の様子が朝になってくる。また展望台を上がって来る人がいる。男ひとり。携帯で誰かと電話をしながら階段を上がりきり、奥のほうに行き、ずっと電話したままだ。内容まではわからないが、ボソボソと話す音だけがずっと響いてくる。どうやら恋人に電話している様子。
■朝になる
まだ五時台なのに、日射しがどんどんと強烈になってくる。
展望台には陰になるところがなく、仕方なくその日射しから避難。階段を下りて、公園を奥のほうへと進む。芝生のエリアを過ぎ、児童遊園エリアに。さっきからカラスの互いに呼応する鳴き声がすごい。野毛山にはたくさんのカラスが棲んでいる。
遊具が敷地の中央にいろいろとある児童遊園エリア。カラスがそこにたくさんたむろしている。あまりちゃんと眠れなかったので、ベンチで少し横になる。
もっともベンチは、公園のベンチによくある形状の、中央にひじ掛けがありしっかりと横にはなれないタイプ。ひじ掛けに頭を乗せて、足を地面に伸ばして寄りかかるっているような体勢。
■朝の公園
朝の散歩をする人たちがちらほら。お年寄りが多い。
柴犬が近づいてきたので触らせてもらう。体がだいぶ小さいのでまだ子供なのかと思いきや、一歳半のオスだという。
向こうのベンチで背中を伸ばしている女性。あのベンチはストレッチ用の、背もたれがアーチ状になっているもの。女性が座って背中を伸ばしている反対側から、ふらりと来た男性がアーチに背中を乗せ、反らせている。
ジャージ姿の白髪の女性、公園の柵に脚をかけて、バレエの開脚のような動き。めちゃくちゃ身体が柔らかい。
犬飼が横になっているベンチの隣のベンチには、さっきから女性が二人座っておしゃべりをしている。このあいだのもらった紅茶がおいしかったとか、梅干しの話をずっとしている。ラジオを持ってきているのか、二人はラジオを流しながらおしゃべりをしている。本日のニュース。それがけっこう大きい音量で公園内に響いている。
ラジオからラジオ体操の音声が流れ始める。六時半になったのかーー。
するといつの間にか、公園内を散歩したり、おのおのストレッチなどしていた人たちがぐるりと輪になっている。実は全員がラジオ体操の参加者だったのだ。そうなると一人だけベンチで寝ているわけにもいかないので、犬飼も巻き込まれるかたちでラジオ体操に参加する。
始めまーす、も何もなくラジオ体操が自然発生的に始まり、終わるとばらばらに帰っていく朝の公園のコミュニティー。その日常性に少々感動した。
そして犬飼も山を下りた。(終)
*****
犬飼勝哉
■ハーモニカ横丁
大岡川沿いにある細長い二階建ての建物。道小さなお店が何軒も軒を連ねている。正式名称は都橋商店街というらしく、かたちが本当にハーモニカのよう。
お店の様子を覗きながら前の道を行くも、入りやすそうなお店は人で溢れている(そういえば今日は金曜日)、ドアが閉じた店は中の様子がわからないのでなかなか入りづらい。
建物の両端には階段がついていて、二階へと上がることができる。
二階の通路は建物の裏側、つまり川側に、外廊下のかたちで向こうまで、お店の入口が続いている。二階の店は一階よりもディープさが増してさらに初見では入りづらい。カラオケのBGMが漏れ聴こえるバー。川の匂いがする。
■中國 ラーメン
夜になってまだなにも食べていなかったので、とりあえず離脱。桜木町のほうへ。「ちぇるる野毛」の一階に入っていた中華料理店に入るも満席で、一人だけなのに入れなかった。向かいにあった「中國 ラーメン」と看板にある店へ。
カウンター席のみ、客は60~70代くらいの男性ひとりのみ。店主は中国人の男性でひとりで切り盛りしているらしい。奥のテレビでは報道ステーションが流れている。
無難に担々麺を注文。担々麺食べる。野菜が多い。
帰りがけ、典型的な酔っぱらったサラリーマンが7,8人いっきに入店してきて店内が騒々しくなる。店を出る。もういちどハーモニカ横丁に。
■ハーモニカ横丁ふたたび
ハーモニカ横丁に戻ってくる。大漁旗のようなのれんのかかった、一番入りやすそうな立ち飲み店にとりあえず入ってみる。
入るなり12時までですけど、と言われる。壁に掛かっていた丸時計を見ると今の時刻は11時40分。あ、はい大丈夫です、と入店。
ガラス戸の引き戸はサッシが歪んでいるのか閉めようとすると引っかかる。まだ半分開いた状態で「あ、そんなもんで大丈夫ですよ」と言われる。
カウンター内にいるのは40代くらいの小柄な女性。ボーダー柄のTシャツにエプロンをしている。ハイボールを注文。L字になったカウンターの奥に入ると、窓越しに川の流れが見える。店内にはほかに女性が一人。
頭上のテレビでは、バラエティー番組がやっている。渡辺直美が出ていて何歳くらいなんでしたっけ?という話に。犬飼「いやー、たしが意外と若かったような…」
スーツ姿の男性が入ってくる。女性の連れで、電話かなにかでちょっとのあいだ店から出ていたような感じ。話を聞くと、この男性の初恋の相手が隣の女性らしい。それで女性のほうは今は香港に住んでいて、ときどき帰ってくるとこうして呼び出されるのだという。それで二人は今年50歳らしい。
トマト割を注文し、12時近くになったので店を出た。はっきりいってあまり馴染めなかった。
店を出た後、時計を見たら11時40分だった。店の掛け時計はつまり20分くらい進んでいたということなのだろうか。
■歯を磨く
川沿いに公衆トイレがある。道向かいのローソンで「オフィスセット」というケース入りの歯ブラシと歯磨き粉のセットを購入する。
公衆トイレの手洗い場の水で歯を磨く。
繁華街の公衆トイレだから中はかなり汚い。小便器の上の段差には空き缶やゴミを中に入れたまま口を縛ったビニール袋などが放置されている。トイレのなかではなく外に出て、川を見ながら歯を磨く。
■野毛町のてっぺん
川沿いに公園がある。比較的新しそうな公園に見えた。
地下は自動車の駐車場になっているらしく、その建物の上につくられたらしい公園。敷地内のつくりが立体的で、段差を昇っていくと、そこにロング滑り台の乗り場がある。
この滑り台の乗り場のところで寝られないかと思った。一度寝転がってみるとかなりいい。
リュックから寝袋を出して敷いてみる。十分寝転がれる広さ。脚は半分ほど滑り台のほうにはみ出しているが。
空は晴れていて、星がいくつか見える。
周囲に高い建物がないため、まるで野毛町のてっぺんで寝ているような気分になる。
頭をあげて川のほうを見ると、向こう岸にハーモニカ横丁の建物が見える。この時間でもまだやっているお店の、賑やかな音や声がここまで聞えてくる。
■仲間がいる
歯を磨く前にこのポイントを発見していた。
公衆トイレの水で磨き終わり戻ってくると、滑り台の階段近くの茂みに、酔っ払いの男が一人寝転がっていた。彼は完全に寝入っている様子。最初はその存在が少々気になったのだが、だんだん仲間のように思えてくる。彼がいるので寂しくない。
今寝ている滑り台の乗り場の脇にはフェンスがあり、「立ち入り禁止」の貼り紙がしてある。フェンスの向こうは雑草の生い茂った草むら。さっきからその草むらに白猫が一匹いて、ずっとこちらを見ていて動かない。目が光っている。
■なかなか眠れず
しかしなかなか寝付けない。
寝袋が秋冬用の分厚いものだから結構暑いし、だからといって寝袋を脱ぐとすぐに蚊に襲われる。本当にちょっとでも肌の露出があると蚊にやられるのだった。
いつの間にか白猫もいなくなっていた。
■滑り台に人が上がって来る
しばらくすると、人が上がってくる気配。
滑り台の近くまでやってきて、そして階段を上りだす。鉄製の階段を上るカンカンという足音が、乗り場まで響いてくる。
身体を起こすと、階段の数段下のあたりまで男がやってきている。むくっとなにか黒いものが動いた(黒い寝袋を使用している)ので、男がびくっとなり足を止める。
変な人と思われないよう「こんばんはー」と先行して挨拶。
「あ、こんばんはー」と男。
「ちょっとここで野宿してるんですよ」
「あ、そうなんですかいいですね。ちょっと滑らせてもらっていいですか?」
「え?」
酒に酔っている、スーツ姿の若い男だ。
「でも、これ」と犬飼、指さす。
滑り台の柵のところには貼り紙がある。
「ローラーがうるさいので夜間の使用はお控えください」
このロング滑り台は、滑り板がすべてローラーになっているもの。
それを貼り紙を見て男「一回だけ、一回だけいいすか?」
「いや、まあいいですけど」
なんだか滑り台の番人みたいになってしまった。
身体をあけて通れる隙間をつくると、男は上がりこんできて、そしてロング滑り台を滑っていった。
片手にビニール袋に入れた状態のままの缶ビール。男はゆっくり下方に滑っていく。あまりスピードは出ないようだ。
■また人が来る
いい寝場所を見つけたと思いきや、滑り台の上まで昇ってくる人はけっこういる。
たしかに酔っぱらって公園で大きな滑り台を見つけたら、ちょっと滑ってみたくなる気もわかる。一時間くらいのあいだに三組来た。さきほどの男の次は外国人の男性ふたり。
さっきみたいに身体をむくっと上げたら、ふたりにめちゃくちゃ驚かれてしまった。よかったら滑ってってくださいと言ったのだが「スミマセン」「アリガトウゴザイマス」と言って、二人は降りていった。
次は男女のカップルが来た。ということで、ぜんぜん寝られないので違う場所を探すことにした。
*****
犬飼勝哉
■「読み合わせ」について
外は雨が急に降り始めた(この日、都内では大粒の雹が降っていたらしい)。
休憩中、外の喫煙所のところで山科さんと話していたところ、あまり読み合わせをしないんですね、と言われる。あ、でも演劇の現場だとこんなもんか、映像とくらべるとですけどーー。
「読み合わせ」にもっと時間を割くべきなのでは? ということを昨日偶然考えていたところだった。
セリフがまだ入っていない状態で立ち稽古をする時、俳優は脚本を手に持ちながらやる。この、セリフを目で追いながら「立ち」をするというのは、演出が思っている以上に制約が大きい状況なのでは、と想像。
しかしこういった(脚本を持ったまま「立ち」)やり方は、けっこうどこでも見る光景じゃないだろうか。演出としては早く立ってもらったほうがイメージが掴みやすく、覚える前に「立ち」をついついやりたくなってしまう。
今回のような短期間の稽古(しかも公演の予定はない、俳優は毎回異なる)だと、セリフを覚えてもらうこともできないので、しかたなく脚本を持ったまま「立ち」をしていたところがあったが、改めて「読み合わせ」をやってみたほうがいいのかもしれない。
■「読み合わせ」、「ライン」のサンプル
さっそく「読み合わせ」をやってみることにした。座って輪になった状態で脚本を持ち。
西山さんは前に、このようにひたすら読み合わせを繰り返す現場があったのだそうだ。それを思い出した、と。
先ほど説明したように、3人がそれぞれのラインを追うように、という指示を強調してから読み合わせを始める。
序盤で止める。「読み合わせ」と言うと、その言葉の意味合いに引っ張られて、脚本の文字を読ませてしまう。今回やりたかったのはそうではなく、さっき「立ち」でやっていた状態を座っておこないたいのだ。テキストをしっかり読む、のではなくそれぞれがラインをつくったうえで、セリフを言えるようになること。それを立った状態ではなく座って、あまり動かずにやる(小さな身振りなどはべつに制限していない)。そのようなこと。
ここで「ライン」に関する質問が西山さんから出る。
質問というより、「ライン」というものへの認識の確認。西山さんの捉え方との若干の差異を感じたので、ちょうどいいサンプルがあったのを思い出し、それを皆に見てもらう。
(写真参照)
・・・
「フィールドワークへの挑戦 〈実践〉人類学入門」菅原和孝 編
P97
京都大学の学生らがおこなった様々なフィールドワークをまとめた書籍で、その一ページ。
演技と日常会話の違いをみるために作成された、日常会話を起こした台本。
これを俳優がじっさいに演じてみて、日常会話との違いを探るらしい。
「この台本では、ある台詞からべつの台詞へ移行するタイミングをぼかし、「ターン交替」の自由度を確保する工夫をした。」
・・・
このセリフの表記の仕方は、通常よくされる脚本のものとは異なる。
しかし「ライン」をつくるという発想からいくとセリフの書かれ方はこちらのほうがわかりやすいかも。
上から、Timeのバーが下へと降りていく。そのタイミングで、二人はセリフを発していく訳である。この表記の仕方の優れた点は、何も言葉を発していない時間が「空白」というかたちで示されていること。「空白」として視覚的に示されていること。セリフのないその時間も俳優は「生きて」いなければならないことが、このように表記されるとわかりやすい。
まるで楽譜のような?
セリフを応酬させるのではなく、もっと複雑に絡み合わせるような感じ。実際の会話でも使われているこの意識の流れというリズムを、活用してほしい。
このサンプルを見てもらい、あらためて「ライン」の話が伝わったような気がした。3人の意識が同時にそれぞれ動いていて、絡み合うように会話がうまれる。「会話のキャッチボール」という認識だと、セリフを相手に投げた後、受け取るために意識の動きが止まってしまう。
座った状態で、この「ライン」を意識して「読み合わせ」をおこなった。かなりいい状態になった。セリフがだんだん「キャッチボール」状態になってきたなと感じたら止めて、もう一回少し戻して繰り返した。
この「ライン」の指示およびサンプルを見せたことで、いちばん状態に変化が起こったのが渡邊さんだった。と、犬飼には感じられた。
座った状態で「読み合わせ」をすると、演出的にもかなり楽で整理できるような感じがあった。「立ち」の状態だと、演出にとって見る要素が多すぎて、本来いろいろなレイヤーに分かれそうな性質をもつ指示を一括でしてしまい、それが俳優を混乱させる要因に(演出自身も混乱する要因に)なっていたような気もした。
座った状態だと、その指示を、セリフの言い方、セリフに込める意図、に絞ることができる。このような状態で指示を明確に伝えた後、何度も繰り返し、整理できてから「立ち」に移行するべきだと思った。「一度にすべてを伝えようとしない」という先日の反省をここでも再確認するようなかたちとなった。
■たっちーが来る。
ちなみにこの「読み合わせ」をやっている最中に、たっちーが見学に来た。
一番地味なことをやっている最中に来たのだった。そして和室へと戻っていった。
■スタジオ2へと移動
西山さんが17時過ぎに帰るため、今日はここで終了。
今日のような念入りな「読み合わせ」の効果はかなりありそうに感じられた。今後はこのやり方を頻繁に使っていくかも。動きがない分、演出としてはセリフへの指示を明確にして出せる。
大型スクリーンを山科さんと渡邊さんに手伝ってもらって分解する。
途中で畳み方や骨格の折り方がわからなくなり、持田さんに来てもらい、片付ける。DVD数枚とDVDを見るために借りていたノートパソコンも返却する。
明日からは隣の「スタジオ2」となる。
置いていた荷物(おもに本と寝袋)をスタジオ2に移動させる。
スタジオ2はすごい場所。神棚がある。神棚の扉を開けると、中に親指サイズのフィギュアが三体、納められてあった。
・・・
帰りに山科さんと駅前の「焼肉安安」へ。
本当なら前に行きそびれた、あの孤独のグルメのお店に行こうとしていたが今日はシャッターが閉まっていた。そのため焼肉安安となる。渡邊さんは先に帰った。
ハイボールが本日100円で、肉も安い。
山科さんが帰りの電車で胸やけに襲われる。安い肉の脂分のせいか。
家に帰ると、料金未払いで電気が止められている。
急な坂通いに気を取られてうっかり忘れてしまっていた。
スマートフォンの充電の残量を気にしながら、暗闇の中でこれを書いている。
*****
犬飼勝哉
■昨日の日誌を書く。
今日は11時ごろに急な坂着。鍵を借りる際に持田さんに日誌の進捗状況などを報告。今日も持ってこようと思っていたお手玉を忘れたため事務所から、今日は新品の麻紐のロールを二個借りる。
始まる前に昨日の日誌を書く。7/8のものは後回しになり、結局まだ書けていない。しかし記憶が鮮明なうちに昨日の分を先行して書いておきたい。
このところ日誌を書くという自ら決めたタスクが重くのしかかっていて、そのため他のことに気がなかなか回らず、だからお手玉を忘れたりする。
■皆の到着
今日の参加者は、西山真来、渡邊まな実、山科圭太の三名。久しぶりに山科さんが来る。山科さん以外の二名は昨日と同じ。西山さんには忙しいなか毎回来てもらっている。
13時開始予定。10分前に山科さんが到着。少し遅れて西山さんと渡邊さんが来る途中に会ったのか一緒に来る。
今日でスタジオ1が最後になるため、組み立ててもらっていた大型スクリーンを片付けなければならず、最後なのでプロジェクターでチェルフィッチュ「スーパープレミアム~」の映像を投影しているうちに3人が来たのだった。この期間中、この作品の映像を一番よく見ていた。DVDを貸してもらっていろいろと映像を見ていたのだった。
■嫉妬について
毎回やっているラジオ体操第1と第2.そして自己紹介の流れ。今日は山科さんと渡邊さんが初対面。
そして輪になった状態で、もう一周話題を振る、というのも毎回やっている流れ。今日のテーマは嫉妬について。
ツイッターのアカウントでいろいろ演劇団体のアカウントをフォローしているのだけれども、そこに感想のつぶやきが流れてくる。それを見て、絶賛なんかされていたりすると嫉妬する。そういった経験はないか、という話題。
たとえば他の俳優が大きな仕事をしていたりすると嫉妬しませんか? という問いに、嫌いな人だったりしたらもちろん嫉妬するけど…とか、話題に上がっていたりしたら、どんなもんか観にいく、それで納得させてほしいとか、同じ稽古場でほかの俳優がうまくいっていて自分があまりうまくできないと…等々。山科さんの意見は基本的にいつも男前だ。
ちなみに犬飼は、大きなプロジェクトが行われていたりすると、心うちの何パーセントかでコケろコケろ…と祈っていたりするような人間。
その後、麻紐のロールで「お手玉」。しかし投げているうち、だんだんと新品のロールがほどけてきてしまい、早めに終了。
■なんとなくうまくいかない
今日も「物体X」をやってみる。だんだん犬飼が飽きてしまったのか、なんとなく掴みどころがなく感じてしまう。ざっくり言ってしまうと、うまくいかない。でもこの、うまくいっていない状態、というのは俳優とも共有できていた。
インターバルを何度か挟んで、前半のシーンを繰り返してみる。
全体的に「ぬるい」感じがして、どこに絞って今のよくない状態を捉えればいいのかまだわからない。
指示1 もう少しフォーマル感を出すように、スーツを着ている感覚を身体に感じながらやってみてください→うまく機能せず。
※今までまったく説明していなかったが、この『木星からの物体X』という脚本の場面設定は、会社の受付→会社の会議室。「株式会社ジュピター」に取引先の人がやってくるという話。
■3本のライン
先日と同じように、ラインを1本にしないよう指示。昨日説明したように、脚本は台詞が言う順番に書かれているため、一本のラインを想像させやすい。そうではなく、登場人物が3人いれば3本のラインがある。脚本の表記から離れて、捉え方の変換が必要となるため、ラインを3つつくることを強調。各ラインをそれぞれが持つ感じで、もう一度繰り返したところ、状況が改善されたような気がした。
この時した例え話はこんな感じ。
セリフの吐き方を、軽くしたい。たとえば重心を身体に置いたまま何発もパンチを繰り出すような感じ。「会話のキャッチボール」では、投げる球に体重がのっかり、軸がぶれてしまう気がする。
犬飼の脚本のセリフは基本的に手数の多い「ラッシュ」なので、あまり一撃に重心を持っていかれないようにしてくださいーー。
*****
犬飼勝哉
■ワンテンポ早い
15時過ぎ、テキストを使った稽古に移る。
今日は昨日、浅井が帰ったあと西山さんと渡邊さんでやってみた脚本「木星の日面通過」の後半、男女二人のシーンを浅井渡邊でやってみる。最初に一度セリフ読み。二回目から脚本を持った状態で立ってやってもらう。
犬飼の癖として、自分の頭のなかにある感覚が他の人に一言ふた言で簡単に伝わると思いがちなところがある。そのため説明すべき必要なプロセスを省略しがち。
今日もこの時、最初のセリフ読みの段階を省略して、いきなり「立ち」でシーンをやるよう指示しかけた。いかんと思い、一度座った状態でセリフを読んで、内容を確認してもらう時間を取った。
昨日、西山さんと渡邊さんの二人でやってもらった際に感じたことをセリフ読み後に伝える。しかし、これも一度「立ち」でシーンをやってもらってからでよかった。急いでワンテンポ早くなりがちなところがある。
■キャッチボールをしない
伝えた内容に関して。
この「木星の日面通過」後半の部分は男女ふたりの会話体で形成される、いわゆる「会話劇」のかたちをとる。「会話」する際に心がけることは、「会話のキャッチボールをしないこと」だと思っている。
「キャッチボール」というと、ボールを投げる、相手にボールが渡り、再びボールを受け取るという一連の動作である。この動作を想定してセリフを発すると、どうしてもボールを受け取るまでに「待ち」の状態(意識のストップ)が生まれてしまう。それが邪魔だと思っている。
犬飼の脚本の場合、言葉数が多いためこのような動作をいちいち繰り返すとペースが遅くなりリズムが悪くなって、結果としてうまくいかなくなる。
それから「キャッチボール」という言い方だと、二人でひとつの共同作業をおこなうようなイメージを与えるところも良くない。共同作業というより、共時間に二つの違う動作(意識の流れ)が起こっていて、それがときどき共鳴する。「会話」はそのような捉え方をすべきだと思っている。
脚本は二人のセリフが交互に書かれているので視覚的に一本のラインに見えてしまうが、実はそこに二つのラインがある(登場人物が二人のシーンなので)。脚本から共時間に動く二つのラインを取り出してほしいと、こういった内容を伝えた。この指示はけっこうよくする。
■二本のライン
その指示後、もう一度繰り返した。
二本のラインが生まれたが、まだ足りない印象を受けた。それは若干だが相手のセリフの言い終わりを待っている感じがする点。セリフの言い終わりを待ってから意識を動かし、返している印象を受けたのだった。
そのため相手のセリフに自分のセリフを被せてもいいと伝える。それから相手が喋っている最中にも意識を動かしておくこと。それは日常の会話で人がやっていることと同じ頭の使い方。
これでだいぶ良くなった。
さらに渡邊さんにお願いしたことは、その状態のまま相手への反応を過敏にしておくこと。二本のラインというものを強調することで、一人だけの意識内に籠っていきそうな気配を感じたから。もう少し外っつらで反応していいと。
このような状態で二回ほど繰り返した。
最後にした指示は「玉離れをよくすること」。キャッチボールの例はよくないと言っておきながらこういう表現をしてしまうのだが、セリフの言い出しや最中のタメを少なくしなかった。自分でキープする時間を減らしてすぐ投げちゃってくださいと指示。サッカーでいうところのワンタッチでパスしろという感じか。
・・・
以上の数回の繰り返しで、演出と俳優のあいだでの感覚の食い違いが発生していないか、渡邊さんとのあいだで確認した。共有はできていたようだった。
しかし、たとえば年齢差だったりいろいろな影響でYESと言わせてしまった誘導尋問的なところがあったかもしれないといわれると否定はできない。
ここで休憩を挟む。
■バッティングの後の動き
「物体X」に移る。昨日と同じように渡邊さんに男性の役をお願いする。
昨日話題に上がった「バッティングの後の動作」について。
「電話」というセリフのタイミングで受話器を耳元に当てる動作が浅井から生まれたので、その動きをやめた後に下した手をぶらぶら前後に勢いで振ってくれという指示。
一、二回はいい感じに見えるも、だんだんと振付っぽく見えてきて、いったんリセットしたほうがいいかもしれないと思う。ただそれほど細かく言うようなことでもないので、心のなかでキープ。
この件について、まだ明確なビジョンなし。
もうちょっとはっきりしたイメージが掴めるまで黙っておいたほうがいいのかもしれない。わからないまま動きを指示すると、そういった謎の指示が傷跡のようにのちの作品に残っていくような気もする。
■うまくいかなくなる
そのあと数回、繰り返したが絞りどころがなく、だんだんと状態が崩れていった。
このようにうまくいいっていない状況がつづく度に演出、俳優ともに集中力が落ちていく。
いったん止めて何が起こっているのか原因を探ることにした。外面的に見えている問題点は、西山さんの状態の変化にあるように見えていた。
そのため、そのあたりに話を絞った。
うまくいかない状態でまた繰り返しても良くならないし、時間的にもうそろそろ終わりの時間が近づいていたので、今日はこの辺りにやめようとした。すると、場面の最初に「今から始める」という動きをつくったところから状態が変わり始めたという、西山さんからの発言があった。
最初の動き出しの動作がしっくりきていなくて、それで状態が変わってしまったと。
今やっている脚本は、一年後の公演の一部分になる予定で、かつこの脚本単体を30分ほどの小作品として12月頃に発表予定。そのため、最初に明転して始まるという、実際的な動きをつけた。その動きがしっくりきていなかったという話。
じゃあ最初の「動き出し」をなくしてやってみようと犬飼が提案。
しかし、最初につくった「動き出し」は、何度も繰り返す際に省略して始めていたから、今から「動き出し」をなくしても変わらないのでは?と浅井。確かにそうだった。
ちょっとした変化で西山さんの状態が変わってしまい、元に戻すことができなくなってしまったということ。
そのため違う指示をした。西山さんの場の支配力を上げるために、会話の主導権を握ろうとしてくれと指示。これでもう一度やってみたら状態が戻った。それを確認して稽古を終了した。
今回の流れが悪くなった原因を、話を詳しくしてみるまで犬飼のほうでは認識できていなかった。違うところに原因があると思っていた。
・・・
終了後、給湯室のところでたっちー(立蔵さん)がカゲヤマさんとビリヤニをつくっていた。時間があったら食べていってと誘われたが、全員あまり時間がなく、帰らねばいけなかったのが残念だった。ちょっとビリヤニ食べたかった。
*****
犬飼勝哉
■渡邊さんが来ない
12時半ごろ急な坂スタジオ着。「本日休業」という立て札が玄関にあるが、自動ドアは開く。事務所にひとりいた加藤さんから鍵を受け取り、スタジオ1へ。本来は今日はお休みのところ、開けてもらっている。
今日もロビーでラジオ体操第1と第2を落とす。13時ごろ浅井着。少し遅れて西山着。
今日は昨日と同じメンバーで、浅井浩介、西山真来、渡邊まな実の三名。
渡邊さんはまだ来ない。LINEを送るも既読にならない。そういえば今日の朝から料金未払いで携帯電話が止まっていて、先ほど日ノ出町駅前のセブンイレブンで支払ったばかりなので、しばらく犬飼との連絡が取れなかったはず。その間にもしかして何かしら連絡をくれていたのかもしれない。
といっても今日はそれほど終わりの時間がタイトではない(全員に後ろの予定がない)ため待ちながら雑談的な内容の話。
■犬飼と鏡
犬飼としてはほかのカンパニーの稽古場の様子について積極的に聞きたいと思っている。思っているというか、ついつい尋ねてしまう。
今日は浅井と西山さんが二人とも参加していた現場の話を立ちながら。スタジオの壁の一辺が鏡張りになっているが、その鏡に自分の姿が写る位置に、犬飼は自然と来ていることが多いと、この時自分で気がつく。
二人は鏡に対して背を向けていて、立ち位置は三角形の位置取りになっている。
気がつくと渡邊さんから連絡が来ている。開始時間を一時間間違えていたということ。ゆっくり来てくださいと伝える。
■渡邊到着
14時に渡邊着。
話題は盛り上がり、まあ他の現場も他の現場でいろいろと大変だということ。最終的な公演というかたちでしか作品は見えてこないが、稽古場では非効率なことがたくさん起こっているということ。
たとえば作品に関するフィールドワークなど、稽古以外のことをする意味があるのかどうか、出演者の作品に対する関わり方の大小の問題。
ラジオ体操はさっき渡邊さんを待っているあいだに一度やったので、本日二回目のラジオ体操。喋りながらやったため、多々間違える。とくに西山さんの動きが適当。
■お手玉
今日は「お手玉」をやってみる。これは数年前までウォーミングアップとしてよくやっていたもの。
全員で輪になり、お手玉を複数個(人数によって数は増やすことができる、今日のように4人の場合、2個が限界)投げてパスしていく。
名前を呼び、その人にパス。複数個のお手玉は、1個目のお手玉の後を追っていく。
コツとなるのが、名前を呼ばれた際、呼ばれた人が「はい」と返事をして、受け取る構えをしっかり示す。構えを確認してからお手玉を投げること。追従するお手玉を投げる時も同じく相手が受け取れる状態であるかと確認してから投げる。
追従するお手玉を処理中の人は、新しく先頭のお手玉を受け取ることはできない。その場合、名前を呼ばれても返事をしない。そのルールを徹底する。
これがそこそこ人数がいて、5個くらいのお手玉がスムーズに回ると気分がいい。
慣れてきたら今度は名前を呼ばずに無言でパスをする。こうすると雑談をしながらでも可能になる。
今日はひさしぶりにこの「お手玉」をやろうと思ったが、お手玉を家から持ってくるのを忘れてしまい、事務所で加藤さんから、謎の宝石みたいな物体を数個借りて、その謎の物体で「お手玉」をやっている。
このようなウォーミングアップ的なものは、だんだん恥ずかしくなってあまり今ではやらない方向になっていったが、効果はあるような気もしている。
■自己紹介
さて、今日みたいに雑談が盛り上がっている時に、さて始めましょうと稽古の内容に移っていくのは毎回学級委員みたいで嫌な気分だ。しょうがないないけれど始めさせてもらう。
毎回やっている「自己紹介」から。昨日と同じメンバーでまた自己紹介。渡邊さんは新潟出身だけれど埼玉のほうに畑があって、お米を毎年送ってくれるのだそう。
今日は「今後の展望」という話題でもう一周、話してもらうことにした。
犬飼は、一年後の公演に向けて、もっと演劇を「神聖」なものにしたいんだという最近ハマっている話題。浅井は展望というのは特にないが、と前置きした後、演技面での話で、細々とした演技ではなくもっと大きくできないとダメだというような話。
渡邊さんは、今日は昨日と髪の色が違うと思うんですけど、と言い(全員、言われてから気がついた。そのくらいうっすらとした茶色)、9月に出演する公演に向けてもう少し茶色くする予定(黒髪が紫式部のようだ(?)と言われたらしい)、それでまたその後の公演のために黒く戻して、という一年間くらいの髪型の方針がすでに決まっているらしい。
西山さんは、これは前にも話したんだけれどもという前置きをして、今まで頭のなかで起きていることにしか興味を抱かなかったが、舞台に立つ側として、もう少し外側からどう見ているかについて考えたほうがいいという当たり前のことに今さらになって気がついた、という犬飼は2,3回くらいすでに聞いていた話。
*****
犬飼勝哉
■テキスト
いつものように「物体X」を三人でやることになる。
今日は「小柴」を浅井、「村松」を西山さん、「串田」を渡邊さんにお願いする。渡邊さんに男性の役に入ってもらう。男性の役を女性が、女性の役を男性がするというような性別の逆転は、稽古の段階でも実はあまりしたくない。
数回繰り返してやってみる。
先日言っていた「バッティングの後の動き」という言葉で、動き方の理想を伝えた。
しかしあまりよくわからないと。昨日もいた西山さんも、昨日はその説明を聞いていてなんとなくしっくりきたが、今日はわからなくなったと。
その指示がちゃんと伝わる文脈に昨日はあったのだが、今日はそうではなかった。昨日のメンバーで一度やってみた後に効果的だった指示を使いまわしたのが、確かに良くないねーという話になった。
言葉には伝わるタイミングとうまく伝わらないタイミングがあった。
昨日は指示が浸透していく感じがあったが、今日はとくに言うべきことが見つからなかった。「立ち」でやってみた後も「うーん…」と黙ることが多かった。
でもこの時、「とくに今のところ言うことはない」と、今の沈黙の意味を言葉にして伝えられた点はよかった。演出の沈黙は俳優にプレッシャーを与えるもの。
今のように脚本を手に持ったまま「立ち」をやっている段階で、この状態ならば別に問題はないかということ。そういった意味でとくに言うべきことがなかったのだと結論。
演出の存在がこういう時には不要なのかも。
セリフを覚えたり俳優間で確認をする時間を取るために、演出がいない稽古の日を用意してもいいかもと考えている。
俳優同士で確認をおこなう際に、演出というポジションは立場的に邪魔なのでは? ただその場にいるだけで、俳優の自主性みたいなものを奪い取っている気もしている。お任せでやってもらう時間を用意する、ゆくゆくはそのようなつくり方も、と考えた。
■「日面通過」
16時半ごろ、浅井が他の稽古場へと向かったので、残りの時間はもうひとつ印刷してもらっていた「木星の日面通過」というテキストの一部を用いて、やってみた。男女二人の場面で、西山さんに男性の役をやってもらう。
渡邊さんのセリフの読み方が、犬飼の想定していた範疇を超えてくる。セリフを書いた際の意図とは異なるかたちで、セリフが発せられることが度々あったという意味。そういった想定外を効果的にかたちに残せるよう、もう少しどうすべきか細かに考えてみるべきだ。
演出と俳優のあいだで、イメージするビジョンが異なる場合はよくある(あって当たり前な)ことなのだけれども、その食い違いをお互いどこまで詰めるべきなのか、とりあえず犬飼の場合、もう少し言葉にして伝えてみるべきだ。なんか面白いから、といって放置しないこと。
演出と俳優という立場でいると、どうしても演出に発言権が偏ってしまうところがあるが、これは単なるロールプレイだと意識しておいたほうがいいと思った。言葉を交わす際は互いにリスペクトを持って。お互いにマウントを取り合うようなコミュニケーションは避けること。とくに権力に偏りが生まれる場にいるから勘違いしやすいので気にかけておくべき、こんなのは単なるロールプレイにすぎないということを。
あと、一度の機会ですべてを説明しようとしない、とメモ書きが残されてる。
俳優は身体に落とし込む作業が必要となるので、いっきに全部を伝えようとしても混乱するだけだから、節に触れて。
*****
犬飼勝哉
■打ち合わせ
11時半ごろ到着。事務所内で加藤さんと持田さんと打ち合わせ。今後の運びなど。こちらからお願いしていた「公開稽古」について、特にやる必要がないのではないかという話。
この時点で、日誌がまだ一日分しか書けていなかったので、ついついその弁解をする。稽古場のことを書こうとするとうまくまとまらない、最終的にまとめの文章をそれなりの分量書こうと思っている、実際のところ今回スタジオ内でやっていることは悪くなく手ごたえを感じているので順次日誌をあげていく、などなど。
STスポットや急な坂スタジオの昔話、今の助成のおおまかな流れについての話を雑談的に聞く。こういう話をしていると、犬飼の性格上、仕事の邪魔をしてないかなどがついつい心配になってくる。ずっと喋ってて大丈夫なのかと。
■開始、モップ掛け
事務所で話をしていると渡邊さんが来たので切り上げて、13時ごろから稽古開始。トイレに行っているうちに今日の参加者が全員揃っていた。始める準備がまだできていない。
ずっとスタジオ1を使っているが、最近床のホコリが気になっていたので、ざっとモップ掛けをする。
モップは「CR」と書かれた部屋の正面に、ほかの掃除用具などと共に置かれてある。
モップの竿に対して、先端の「モップ部分」が外れやすくなっている。竿の根本がガムテープで補強してあるが、すっぽ抜けてしまい、元のように穴にはめ込もうとしても補強でぐるぐる巻かれたガムテープが邪魔になってうまく差し込めない。
結局「モップ部分」を直接手で押して、雑巾がけのように、モップ掛けをおこなう。
犬飼「この動き懐かしい」「普通のモップ掛けよりこっちのほうがホコリがよく取れる」。
渡邊さんが手伝おうともう一本モップを持ってきたが、スタジオはそれほど広いわけではないので、戻って来た時にはもうすでに全面、掛け終わっていた。
今日の参加者は、西山真来、浅井浩介、渡邊まな実の三名。
渡邊さんは今回の20日間の始まった第2日目に来てくれた以来の登場。
■ラジオ体操
Wi-Fiの繋がるロビーにノートパソコンを持って行って、YouTubeでラジオ体操の音声だけの動画を落とし、スタジオに戻る。スタジオ1は奥まった位置にあるのでWi-Fiは届いていない。
ラジオ体操を開始時におこなうというのが、数日前からの恒例となっている。
まず最初に強制的に身体を動かしておいてもらったほうが、その後、頭の動き方も違う気がしている。今日も第2までおこなう。
第2の最初のほうにある「ゴリラの動き」体操は子供のころどうして恥ずかしかったのか、などという話(そもそもこの話を最初にしたのは先日来た本橋くんだったか)。
■自己紹介
ラジオ体操をした後の輪になった状態をキープしてそのまま自己紹介に入る。これも今回は毎回恒例となっている。全員が知らない仲ではないので、自己紹介の途中で話は発展していく。
渡邊さんと西山さんがこの前どこで会ったのかという話。
渡邊さんの記憶に対して西山「そうだっけ?」「どこどこで会った、みたいなことをいろんな人に言われるが、覚えてないことがよくある」。
浅井は現在ダンスカンパニーのクリエーションに参加していて全身が筋肉痛らしい。
自己紹介の後、もう一周、別の話題で話を振る。今日は「最近興味があること」。
犬飼は昨日に引きつづき、先日見に行った水止舞の話。獅子舞の中身について。
渡邊さん(この時、いつの間にか輪になっている並び順が変わっていた。さっきまで犬飼の右隣が西山さんだったはずなのに)は、佃島の盆踊りについて。行ってみたかったがもう終わってしまった。今度は8月にある藤沢の盆踊りに行こうと思っているとのこと。
西山さんは、さっきの犬飼の話は昨日聞いて自分だけ話を聞くのは二回目なので、同じ話を二度聞く時に、どう聞けばいいのかが難しいという話。どのように相づちをすればいいのか。
犬飼が最初に「この話は二度目になる」と初めに言って話し始めたので、自分(西山)も聞くのが二度目になると(浅井、渡邊に)思われているから、あまり話に食いつくと変だと思われるし、相づちをまったくしないのも相手を話しづらくさせる。
そのため、話のなかに初めて聞く「新情報」が出てくると、逆に食いつきすぎてしまう(?)。
この二度目の話に、まるで知っているかのように相づちを打つような事が、演技中の状態に近いのではないかという話だった。
浅井は、この前見に行った演劇で予約ができなかったという、けっこう何でもない話。「知ってます?――」という初めの語り口が、なぜか怪談調に響き、まるで怖い話のような語りとなる。
■インターセプト癖
数日前から気がついていたのだが、犬飼には「インターセプト癖」がある。相手の話を遮りがちなのだ。そのため気づいてからは、あまり相手の話に入っていかないよう、実は毎回気をつけていた。相手の話は最後までちゃんとよく聞くものだし、自分の想定していないほうへと人の話は転がっていくもの。伸びた枝を早めにカットするようなことはしない。
とくにこの「インターセプト」は、浅井に対してよく起こりがちだった。そのため今日はとくにそうならないよう気を配っていた。
これは普通に喋っている時にはあまり出ない癖で、稽古場にいるときに顕著(だと思う)。
*****
犬飼勝哉
■舞が始まる
ここまでが行事の前半部。これからが本番の獅子(水止)舞となる。舞台上に遅れて上がってきた頭飾りの男三名が主役の獅子だった。うち二名は紺色の垂れ幕で顔を覆い、一名が赤色の垂れ幕だ。
ともに上がってきた女性二名は、赤い垂れ幕で顔を覆い、手にはギロのような楽器。擦って音を出して、脇に立ったまま伴奏に徹する。
舞台上奥(お堂を背景に考えて奥)には、頭飾りの男女の後ろについてきていた横笛の男たちが三列くらいになって座る。
獅子舞は以下の順番でおこなわれる。
1雌獅子の舞
2出羽の舞
3大若女・水止舞(トーヒャロ)
4コホホーンの舞
5雌獅子かくしの舞
6仲良く3匹が踊る
(ホームページ参照 http://www.mizudome.com/abstract/mizudome)
■ナレーション
獅子舞の始まる前に、マイクを通してご挨拶が入る。今年の雌獅子役を演じるのは、大学四年生の●●君です、花籠(女性二名のポジション)は▲▲さんと■■さんです。と実名で紹介される。雄獅子、若獅子役の人は青年会のもの、とだけ紹介される。
各演目が始まる前にも、これから~~の舞です、とマイクを通してアナウンスが流される。声は年配の男性の声で、境内のどこかから喋っているのだと思う。
この獅子舞のメインとなるのが五番目の「雌獅子かくしの舞」。雄獅子のところから雌獅子を連れ出そうとする若獅子、それを妨害する雄獅子。という雌獅子の取り合いの舞。
何度も阻まれても果敢に雌獅子の「前に出ようとする」若獅子。それを目ざとく見つけて襟元をつかんで遠くに放り投げる雄獅子。
そして最後にようやく「前に出られた」若獅子。それに怒って雄獅子は舞台を強く踏み鳴らす(この強く踏む音と舞い上がる埃は迫力があった)という、そのような流れ。
この「雌獅子隠しの舞」の最中、マイクの音声で三匹の状況をしっかりと解説をしてくれる。
若獅子が「前に出ようとする」「前に出ようとするのを阻止する」「ようやく前に出られた」など、アナウンスがしきりに「前に出る」という表現を多用するのが面白い。
単純に位置的に前に出るというのだけではない意味に、だんだんと聞こえてくる。
最後の舞。「最後は仲直りして、三人で仲良く踊りますーー」という解説が入る。「終了まで13分くらいかかります」。
■獅子舞
三匹の獅子による舞。獅子舞といっても、よく地域のお祭りなんかに出現する顔と唐草模様の布で覆われたあれではない。前述したように、三人が頭飾りを被り、その頭飾りから垂れたカーテンのような布で顔を覆って、三匹は二本の脚で立っている。
後ろに頭に花を飾った「花籠」が二名いる。彼女らは舞には参加することなく、ひたすら「ササラ」というギロのような楽器を、笛の音とに合わせて鳴らすだけ。
獅子舞はお腹のあたりに太鼓を備え付け、両手に持ったバチで叩きながら舞う。
雌獅子の舞は基本的にどの舞でも同じ動作。右にステップを踏み、身体を右に向け膝を屈伸、左にステップを踏み、身体を左に向け膝を屈伸、の繰り返し。雄獅子、若獅子の舞はもう少し複雑だ。
雌獅子の動作が簡単なものといっても、この気温の中、長時間それをつづけるのはかなり大変だろう。舞と舞の切れ目には、舞台奥の「笛ゾーン」にいた人から扇子で風を送ってもらっていた。
舞台奥の「笛ゾーン」には横笛を吹いている人のほか、何もしていない人も座っていたのだが、その人たちは中盤になって歌を歌い始めた。舞のなかにいくつか歌が入るものがある。
また、獅子の頭飾りが取れかかったりした時にヘルプに入る人もその「笛ゾーン」に待機していた(歌うたい要員と兼ねているのかも)。
舞の途中にヘルプに入る様は、たとえばライブハウスの演奏中かなんかに、コード処理やマイクスタンドが倒れそうになっているのを支えに入ってくるスタッフかのよう。
最後の「仲良く3匹が踊る」という舞で、三人の獅子が向かい合い首を上下させるというシークエンスがあるのだが、この動きで雌獅子の頭飾りが外れた。後ろから人が出てきて紐を結びなおす。そのあいだは雄獅子と若獅子だけで頭を振る。
結び直しに結構時間がかかっているあいだも、獅子舞は続行される。そしてそれがとくに問題というわけでもなく、ふたたび雌獅子は舞へと戻る。
■中休憩
「コホホーンの舞」とメイン「雌獅子かくしの舞」のあいだには休憩が入る。
真夏の日中に境内でつっ立って舞を見ていると頭がぼーっとしてくる。それからさっきから何匹も黒蟻が脚をのぼってくる。ハーフパンツをはいているので生足が出ていて、木の幹の表面のように昇りやすいのだろうか。
境内の隅にあった飲み物の自販機で、「微糖アイスティー」というどこのメーカーだかわからないペットボトル500mlを購入。二口で半分くらい飲んでしまう。
休憩のあいだ、獅子たちは用意されたパイプ椅子に座る。舞の舞台に上げられたパイプ椅子がまるでオーパーツを見ているようでなんかいい。
舞を見ている観客らは、徐々に減っていく。たしかに前半のまるでスプラッシュマウンテンのようなスペクタクルと比べると、若干単調で退屈なところもある。
■舞の途中に
休憩が終わり、この水止舞のメイン「雌獅子かくしの舞」が始まる。しかし舞台上でおこなわれる舞は、周囲の観客からの注目を一心に浴びているかと言われると、そうでもない。境内のいたるところでは雑談が交わされ、もう祭りが終わったかのような内容の、実行委員同士の会話も。
さらには酒配達店「カクヤス」の配達員が、台車に瓶ビールを3ケース載せて境内にやってくる。境内の石畳の凹凸や、土の地面との段差で、台車はガタガタ大きな音を立てるし、段差をキャスターがうまく乗り上げず、一人で来ている配達員は少々手こずっている。そんな中、メインの「雌獅子かくし」は舞われているのだった。
ただ、「JCOM」のカメラマンが舞台の近くで、シャツにジーパン姿の男性に話しかけられ、延々と仕事の話をしているのに無粋さを感じてしまった。「仕事の話」というのは内容まで聴こえなくても話ぶりでわかってしまうところがあった。
獅子舞の最中におしゃべりをするなよ、とこの二人だけにはなぜか感じてしまった。ほかの至るところで「おしゃべり」はされているのにもかかわらず。
この「マナー違反」に対する線引きは、いったい自分のなかでどうなっているか、それがなんとなく面白かった。
■終了
最後の舞の終了間近、見物客らが舞台の前にざーっと出ていく。
舞を終え、獅子たちは頭飾りを脱ぐ。マイクによるアナウンスで説明がある。この獅子の頭飾りを被るとご利益があるという。頭痛が治るらしい。
男性は雌獅子のものを、女性は雄獅子若獅子のものを被らなければいけないらしい。被るといっても頭をちょんと当てる程度。
前に出て行くのが恥ずかしいので、被らせてはもらわなかった。
最初からずっといた撮影クルーが見物客で獅子の頭を被った女性にインタビューしている。撮影クルーは「ニコニコ動画ですけどーー」と名乗った。つづいて踊り手が息子だという女性にもインタビュー。
・・・
獅子舞は15時頃終わった。歩いて大森町まで戻る。暑い屋外に長時間いたせいか、熱中症の初期段階のような頭痛がしてくる。さっきの獅子舞の頭を、ちゃんと被らせてもらったほうがよかったのかもしれない。(終)
*****
犬飼勝哉
■水止舞
行事が開催されるのは大田区大森町、厳正寺の境内。
水止舞は、約680年の歴史を持つ「長雨を止める」ための祈りの行事で、東京都無形民俗文化財というモノにも指定されている。
藁に巻かれた男が法螺貝を吹き、水を浴びせかけられながら運ばれるという、まあよくわからないが、面白そうなので行ってみることにする。
平日(今日は金曜日)の真っ昼間、13時から始まるとのこと。外は炎天下である。
■開始前
12時半、京急「大森町」駅到着。
京急で日ノ出町までの定期を持っているので途中下車。グーグルマップで確認しながら厳正寺のほうへ。
歩く道には日陰が少なく、真夏の日射しが容赦ない。下町風の雰囲気が漂う街並み。この辺りにたしかシンゴジラは上陸したんじゃなかっただろうか。
寺へとつづく脇道の入口に、パイプ椅子に腰かける老人。祭りのための交通整理の係だろうか。メッシュキャップを被って、Tシャツに短パン。
脇道に入っていくと、だんだん人が増えてくる。
白地に紺の▼模様の羽織を来た人たち。見物人も多い。
寺の境内を通り過ぎ、人が集まっているほうへ。道の両側に二、三箇所、大きなポリバケツが数個置かれるポイントがあり、ホースで水が溜められてある。
魚屋の軒先や海苔屋の前、そのほか普通の民家の敷地内になど。
道を行くと正面に見えてきた中学校の、校門前に人だかりができている。
あそこがどうやらスタート地点らしい。
今の時刻は12時45分頃。
頭に大きな飾りを乗せた男性三名、女性二名、取り巻きに囲まれ、やってくる。
頭飾りは円形で、男性のものは黒い鳥の羽で覆われ、女性のものには造花の花が円形の周囲にぐるりと飾られている。それを顎下にひもを結んで支えている状態。
女性二名はかなり若く、中学生か高校生くらいの年頃に見える。
タンクトップ姿の、カメラを構えた白人女性が近づく。強引に、頭飾りの女性の前に回り込んでしゃがみ、シャッターを切る。
頭飾りの女性はアップで写真を撮られて少々恥ずかしそうだけれども、撮影には無言で応じている。
■撮影隊
思っていたよりも見物人の数は多い。知らなかったがかなり有名な行事のようだ。
首からカメラを提げる人々。60~70代くらいの男女が多いが、若者の姿もちらほら。
近くの小学校から担任の先生に引率されてやってきたと思しき、赤白帽に体操服の小学生の集団。
どこかのテレビ局の四人編成の撮影隊。それとは別に背中に「JCOM」と書かれたポロシャツを着るカメラマン。「JCOM」のほうはカメラマン一名だけで撮影に来ているようだ。
■開始
中学校前のT字路の中央に、いっきに人だかりができる。後ろから覗いてみると、巨大な俵状の藁の中に、白装束の男が入っている。いよいよ始まるらしい。
藁は二くくりあって、それぞれ一名ずつ、男が入っている。
筒状の藁は横向きに寝かせられ、その一方からは顔と腕が、反対側からは足袋をはいた足が出ている。つまり腹ばいで男が中に入っている。
中の男は、一人が30代のがっちりした男性。もう一人が40代くらいに見える、こちらもがっちりとした男性。手には法螺貝の吹きもの。
運ぶ役の男性はさきほどの、白地に紺の▼の羽織を着ている。それぞれに六名ほどが付いている。足は裸足。
■前半「道行」
13時過ぎ開始。予定より少し遅れて始まった。
祭りの囃子が流れ始める。笛と太鼓の音。藁のなかの男たちは、その囃子にとくに合わせた調子ではなく適当なタイミングで、ロングブレスで法螺貝を吹く。
簀巻きの男が運ばれるその後ろにつづいて、浴衣を着た子供たちの列(この子供たちは「水止舞」のため今日は学校を休んでいるのか、見学の赤白帽の子供たちに「あ、●●だ」と名前を呼ばれるやりとりもあった)。
子供たちの列の後ろに、頭飾りの男女。その後ろに横笛を吹く男と太鼓を叩く男がつづく。
祭囃子はスピーカーから流しているのだと思ったら、本当に演奏されていたのだった。
行列のなかでいちばん見物人を多く引きつけるのは、先頭の簀巻き男たち
運ばれる道は、ごく普通の住宅街の生活道路。民家の二階から祭りの様子を眺める人も。道は車一台が通れる程度の幅。
通り沿いにあった安アパートの階段を上がり二階の廊下の位置から、その様子を見物する。
水が行列の前方から、簀巻き男たちに向かって浴びせかけられる。途中で見かけたポリバケツの水は、給水ポイントだったらしい。
水掛け係が5,6名でバケツに水を汲み、見物人たちにも容赦なく浴びせかける。
簀巻き男をカメラで撮ろうとする人たちは水浸し。
こうなることを見越して合羽を着てきている人らもちらほら。水がかかるたび歓声が沸き上がる。
赤白帽の小学生らはキャーキャー叫ぶ。
赤帽子の女子、「もっと水くださいもっと水ください~」とクラスメートとふざける。
■水掛け係
「水掛け要員」として動いているのは、町内の子供たち数人、それからボーイスカウトの服を着た人(こちらは子供ではなく大人)も何人か。
子供たちは、徐々にお互いへの水の掛け合いに進展しがちで(とくに男の子と少し年上のように見える女子)、そして水掛けのやり方もちょっと加減がない。
水掛け係を仕切っているのは、30代前半くらいの男性で、子供たちに「もっと上から」と何度も指示。
「上から」というのは、バケツの水を高く空中に撒いて、雨のように降らせろということ。
しかし子供たちの掛ける水は高く上がらず、水平に飛ぶため、その方向にいる人にバケツ一杯分の水が、まとめてかかる。
写真を撮るために列の先頭に回り込んでいた男性の背中に、少年の撒いた水が勢いよく浴びせかけられている。男性、カッパを着ているがその水圧で若干よろける。
道を向こうから歩いてきたおじいさんに男の子が正面からまともにバケツの水をかけてしまうというハプニングが発生した。おじいさん、怒った表情になる。男の子、やべーやっちった…、という感じ。そのような一幕もあった。
■アスファルトの熱
日中の日射しでアスファルトの路面がそうとう熱くなっているらしい。
水かけ係リーダーの男性がしきりに「下、下」と言う。行列の行く先々の路面に水掛け隊は水を撒く。
運ぶ人らは裸足。路面は一度かるく水で濡らした程度では熱が下がらないらしく、男たちはまるで鉄板の上を歩くよう。ちなみに水掛け係も裸足で歩いている。
簀巻きのなかに寝そべっている中の男にもアスファルトの熱が伝わるらしく「熱い熱い」と叫ぶと、周囲で笑いが起こる。藁に直接バケツの水を数杯かけてもらう。
男性、法螺貝を吹きつつ合間に、頭を傾けて耳に入った水を抜く動作。男の左手薬指にリングをつけているのが印象的だった。
この行事は、道路がアスファルト舗装になる以前からつづいている。このように路面を冷ますことが水掛け係の役割の大きなひとつになっている様子が、なんとなく面白く感じられた。
■境内へ
簀巻き男の周囲の見物客はかなりの人数。「(行列後ろの子供たちを後につづけさせるために)道を開けてあげてくださいー」と係の人から声がかけられる。
寺の門を抜けると境内につづく石畳の道の脇には、自転車がたくさん停められてある。その自転車の列の後ろに回って行列を見物する。
境内への門をくぐると、鳩が二匹からみあった像がある。この像はわりと新しいもののように見える。その奥にかなり大がかりな上がり舞台が組んである。舞台の背景には寺のお堂がある。
舞台の正面まで運ばれてきた男たち、ひとりずつ、スロープ状になった踏板を舞台上へと運ばれる。舞台に到着すると周りから拍手。到着した男はすぐに藁のなかから脱出し、舞台の脇の立ち、法螺貝を吹き続ける。
その法螺貝の音に招き入れられるように、行列の後ろを歩いてきていた頭飾りの男女が入場してくる。境内に入った時からか、頭飾りの縁取りから長い布を垂らしていて、顔が見えなくなっている。
さきほどの藁はほどかれ長い綱となり、正方形の舞台の周囲にぐるりと巻くように敷かれる。そして舞台手前の両端に、馬の顔のような龍神の顔の飾りが、それぞれひとつずつ取り付けられる。二匹の龍神。雄と雌らしい。
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犬飼勝哉
■テキスト
今日も「物体X」のテキストをやってみる。
先日おこなったように、一度三人で「読み合わせ」。その後「立ち」に移行する。いつものように西山さんに「村松」をやってもらい、そしてセリフ量の多い「小柴」を山科さん、年齢的にすこし年下になる役柄の「串田」を本橋くんにお願いした。
一度「立ち」をしてみて、いい感触だった。互いのやりくちがかみ合っていた感じがした。数回続けるうちにだんだんと状態が崩れていくことも多いが、ファーストインプレッションでいい感じの時はたいてい最終的にもうまくいく。
今回、毎回異なる俳優の組み合わせで同じテキストをやってみたために、その「違い」が明確に判った。
今回の場合、三人のあいだで「醸す」ような雰囲気があったのが良かった。
セリフが初めから与えられていると、俳優の意識はどうしても「セリフの言い方」に逃げていくところがある思う。ON/OFFがはっきりしてしまうというというか。つまりセリフを言っている時がONで、言っていない時がOFFということ。
これはあまりいい状態ではなく、演じられている人物(登場人物)の「人となり」が見えてこなくなる。内面がある人物ではなく、単なるスキルを見せられているような感じ。
そのため見ている側(観客)は若干乗り切れず、だんだんとつまらなくなる(最初は面白くみられるけど持久力がない)、損な演技だと思っている。
(…ただ、やっている俳優としては、このような演技は意外と「やりがい(やっている感)」の感じられる演技なのでは?と予想。間やタイミングなどで、空気を操作(支配)している感が得られるため?…)。
要はセリフの言い方を見せられるよりも、状態を見せられたほうが面白いはず(これは好みの問題ではなく、生理的な感覚だと思う)。だからセリフが立ちすぎている場合は、その角を丸く(馴染ませる?)するような演出をしなければならない。
で、「醸す」というのは、そのセリフが目立つことなく空気になじんでいる状態。全員のセリフを発する時と発さない時の違いがそれほどない。セリフを言っていないときもOFFになっていない。登場人物の「人となり」が見えてきた。
■バッティングの後の動き
今回のテキストは、何もない空間でやられることを前提に書かれている。
そのため舞台の立ち方になにかしらの負荷をかけなければ、強度が生まれないような気がしていた。前の日誌で書いた「浮く」状態というのが、それにあたる。
「バッティングの後の動き」という例を挙げた。
セリフを言った際、もしくはなにか動作をした際に、余韻のような、剣道でいうところの「残心」のようなものを大きくしてほしいという、かなり抽象的な、なおかつ演出にもはっきりとしたビジョンのない指示だった。
一度「立ち」をおこなった後にこの話をしたところ、なんとなく伝わった感触があった。
俳優にもいちおう共有できたような?でも実際それがどういうことなのかはいまだにわかっていない。
たぶん少し「ラフ」にやってほしいということだと思う。なにもない空間で演技をおこなうことに「ラフ」であることで、あえてやっている感を出すいうか。その「ラフ」感を強める動作のたとえとして「バッティングの後の動き」と表現した。
ただ「バッティング」という言い方が、誤解を生む可能性があるような気もした。「打つ」というひとつのアクションをイメージさせて、なんだか先ほどのON/OFFのONの感じはっきりさせてしまうところもあるような気がした。
終了後、野毛町の中華料理屋に四名で行く。
日ノ出町には孤独のグルメに出たという台湾料理があるが、行列ができていたため、野毛町の飲み屋街のほうに歩いていって適当な、孤独のグルメではない店に入った。
*****
犬飼勝哉
■本橋、自転車でやってくる。
本日の参加者は、西山真来、山科圭太、本橋龍の三名。
急遽、本橋くんに来てもらえることになった。自転車で二時間半ほどかけて、急な坂スタジオまでやって来た。ちなみに本橋くんは犬飼の自宅から10分くらいのところに住んでいる。東京都練馬区から、自転車で横浜日ノ出町まで。
最近ロードバイクを手に入れて、節約のためどこに行くにも自転車らしい。後に西山さんに指摘されるが、半袖の跡がくっきりとついていた。それは今日一日だけでできた日焼けで、ここ数日暑いけれども今日はとくに一番の日射しのような気がする。
山科さんも犬飼の最寄りの隣駅、西山さんも中央線沿いに住んでいるので、その全員が横浜まで移動していることになる。山科さん初参加。今回来てもらいたかった俳優の一人。
14時開始。
■ラジオ体操
前回と同様に、ラジオ体操をおこなう。今日は第二までのフルコース。
ラジオ体操第二は、各パートが流れ移行できるよう動きが繋がっていて勢いをつけられると本橋くん。たしかにやってみるとそうで、第一と比べて第二のほうがテンションが上がる(?)ところがある。
犬飼は今日の早朝、野毛山の公園でラジオ体操に巻き込まれた(後述)ため、じつは本日二回目。夏はやはりラジオ体操だ。
俳優に強制的に身体を動かせている感はしないでもないが、効果はあるような気がする。お尻を一度床につけた俳優に立ち上がってもらうのには、意外と気をつかう。最初に一度かるく動いておいてもらいたい。
■自己紹介
スタジオ中央で輪になったまま自己紹介がてら一言ずつ喋る。
本橋くんと山科さんが初めて会うことになる。西山さんと山科さん、西山さんと本橋くんはお互い知っている状態。本橋くんは自身の団体で主宰、脚本、演出をしている。舞台美術をつくることもできるので、犬飼の公演の際、いろいろと手伝ってもらったことがあった。
もう一周だけ「最近興味のあること」というテーマで。
犬飼は昨日大森町で見てきた水止舞(後述)のこと。本橋くんは「大人になる」ことについて。最近、本橋くんはしっかりと働いているらしい(「といってもアルバイトなんですが、」と前置きをしつつ)。
コンビニバイトのようなものではなく週5、6で朝から夜までしっかり仕事に入ると、頭を使って考えなければいけないことが意外と多いなという、皆そのようなことを普通にやっていることに最近驚きだ、という話。
じゃあこの今いる人のなかで一番「大人」なのは誰かという話になり、本橋くんは山科さんだろうと。いやそんなことはない、あまり相手の事をよく知らない事が、その人が「大人」に見える要素のひとつだ、と山科さん。
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犬飼勝哉
「急な坂スタジオ」館内の自販機で当たりが出た。「777」が揃った。
これまで人生で当たりが出たことは一度しかなく(ジュースはわりと購入するほうなのだが)、これは…!と思い写真に収めた。
ただ「777」の赤いランプは点滅する。うまく写真を撮るために試行錯誤していたら、制限時間は虚しく過ぎ去り、「当たりのもう一本」を選ぶことは、すでにできなくなってしまっていた。
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犬飼勝哉
■テキスト
「物体X」をやってみる。三名の登場人物。今日いる三名にそれぞれあて振り、一度本読みをおこなった。矢野くんに「串田」、前原くんに「小柴」、西山さんに「村松」という配役。
「串田」と「村松」についてはそれぞれ、矢野くんと西山さんをイメージして書いたところがあった。
まだ全部書けているわけではないが、2/3くらいできている。前回の稽古で一度読んでみて書き直したわけだったが、だいたいの狙いはよく、まずまずの出来。これくらいならば、つづきを書くことができると思った。
一度、座った状態で「本読み」をしてセリフを確認したのち、「立ち」で、つまり脚本を手に持ったまま実際に動いてやってもらった。今回印象的だったのが、個々による舞台の立ち方の違いというものだった。個性というかそれはもっと外側の「やり方」の違いみたいなもの。とくにこれといった指示をしないままやってもらったので、ニュートラルな状態でその違いが現れたのだと思う。
矢野くんはかなり「生」の状態で立とうとしているのがわかった。逆に前原くんは演技の中に表現を収めようとする力を強く感じた。二人のやり方が対照的だったからこそ印象に残ったのかもしれない。
矢野くんのやっていた「串田」という役は観客に語りかけるような状態になる箇所があるのだが、その箇所で、演出の犬飼のほうを直接見た。
このような場面で、架空の観客を目の前につくり、そこに対して話しかけるようなタイプの人もいて、これまでけっこうそっちタイプの人が多かったが、矢野くんはフィルターを通さず目線を投げるので、犬飼見られてちょっとびくっとなる。矢野くんに稽古場に来てもらうのは初めてだった。
このようにそれぞれの「スタイル」がはっきりしているというのは、演出する側としてかなり好印象だった。好印象というか、きっと演出する際にやりやすいんだろうなと思った。俳優のやり方(主義的なもの?もしくは「こういうことがやりたい」という意思みたいなもの?)をしっかりこちら側に示してくれるような演技だと思っていた。
■動物園
16時頃、次の用事があり矢野くんは去っていった。犬飼、西山、前原の残された三人で野毛山動物園に行く。動物園は16時半閉園。現在16時10分ごろ。入口の透明板の向こうの女性に16時半までだと念を押される。急ぎ目に大型の動物がいるところを優先して案内する犬飼(だいぶ園内に詳しくなった)。
キリンの柵に、昨日まではずっと姿のなかったキリンがいる。首をこちらに伸ばして下の芝生の草を食べようとしていて、けっこう大迫力。
ライオンは寝転がっている。ライオンがいるのはすごいと前原。あと前原くんが舗装された通路まで出てきた大きなミミズを発見。
チンパンジーはいなかった。ちなみに1966年生まれのピーコも、今まで一度も姿を見たことがない(ピーコだけ真ん中の檻内で一人暮らし中)。
20分ほどで動物園出る。動物園は坂を上りきったところにある。視界の開けたほうにベイブリッジが見えると前原くんが言う。たしかに少しだけベイブリッジが見えた。
■小豆島そうめん
事務所内にてそうめんを食べさせてもらう。同じく「相談室plus」のたっちー(立蔵さん)が今日から(昨日から?)和室に入っている。交流会ということでそうめんパーティー。そうめんがかなり太い。まるでスパゲッティのような。これは小豆島のそうめんらしい。
ネギ、オオバ、ミョウガ、ガパオ(!)など薬味がたくさん用意されている。食べても食べても次々と茹で上がりどんどんそうめんが出てくる。最終的には溶き卵と天かすをあわせた「カルボナーラ」まで。事務所のデスクの上に茶殻の卵の透明パックが置かれてあるアンバランスな光景が印象的だった。
ちなみに、犬飼が入った時には、外の駐車場前でジンギスカンを食べさせてもらった。ビールはいつでもプレミアムモルツ。まったくもってありがたい限り。
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犬飼勝哉
このところめちゃくちゃ暑い気がする。さて、日曜から三日間通っていなかったがまた再開。このあいだの稽古から「物体X」を書き直し、2/3ほどできている状態。これを使ってこれ以降やっていく。
13時頃開始。本日の参加者は西山真来、前原瑞樹、矢野昌幸の三名。西山さんは先日の日誌にも登場したが今回のすべての日程に来てもらうことになっている今回の「協力者」。前原くんは前回の30分ほどの作品に出演をしてもらった若者。矢野くんは先日とあるワークショップで一緒にになり、すごいいい奴そうなので来てもらえないかと誘った。舞台に出演しているところを一度一方的に見たこともある。
ちなみにいつも脚本を書く時あて書きをするのだけれど、今回の書き直した「物体X」に登場する「串田」という人物は、矢野くんをイメージしながら書いたところがあった。
■ラジオ体操
今回から取り入れたのがラジオ体操。この前の反省というか、まず最初に全員(犬飼を含めた)に身体を動かしておいてもらう必要性を感じた。なのでとりあえずラジオ体操を最初にやることにしてみる。音源はYouTubeより。スタジオ内はWi-Fiが届かないため、入口ちかくのソファーのところまでパソコンを持っていって音源を落とす。今後この行為がルーティーンとなる。
スタジオ中央に四人で円となり、ラジオ体操第一。
■自己紹介
円の状態を保ったまま、自己紹介をする。といっても今回全員知っている仲。一言二言を付け加えたような自己紹介。犬飼から開始して右回りに一通りしゃべってもらった後、もうひと話題として「今興味があること」といったお題で、かるく喋ってもらった。こちらも犬飼から始めて右回り。この記録は日にちが経ってから記述しているため、何の話題が出たのかは忘れてしまった。
話をする際は一人の人がつらつらと話を進めるのではなく、横やりが入ったりする。今回のメンバーがお互いけっこう知り合いだから。真面目な話(何をもって真面目か知らないけど、たとえばそれぞれの今後の展望とかそういう、話すのにけっこうパワーのいりそうな話題)を軽いノリでどこまで聞ける/話せるのかはけっこう重要な気がする。
この2点は今後の日程でも、テキストをやる前に毎回おこなった。その日の終了時間によって異なるが(前や後ろに予定があったりして早出および遅いりの参加者が毎回いた)、話をする時間は計1時間くらいは取っていた。
スタジオ1は壁の一面が鏡になっているが、しゃべっている時もしくは聞いている時、矢野くんが身体をずっと動かしていると西山さんが指摘。脚をクロスさせて立ったり、腕と手首を変な角度に曲げたり。たえず細かに動かしている。
矢野くん曰く「もう癖になっている」。無意識で動いているらしく、言われるまで動いていることに気がつかなかったと。
この日に限ったことではないが、犬飼が積極的にほかのカンパニーの現場ではどんなことをするのかを聞きまわっていた。犬飼は俳優ではないためほかの現場をあまり知らないのだ。というわけで、そういった詳細を聞きたくなってしまう。
前回からの反省を実践してみた。あまり自分から方向づけをしないこと。場の責任を取りすぎないこと。無責任でいるということは意外と難しい。「今なんの時間?」という定義づけのない時間を自分に許すこと。うーんそんな感じか。自分の想定している枠の外側からなにかがやってくるのを待つには、そのような心持が要るのでは?
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犬飼勝哉
②稽古場の適切な雰囲気について
とにかくできるだけ関わる人間が心地いい状態で作品づくりをしたいと思っている。それは演出家である犬飼も含めて。そのために適切な関係や温度感を測りたい。要は「背骨を正す」ための機会として今回の期間を使用したいと思っているところ。
若干歪んでしまっている状態のものを元に戻すのは、ゼロから作り上げていくのよりも労力が必要だった。まず今回スタジオを使用できるようになった経緯から今回の期間のやり方、そして一年後に決定した公演をどんな風にしたいかなどを犬飼から説明。しかしこれがまったくうまく説明できず、結構ダメージを受けてしまった。
別に説明がうまくできないのは当たり前なのだ、だって一年後の公演なんだから今から具体的に何か決定しているわけではない。漠然とした指針みたいなもので大丈夫なはずだった。でもそれを口にするのさえなにか「試されている」ような空気が生まれてしまっている。これはいったいなんなんだ!と思いながら言葉を詰まらせていた。
長い関係のなかで滞っていくものがあって、それを今日自覚できた感じがあった。具体的に言うと、演出がなにか今の状況に適切な指示を与えて、俳優がそれにあわせて演技を変えていくという、一方的なコミュニケーションの関係だった。そして自分自身がもうそれに耐えきれなくなっている状態だなーと改めて感じていた。悪い状態のものを良い状態へと導かなくてはいけないというプレッシャーにもうあまり触れたくない。わからないまま話をしてもいい状態が集団創作のいいかたちではないのだろうか。演出と俳優が対峙するのではなくて同じ方向を向くような、簡単な例えだけれどもそんな感じだ。
ということで、この日少し路線変更をして、この期間中にやらないといけないことを考えてみた。本当ならもう少しだけ中身にかかわるようなこと(①のような)をしたかったが、集団の在り方についてもう少し考えてみたいと思ってる。
具体的な理想をいうと、俳優からも積極的に意見が生まれるような状態。それに合わせて演出はあまり方向づけを狭めないように気を付けなければいけない気がしている。稽古場をどういう方向にもっていくのかとか、最終的にはこうなってなければいけないみたいなことを固定化せず、その場にもっと合わせていくメンタリティーが特に犬飼には必要なんじゃないだろうか?そのようなことを考えた。
■新作の脚本について
数日前から書いていて完成させた新作「木星からの物体X」の読み合わせをおこなった。集まった俳優は二名だったので、三人登場するうち、いちばんセリフ数の少ない役を犬飼が読んだ。出来はいまひとつ。書き直しが必要だと判断した。
稽古後、一人になったスタジオにて、寝袋で寝る。こういうタイプの気疲れは食欲にダイレクトに反応して、ほとんど何も食べていない気がする。
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犬飼勝哉
俳優にスタジオに来てもらい、脚本を立ち上げてみる。新しく書いたこの脚本は、12月頃に発表予定のある短編『木星からの物体X』というもの。今年4月に「テアトロコント」で発表した『木星の日面通過』とともに、1年後に予定している新作公演の一部となる予定。今回の〈相談室plus〉の期間中は、この「日面通過」と「物体X」の二つのテキストを使って稽古をする。おもに未発表の「物体X」のほうを使用する。
13時から開始。本日の参加者は浅井浩介、西山真来の2名。二人とも犬飼と長く付き合いのある俳優で、浅井はこれまで10年ほど団体を一緒にやっているし、そもそも高校の同級生だったりする。西山さんも以前作品に出演してもらったことがあり、「京都時代」からの知り合い。今回の参加者は日によって異なるが、西山さんには全日程来てもらえることになっている。
最初に急な坂スタジオを使用できるようになった経緯を説明して、公演に向けての稽古ではなく、稽古のやり方を探るための機会にしたいという旨を伝える。今回の目標として、
①「浮く」感覚について
②稽古場の適切な雰囲気について
この2点を想定している。
①「浮く」感覚について
これまでの公演で、本番中や稽古の際「うまくいっている」と感じられた時、俳優の「身体」が浮いているように見えることがあった。この「浮く」感じについて考えてみたいと思っていた。
もちろん物理的に浮いているわけではない。さらに言うと、つま先立ちだったり重心が上のほうにきているといった身体の状態のことを指しているわけではない。むしろ脚がしっかり床についている感じで、他の言葉で表現すると「堂々としている(?)」。
なんとなく犬飼の眼には「浮いている」ように感じられていた。ほかの言葉で表現すると、「軽やか」、「適当にやってる感」「妖精的」など。
このような話をしたところ浅井はその「浮く」感覚がなんとなくわかるとのこと。浅井から西山さんへ解説するかたちで、この「浮く」状態の説明がおこなわれた。ただはっきりと言語化することはできない。
犬飼の戯曲の場合、舞台上の俳優間で交わす会話と、舞台外からの視点を意識したモノローグがシームレスに移り変わることが多い。さらにその移り変わりによって、場所のあいまいな切り替えや時間軸の歪みが発生する。そのため俳優の身体が、どの次元からも浮いて見えてくる。このような形式の戯曲をうまくこなすために、適切な舞台の立ち方、それが「浮く」感覚だということ(なのかな…?)。
今回、その「浮く」感覚をつくるために、なにかメソッド的なものをつくりあげようと個人的に考えていた。想定していたことはこんなやり方。
俳優に場(たとえば線で区切った四角内とか)に入場してもらい、しばらくそこで佇み、退場する。セリフがなくても場にいられるような身体ということ。たとえばちょっとした仕草だとか、それを2人でやる時、片方の人の目線にもう一人の人の目線がつられて動くとか、そのような動きを伴いながらその場にただいられる身体をつくる、というようなことを考えていた。
しかし実際に俳優に来てもらうと、その方法はなんだか間違っているような気がしてきて、ちょっとやってみようとも口にできなかった(一度お尻を床につけた俳優に、立って動いてもらうことは意外と気を使うところがある)。
浅井の話を聞いて、そもそもその「浮く」感覚は、身体から発信されるものではないのかもしれないとも思った。空間認識の能力というか。身体の内側から染み出してくるようなものではないのかもしれない。それは台詞を言うことによって生まれる感覚なのかもしれないとも思った。
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犬飼勝哉
7/6木曜 晴れ
スマートフォンにyahooのアプリからニュースが自動的に送られてくるように設定でなっているのだけれども、昨日から九州の大雨の情報がひっきりなしに届いている。まだそのニュース速報の内容まで詳しく見ていないので詳細はわかってないが、前代未聞のスケールの雨雲が九州北部に発達し、とんでもない降水量になっている(いた?)らしい。昨夜の時点で避難を呼びかける号外の速報が二回、二回目はさらに念押しのようなかたちで、送られてきていた。ニュースが届く時スマートフォンは、電話の着信でもメールでもライン通知でもないパターンの揺れ方をする。
さて、7/1から横浜の急な坂スタジオにお邪魔しているわけだが、今日から一階のスタジオ1のほうに移動してきた。それまでは二階奥の和室にずっとこもっていて和室といっても広さは三十畳あって十五畳の部屋と十五畳の部屋のふたつに、もとは襖で仕切られていたようなひとつづきの空間で、縦に長い。急な坂スタジオはもともと結婚式場だったらしいので、控え室のようなかたちで、この和室が使われていたのかもしれない、と思いながら和室にずっといた。空調のスイッチがOFFになっていても常時、外調機が作動していて、これは建物全体で動いているので停められなくて、天井からの風がうっすらと短パンを穿いている両膝に寒いので、タオルケットのようにして脇の障子扉の奥に収納されていた備品の座布団を、ずっと膝下に掛けていた。
それで7/1から今日まで何をしていたのかと言うと、えーと、まあ何をしていたんだろう。とくにこれといって何をしていたわけでもないのだけれども、とりあえずあとちょっとで完成しかけていた脚本を一本仕上げて、本を読んだりDVDを受付からいろいろ借りて観たりしていた。二日目の7/2には声をかけていた渡邊さんが忙しいなか来てくれて、話し相手になってもらった。
急な坂スタジオ前の坂道を上がっていくとすぐに野毛山動物園の門が見えてくる。すぐそこの目と鼻の先に動物園があるということで、昨日(7/5)行ってきた。動物園にしてみればそれほど広いわけではない敷地内には、トラとかライオンとか、キリン(!)といった大型動物もいるのだそうだ。ちなみにゾウはいない(かつては「はま子」というゾウがいたらしい)。入園料はきっと500円くらいだと踏んでいたらなんと無料だったため、とりあえずこれから毎日動物園には通おうと思っている。それで16時半が閉園時間なので、もうすぐ動物園が閉まってしまうので、今から行ってきます。
さて戻ってきた。太陽は出たままだったがぱらぱらとシャワーのような雨が降っていた。今日もキリンの姿はなかった。コンドルの檻の近くのツキノワグマの「サンペイ」は、今日も隣の「コマチ」の檻に向かって体を揺らしつづけていた。コマチは、今日は柵内の上部に組まれた木登り用の足場の上にいて、柵に沿って突き刺されたサツマイモの欠片や半分に切られたミカンを食べたりしていた。飼育員による餌やりの時間は決まっていて、もう少し早く来ていればその様子が見られたが、そのサツマイモやミカンは、その餌やりの残りだろう。ちなみに二匹のプロフィールは、
コマチ(メス)
2000年生まれ
阿仁熊牧場(北秋田市)からやってきました
・おしとやか
・ちょっと恥ずかしがり屋
・嬉しいときは走り回る
サンペイ(オス)
2000年生まれ
阿仁熊牧場(北秋田市)からやってきました
・食いしんぼう
・あそぶの大すき
・コマチに片想い中……
ということらしい。
サンペイのあの動作は、もしかしたらクマの求愛行動のようなものではないかと、昨日も同じ動きをしていたので、思っている。二匹の檻は隣同士だけれども、そのあいだはコンクリートの壁に仕切られており一部分だけが鉄のバー越しに向こう側が見えて、そこはちょうど水浴び場となっているのだけども、向こうのコマチの様子が窺えるその位置でサンペイは体を横に振る、あきらかにそれをコマチに向けてやっている節がある。
調べたら動画にも納められていた。
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犬飼勝哉