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Aokidのコラム「Drawing & Walking」第11回(最終回)

ダンスだけではなく、絵や美術など様々なアプローチで踊り続けてきたAokidさんは、どんな言葉を紡いでくださるのでしょうか。
このコラムでは、ふと思い浮かんだことや、稽古場や様々な場所ですれ違った人・ことについて綴っていただきます。

昨年7月から連載してきたこのコラムも、最終回の区切りを迎えます。
最後までAokidさんらしい文章をぜひお楽しみください!

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Aokidのコラム「Drawing & Walking」最終回

昨年4月急な坂スタジオで開催された、振付家の根本しゅん平さんとのトーク企画をきっかけに、急な坂ディレクターの加藤弓奈さんに声をかけらる形で始まったこのコラムシリーズでした。
タイトルは”Walking&Drawing”。2つの言葉が現わしているように、線を引き続けることで何かにでくわし、結んでいく。このコラムによってその意識が生活の中で、より際立っていくようにと思って名付けた。
ペンで紙の上に線をひいていくと、どこかが細くなったり、どこかは太くなったりする。出来上がってくる絵の中で、その細さや太さをまとった大きな丸や長い線が、描き続けることで表情をつけていく。
この街を歩いたりすることも同じように、歩いている時間、物理的な空間と身体のやりとり、あるいは想起される記憶や想像に対して、様々な濃淡をつけていく。
絵の中での構成要素が、街の中ではそれが人であったり出来事であったり。
その紙上の景色と現実での行動が行き来しあってヒントも得ていくんじゃないか、というイメージを持って始まった。

歩く時のスピードや疲れのリアリティを制作の主な根拠にしようかと思っていたけど、歩くことは少しで電車や自転車、新幹線、飛行機での移動に分散されていった。
それはそれでよいのだけど、反省としてはもう少し物理的な歩くことの疲れの実感から出発したかった。
時間は有限だ〜、、、

文章に関しては当初、想定したような進み方はせずに、冗長なものがたくさん生まれてしまったように思う。
もっと切れ味の良い、あるいは親しみのある文章を他で書くことがあったのに、なぜか坂道をまるで登るような(それでいて特に登ることはそんなに得でないような)、ただ体力が必要となるような道ばかりになってしまったが、それはそれで、そういう山道を切り拓いていく時間としての積み重ねにはなったんだ。

歩くといえばこないだの話を。

こないだ実家に帰って、その足で老人ホームに移ったおじさんのお見舞いに行くことになった。
子供の頃からおじさんのことを”わっしょいのおじさん”と呼んでいた。
実家から40分ほど歩いたところに施設があって、バスや電車を使っても同じくらい時間がかかる。70代後半の父親と2人で歩いていく。40分も親と歩くことが久しぶりだった。いつもならGoogleマップを開いて歩くが今日は父親についていく。
なんとなく覚えている道を辿っていく、様々な話をして歩くので普通に歩くよりは頭も呼吸も使っている感じ。知らない道を歩くことの楽しさを共有したりしながら、まさに家の近くでありながら通ったことのなかった道を案内してもらう。それだけでもその人を知るような感じがある。
よくランニングもしていたはずなのに、知らない景色にたくさんでくわして、後についていきながらすでにこの人が歩き見ている開拓した景色だと思った。

おじさんに会うのが久しぶり過ぎるし、何を話せるだろうかと緊張をする。
挨拶をするだけのために会いに行くことに、意味を持たせられていない時期が長らくあったことを思い出した。今ならわかるのだけど。ただ会う、そこから待ったり行ったりという次の展開が起こる。これはパフォーマンスなどを通して何度もやってきたことだ。
こないだ立ったakakilikeの舞台での時間を思い出した。
これまでたくさんの即興で出会ってきたはずなのに、むしろこういったことの中により緊張や本質的な何かがあるような気さえしてきたのだった。

おじさんは昔は巨漢だったのに、とても細く小さくなってベットに半分腰かけていた。父親とおじさんが話す。僕も自分にとってのタイミングを両者に遠慮せずに作ろうとしていく。すると急にってわけでもないけど、彼の現在の身体の状況や彼が辿るようにして向ける視線や言葉、呼吸というのにどうにかして触ろうと集中が向いていく。その状態自体をとても鮮やかに感じられた。
おじさんが食事をするためにベットから車椅子に乗り換えて、自らの両爪先を使って地面を這って前進していくちょこちょことした運動や、部屋をあとにしていくらか進んだあとでドアをしめたかどうか気にする様子に、まだ残っている生きる活力というか(いやこの言葉よりも)、生きる際に気にかけるポイントが自らの意思か何かで打たれている感じがして、同じ世界をまだ生きているという感じがした。
ベットから降りる際に靴をはかせることを手伝えたのは嬉しかった。踊らせてもらえる嬉しさにも似ているのか、、

老人ホームの広いスペースに、たくさんの車椅子に座った老人たちのぼーっとした顔。それでも視覚的にも多少はノイズであろう身なりや態度の僕らが入ってくると、感じることがあるのだろうか、いくつかの顔が振り返ってこっちを向いているように思えたから挨拶をした。キャッチボール、ダンス的応答。投げられたら返し続ける、みたいに。微細にせよ、感じ取っているように見受けられる態度や身体。
この誰かの気配を感じているという状態を見て、小さな子供達のことを思い出した。彼らの周りには大人がいて、たくさん声がけをしたり、あやすことで成長していくし、その行為が自分に向かっているというのを感じて、それに応答する様に成長していくのではないか。
老人たちも同じで、人には感じるという部分が備わっていて、こちらから投げかけ続けるということが彼らの能力を引き出していくように思うのだった。あるいは向こうからのほんの少しのアクションに気付けるか。
そういった場がどうしたら増やせるのか。
街で、人に、踊りで飛び込んでいく様に、会った人に踊りを飛び込ませていく様に、こちらからアクション。


Bye!

思えばこのコラムシリーズでは、様々な場所を訪れたことに関して色々書いて、いくらかの蓄積はあったと思う。だからいつか、何かの拍子に見返したり、何か記録として役に立たないかみたいなことをぼんやり思っている。
もっと確実な成果として残したかったのだけど、引き続き書くということは続けよう。それは”描く”でもあり、”掻く”でもあり、また踊るや、歩く、喋る、ということなども。
ここでは結構、ずっとポジティブでいたかというと全然そんなことはなくて、ネガティブなことも書いてしまったように思う。だからこれからの活動では自分の態度や活動としてそれをクリアしていくようなことを見せていかないといけないと思うのでした。

読んでいる人なんていたのだろうか、というくらいに独りよがりになってしまった気がする。自分のために書いていたような。
お付き合いいただきありがとうございました。
どこかで会いましょう。

校正だけでなくアドバイスや大幅な変更までの提案を時にはしてくれた持田さん。いろんなコメントなどのアイディアをくれたり、急な坂スタジオという場所で時にはネガティブなことや偏りのある文章を載せることも許容してくれつつ意見を書いてくれたり、その状態含めてこの場に掲載させていただいたディレクターの弓奈さん。読んでいいただいた方、稽古場などを見せていただい舞台関係者の方々ありがとうございました。

最後に告知で、もしこのコラムを通して活動に興味を持った方は、
1、渋谷でやってるストリートリバー&ビールにぜひ飛び込みで参加してみてください。
毎週のようにやっていて前日などにaokidアカウントのTwitter(@aokidnaosuke)やinstagram(@iamaokid)で更新されます。


相変わらずの渋谷ストリートの様子

2、吉祥寺Ongoingで行われる個展『CALENDAR』に遊びに来てください。連日、イベント多めでやっております。
https://www.ongoing.jp/tag/installation/calendar/

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Aokidプロフィール


撮影:石原新一郎

東京生まれ。ブレイクダンスをルーツに持ち東京造形大学映画専攻入学後、舞台芸術やヴィジュアルアートそれぞれの領域での活動を展開。ダンス、ドローイング、映像、パフォーマンス、イベントといった様々な方法を用いて都市におけるプラットフォーム構築やアクションとしての作品やアクティビズムを実践する。近年の作品に『地球自由!』(2019/STスポット)、『どうぶつえんシリーズ』(2016~/代々木公園など)、『ストリートリバー&ビール』(2019~/渋谷)など。たくみちゃん、篠田千明、Chim↑Pom、額田大志、小暮香帆といった様々な作家との共作やWWFES(2017~)のメンバーとしての活動も。