坂あがりスカラシップ卒業生座談会
急な坂スタジオ、のげシャーレ、STスポットの連携により、気鋭のアーティストをサポートする創作支援プログラム「坂あがりスカラシップ」。5周年を迎えた今年、卒業生である岩渕貞太、神里雄大(岡崎藝術座)、藤田貴大(マームとジプシー)の体験談を通して、その軌跡を振り返る座談会を行いました。話題は、応募のきっかけ、横浜という町の位置について、さらにはスカラシップへの提案や、今後のそれぞれの活動など。創作支援の環境として、何が大切で、何が必要なのか? 話を伺いました。
(取材・文=藤原ちから)
目次
応募のきっかけ
加藤弓奈(急な坂スタジオディレクター、以下、加藤) 坂あがりスカラシップは今年で5周年になります。2008年からスタートして、最初の2年間は岩渕貞太さん、2009年からの2年間が神里雄大さん、2010年からの2年間は藤田貴大さん。3名をサポートさせていただいたことになります。最初はSTスポットと急な坂スタジオとのげシャーレとが3館提携をして、稽古場と公演会場を提供するということで、すでに公演が決まっている方を対象にサポートする形で始めました。ただ実際1年目をやってみて、単に公演のサポートではなく、公演に至るまでの過程をもっと深く掘り下げて支援していく必要があるよね、という話にもなり、この5年間でサポートの形も徐々に変わってきました。今日はそんな話をしたいと思います。まずは、どうしてこのスカラシップに応募しようとしたのか伺っていいですか?
岩渕貞太(以下、岩渕) 僕の場合は、ダンサーとして出演する活動と、自分の作品をつくるという活動とが並行していた時期が3、4年続いてたんです。それでもっと本格的に自分の作品づくりをやってみようと思った時に、ちょうどこのスカラシップが開設されたので、自分の振付を探る機会として応募しました。まだ自分がどんなことをやりたいか、今よりも明確ではなかったし、言葉として考えていることも、まだ実現はしたことがないという状況で。それで1本ちゃんとつくってみようと思ったんです。
昔、芝居をしてたので、劇団で負担をシェアすることはあったし、ダンスでもショーケースに短い作品を出すことはありましたけど、自分のリスクがあまりない状況でしかつくっていなかったので、(坂あがりスカラシップ2008対象公演となった)『タタタ』で初めて自分が責任持ってつくるということをやってみて、終わったらしんどかったですね。お金も結構な額が飛んで行ったし、酒井幸菜さんと振付をしてやったわけですけど、とはいえ評判もひとりで受けることになる。そういう当たり前のことを初めて実感する良い機会になりました。そこから仕事の仕方もシフトしていった。自分でつくるというふうに宣言してやっていくと、ダンサーとして呼ばれる仕事が減るということも分かって。
加藤 声がかからなくなるということ?
岩渕 ワークショップとかオーディションにあまり行かなくなったということもあるかもしれませんね。それまで関わってきた人との関係性も変わったりとか。
加藤 神里さんが応募したきっかけは? 会場費タダだから、とか素直な話でもいいですよ(笑)。
神里雄大(以下、神里) え、いいんですか?(笑) 僕は公演で赤字を出すことがすごくイヤで、自分の団体(岡崎藝術座)をつくったのもそれが理由だったんで、会場費がタダとか、なんらかのサポートをしてくれるところに応募しようと。動機は完全にそれですね。
当時は横浜の環境がどうだとか、深いところまでは考えてなかった。ただちょうどあの当時、3年連続でこまばアゴラ劇場のラインナップに入れてもらってて、劇場が長く使えるとか、有象無象のいろんな人に知り合ったりとかは良かったんですけど、一方で、アゴラの固定客というか支援会員への認知度をあげて、その界隈での評判を意識するようになってしまった。そこから距離をとりたかったのはあります。
加藤 岩渕さんと神里さんによって、坂あがりスカラシップ自体の認知度があがりました。藤田さんはそのタイミングでの応募でしたよね。
藤田貴大(以下、藤田) 僕は、22、3歳くらいの時に、全然お金なくて、会場費が安いということもあってSTスポットで何回かやってたんです。提携公演といって劇場費を減免してくれる仕組みがあったし、横浜で自分たちの作品が成長してきたという実感があの当時からあったから、ダメ元でスカラシップに応募しました。
あとそれまではずっと公民館で稽古してたので、辛かったんですね。渡り歩かなきゃいけないし。小道具とか、細かく隠したりしてたのが見つかって怒られたり。そうやってせせこましく自分の作品づくりをしてることがイヤだったし、お金かかるし。そういったストレスがあったので稽古場が欲しかったというのもあります。
急な坂スタジオのホーム感覚
神里 僕は逆に、稽古場を転々とするのが好きなんです。場所によって雰囲気違うんで、フラフラその町に行って、好きなラーメン屋を見つけたりとか、固定せずにコロコロ稽古場が変わるのは好きだった。うちは小道具もあまりない、という理由もありますけど。人んちの家電を使いこなすのが得意なので(笑)、転々と稽古場を渡り歩いて、その都度出会った人の家に行くみたいな感覚は嫌いではなかったですね。……住んでるのが川崎というか新百合ヶ丘なんで、横浜というのは微妙にアクセスが悪くて、それまではあまり縁がなかった。あとちょっとコンプレックスがあるわけですよ。なんか横浜いけすかないなあ、という(笑)。
加藤 横浜=川崎間の闘いが(笑)。
神里 だから自分がこんなに横浜によく来ることになるとは思ってなかった。
藤田 公民館をタフに回る強さもあるとは思うんですけどね。
神里 前に比べて、公民館の稽古場がとりづらくなっているというのもあるよね。団体が殺到しててとれなくなってるとか。
藤田 ダンスと演劇で使えるところが減りましたね。だから「お茶会」とか嘘つかないと(苦笑)。
神里 「健康体操」とか(苦笑)。あんま声を出さずにやろう、とかね……。
藤田 稽古場代を計算してみたら結構な金額になって。これを何年も続けるんだったら、倉庫買ったほうがいいのかもしんない、とかも考えましたよ。
神里 共同で稽古場を買うとか……? いや、でも共同はやっぱイヤだな(笑)。まあここも共同ですけど。
加藤 もちろん共同だけど、その期間は占有してもらってていいというスタイルですね。スカラシップでは、急な坂スタジオと付き合ってもらう期間が2年間あるから、純粋に稽古で入ってる期間以上にここにいる時間が長いので、稽古場を普通に借りるのとは違うでしょうね。親戚のうちにいるくらいのホーム感覚はあるのかな?
神里 確かに、ここも別に自分の家じゃないんですけど、勝手がよく分かるのでイメージできるっていうのはありますね。単純に、あの角を曲がると第3スタジオだなとか。……いや、そこまで分かんないな。「今日は第3です」とか言われても考えてしまう。
加藤 えっ。未だに分かんないのか。もうこんなに来てるのに(笑)。
藤田 稽古場のサイズが部屋によってチグハグなのも面白いですね。和室もあるし。
神里 スカラシップの枠ではないですけど、『アンティゴネ/寝盗られ宗介』の時は稽古場をほぼアトリエにして家帰ったりとかしたし、裸足でそのへん歩いたりとかしてますからね……。若干そういうホーム感というか、近所のコンビニにパジャマで行っちゃうような「拡張された家」という感覚は他の稽古場よりは断然ありますよね。だから集中しようとすればできるし、気を抜こうと思えばできる。
藤田 あと、このロビーも重要ですね。ちょっとパブリックになってる感じで、絶対誰か知ってる人の顔を観て稽古場に行かなくちゃいけないから。知ってる人に居られる苦しさもあるんですけどね。家におばあちゃんが一日中いると思うと、つらくなる時ないですか? だけど家に帰らなきゃいけない、みたいなあの感じ。結構、僕は1年中、急な坂スタジオにいるからな……。
神里 僕は喫煙所から帰っていくことが多いので、単に人に挨拶するタイミングを逸するというのはありますね。……ただここにいると、何人かの演劇人に会うだけで、ほんと情報入ってこないし、東京の知り合いの公演も「ちょっと横浜なんで」みたいに断りやすいのはある(笑)。自分の公演でも、佐藤さん(当時STスポット、現急な坂スタジオ職員)から「すごい評判いいですよ」とか聞いて「あ、そうですか?」みたいな感じで。評判云々みたいな意識から離れる感覚は、結構新鮮でしたね。今はまたちょっと違いますけど。
岩渕 僕は生まれも育ちも横浜なので、急な坂スタジオができたのは凄いなあと思いました。イスラエルのアルカディ・ザイデスさんが来た時に初めてダンサーとして参加する形でここに来たんだけど、まず東京よりも圧倒的に近いなと。僕は鎌倉の近くに住んでたので、3、40分で着くし、稽古終わって家に帰ってご飯食べても12時を回らない、というのが新鮮で、体力的にもラクでしたね。神里さんが言うような「いけすかない」という感覚も、僕の兄が横浜嫌いなので分かりますけど(笑)、横浜出身でここに来るというだけで若干温かい雰囲気を感じるというのは、僕は比較的横浜が好きなので、嬉しいです。ただ、横浜で公演した時に、東京の人から「遠いね」とか「間に合わない」とかあまりにも言われることに驚いた。
神里 あの「遠いね」とか言う人、何なんですかね?
岩渕 かかる時間は一緒だよ、みたいに説明はするんだけど……。距離が意外に影響してるんだなって思います。
加藤 「横浜」という響きだけで遠いと決めちゃってるのかもしれない。
神里 地下鉄が早く伸びてほしい!
2年連続でやるという仕組み
加藤 スカラシップを2年連続でやってみて、年ごとの変化はありましたか?
岩渕 いちおう2年で終わりだし、ステップはあるから、「じゃあ2年目どうするかな?」という発想はありました。これが終わったらできないこともあるかもしれないと。例えばダンサーを増やすとか、美術をつけるとか、予算がないとできないことをやってみるとか。
神里 なんか「本公演」みたいな感覚が2年目は抜けた気がします。「がっつりやるぞ!」みたいなところから、もうちょっと手軽というか、ラクにやってみようかしらん、みたいな感じに。作品も、こう言っちゃうとずいぶん語弊がありますけど、適当な舞台セットになってきた。2年目の『街などない』は、初年度の『リズム三兄妹(再演)』と同じく、のげシャーレでやったんですけど、1年目よりは勝手が分かるのもあるし、ずいぶん力の抜けた作品ができたかなと。
藤田 僕も1年目の『コドモもももも、森んなか(再演)』は気合い入ってたんですけど、ずっとそれまでもSTスポットでやってたから、場所のことはある程度分かってて。ただ2年目は、最初横浜でやるということでずーっと場所を探してたんですけど、あるタイミングで「横浜じゃなくてもいいんじゃない?」みたいな話になって、京都の元・立誠小学校で『LEM-on/RE:mum-ON!』をやることに。横浜でやっても東京から人は来るし、いつもの人たちに観られるという感覚に苛まれるところから、京都に逃がさせてもらった感じで、ストレスなく自分の作品にだけ苦しめました。坂あがりスカラシップは創作プロセスからのプロジェクトだから、「本公演」みたいな感じは確かにないのかもしれない。これからやっていきたいことの伏線を張ったような感じがあります。
神里 そもそも「本公演」ってなんなんだろう、ってこともあるよね。
藤田 身内で話し合ってガツガツ進めなきゃいけない感じが初年度はあったんだけど、2年目は、ここで話して、ここで生まれたものしか僕は拾わない、みたいな感じで臨めたから。自主公演とは違うプロセスでつくれたと思います。
岩渕 たぶん、2人は先に自分の活動があったからだと思いますけど、僕の場合は「ここがスタート!」みたいな感じだったから、2年間気合い入ってて鼻息荒かったですよ(笑)。でもスカラシップが終わってから「抜きどころ」が分かってきた感じはありますね。
加藤 坂あがりスカラシップの前後で変わったことは?
神里 贅沢に慣れた、ってことじゃないですか? 良くも悪くも、稽古場の心配しないっていうのは大きい。ただそれを「贅沢」って思っちゃう価値観自体がおかしいとも思うけど。
加藤 それが当たり前のことになればいいですけどね。
岩渕 僕の場合、年に何回も公演を打たないから、その合間に稽古場として使わせてもらったり、年間としては居させてもらっているというサイクルもできてきた。そこで次の作品を考えられるのは、確かに贅沢かもしれない。「じゃあ次に何しよう?」と考える時に、ひとつステップが減ってラクになった感じはあるから。それと僕はこの急な坂スタジオで制作さんが見つかって、その人と一緒に何年かやってるけど、この出会いがなかったら全然状況違っただろうなあと思います。他のところからの依頼とか、どこにアプローチしようとか、そういったことが。
藤田 こういう場所ができて、普段一緒につくってるみんなと、同じ場所で、同じく苦しめる時間ができたのは良かったんだけど……。いよいよ悩める時間ができたなあ、とも思いましたね。僕とか僕らにとって、人に注目され始めたのもこの2年間だったし、環境も大きく変わってきた。作品に集中できる時間が前よりもできたのは良かったと思います。前はもっとストレス感じてたんだなあ、とここに来て分かりました。
坂あがりスカラシップへの提案
加藤 この先、坂あがりスカラシップがこういう支援をしたらいいんじゃないか、といったアドバイスはありますか?
岩渕 逆にお訊きしたいんですけど、5年間やって、坂あがりスカラシップの枠をこう用意したからこういう結果が出た、といった直接的な狙いがあったのか? そうではなく、枠だけを用意して、そこに人がいて場所があって、やってるうちに勝手に育っていけばいい、という感覚だったのか?
佐藤泰紀(急な坂スタジオ、以下、佐藤) 3人が結果を出したのは、ある意味では偶然だった気がしています。岩渕さんが「横浜ダンスコレクションEX2012」で受賞し(関かおりとの共同振付作品『Hetero』で「若手振付家のための在日フランス大使館賞」受賞)、神里さんがフェスティバル/トーキョーに招聘され、藤田さんが岸田國士戯曲賞を受賞した。でも坂あがりスカラシップとしてはそれを想定して目指してやりなさい、という感覚は持っていなかったと思います。アーティストの人たちが将来を見据えて活動していく中で、自分が本当にやりたいことを見つめる猶予のようなものを、20代のうちに持っておくことはいい気がしていて。その時間を共有することを、このスカラシップはずっとやってきているだけだとも言えますね。
加藤 財団とNPO法人が一緒に運営している事業なので、年度の括りという枠組みがあるのと、この場所を使うという物理的な枠組みはあります。ただ、何かものをつくるってことは、人と人がどういうタイミングで出会い、どういう時間を過ごすかということだから、坂あがりスカラシップはとりあえず外側の枠組みはあるけども、中で起きていることは人によってもタイミングによっても違っていい。あんまり明確なルールやゴールは持たないようにしています。期間に関しても、まずは1年間、で、続くのであればその先の1年間、ということで2年。
選考する時に話をするのは、私たちがこの人たちと関わっていなくても、応募してきたこの人が、5年先、10年先も活動を続けていくだけの気持ちを持っているかどうかです。そこを考えて選んでますし、一緒にお仕事しているあいだも常にそのことは意識してますね。それは決して「何年先までケアします」ということではなくて、活動を続けていくうえで、坂あがりスカラシップではない別の支援の仕方もきっと出てくるだろうし、そこで年度や場所の枠組みに囚われてしまうのは、我々にとっても作り手にとってもよくない。だから、とりあえずその枷は2年ではずしましょうということです。でもその先に続く支援もありうるし、皆さんの活動がここで止まるわけでもないので。ちなみに今日の3人にはサポートアーティストという形で急な坂スタジオに居てもらってます。レジデントアーティストにかぎりなく近い感じですね。
藤田 今、坂あがりスカラシップに入ってる木ノ下裕一くん(木ノ下歌舞伎)と白神ももこさん(モモンガ・コンプレックス)も全然タイプが違うから、たぶんひとりひとりとの距離でスカラシップの形も変わっていくんでしょうね。次、誰が入ってくるのかなと思うとワクワクしますけど。
神里 僕はいろんな人が入りすぎて使えなくなったらどうしようって思う(笑)。
加藤 そしたら上から順に出ていってもらうことになるので。くじ引きか、あいうえお順か……
神里 あいうえお順はやだなー(笑)。
岩渕 早いから(笑)。
藤田 でも次誰だろう? ジャンルのよく分からない変な人とか来そう。
神里 提案ということだと、「なぜこの人を選んだのか?」という選考理由が発表されてもいいのかなとも思います。まあ普通、オーディションとかでも選考理由は言わないから、絶対というわけじゃないですけど、知りたいかなあと。
あと、終わった後がもっとあるといいですね。評論がどうしようもないからなんとかしてくれ、って思うんですけど。ウェブの評判云々で集客にちょっと反映するという程度ではなくて、創作とその応答というか。作品をつくっていく上で、全部階段を自分でつくんなきゃいけないのかよって感じがしてて。そこはしんどいかなと思います。F/Tとかはそういう劇評コンペの試みもしているとは思いますけど。
それぞれの今後
—— 今後の構想についてはどんなイメージをお持ちですか?
岩渕 今のところ横浜を拠点として定めて、そこから何をしていくか、という形で何年間かのスタンスを考えています。自分で安心してやれる形を模索するというか。東京でも発表すると思いますけど。あと僕自身、STスポットでよく公演をさせてもらってるけど、年々実験ぽくなってきていて……
でもそれは実験的なことをやりたいわけじゃなくて、やりたいことをやっていると、だんだんそういうふうになってくるんです。そういうのを許容してくれた上で関わりを持ってくれる劇場があると、安心して試せるというのはありますね。
藤田 僕は急な坂スタジオでは、ずっと創作はしたいなと思ってます。家は遠いけど、今、この距離が心地よかったりもするので。横浜に住むことも考えたんですけど、そうなったら完璧にこの町から出なくなってしまう(笑)。だから、もう少しこの往復を続けようかなと。
神里 僕自身の今後についてはちょっと分かんないんですけど、正直、そこまでずっと急な坂で、みたいなこだわりを持っているわけではなくて、次の公演も別の場所で一定期間稽古やってみたいなという構想があります。こないだ外国行って帰ってきて、そのあと静岡行ったりとかしてたら、自分が今住んでるところが一時滞在に思えてきて……。ほんとこの1、2年、拠点というか自分の住むところをどうしようと考えてて、積極的に住みたいところに住みたいなあと。住んでるのが川崎で、稽古場が横浜だから、「拠点は神奈川」だと言ってるんですけど、それも一時的な気がしてますね。何が不満とかそういうことじゃなくて。なんか、島とかに行くのもアリなのかなあ。
藤田 島、いきたーい。
加藤 離島とか?
—— 急な坂スタジオをいろんなところにつくりたいという夢がある、って前に加藤さん仰ってたと思いますけど、ひとつ、島につくるってどうですか?
加藤 そしたらみんな来ちゃうじゃないですか。うわー、煮詰まりそう(笑)。
神里 血が濃くなって、よくないですね(笑)。
加藤 でも「定住しない」のはアリだと思いますね。たとえ、急な坂スタジオがなくなっても、どこかでみなさんにはやっててほしい。どこに行っても大丈夫という足の強さは身につけてほしいし、ここにいるあいだは支援したいと思ってますね。
—— ちょっと寅さんにおける、柴又の家みたいな感じもありますね。
加藤 そうですね、帰ってこられる場所というか(笑)。ほんと、こういう場所が複数あるといいんですけどね。沖縄、北海道、九州、京都……。
—— 東京だとそうした場所をつくりにくい、という感じが今あるのかも。
加藤 発表の場所と近すぎるのかな。
アーティスト同士の生み出す刺激
—— 急な坂スタジオ周辺にいるアーティスト同士の関係はどうですか? 変な馴れ合いのない、風通しのよい場所だなと感じますけど、一方では、繋がりも生まれてはいますよね?
岩渕 ここに居ることによって緩い繋がりができて、たまに1本の線ができるということがあります。東京デスロックの『再/生』のアフタートークに呼んでもらったのがきっかけで、多田淳之介さんとお互いの作品を観るようになって、その縁でこないだ東京デスロックの『モラトリアム』に参加させてもらったりとか。
—— 『再/生』のアフタートークには藤田さんも呼ばれていて、それがマームとジプシーの創作意欲にも何かしらの刺激を与えたのかなとも傍目には思いますけど……。あと例えば大谷能生さんは、舞台音楽という形でいろんなアーティストたちと密接な関係を持っていて、藤田さんとも『マームと誰かさん』をやり、岩渕さんとも『UNTITLED』や『living』で一緒に創作してるし、神里さんも個人的には親交がありますよね?
神里 おでん食べに行ったりしますね。
藤田 大谷さん、あの人、何なんだろう?(笑)ほんとに変で、なんか稽古場に入ってきちゃうし。
岩渕 僕の稽古してる時も、「あ、ちょっと藤田くんのとこ行ってくるわ」って(笑)。
藤田 ほんと、渡り歩いてる(笑)。ただその時にポツポツ話すことが面白くて、それが一線を越えたら創作に繋がるのかもしれない。
岩渕 そうやってゆるやかに会っちゃうとか、ゆるやかに紹介されちゃうとか、その感じは急な坂スタジオ周辺にはありますね。
加藤 物理的にまずSTスポットが狭いということもあり、お客さん同士も近いから、「あ、あの人がいるから紹介するよ」とかいうことが起きやすい状況はありますね。あと急な坂スタジオについては、喫煙所だったり、バーベキューだったり、忘年会、新年会、お花見だったりで人をワッと集めて紹介する、っていうことを、お友達になったら楽しいんじゃないかな、くらいの気持ちで始めているので、無理矢理誰かを引き合わせることはしないですし、そこまでごり押しはしない。でもなんとなく、会うべき人は会うし、仕事するタイミングって必ず来るし、無理に設定するわけでもなく、もしかしたら3年後にその関係が花開くこともあるのかなと。
藤田 刺激的な人たちが、当たり前に創作してるというのはありますね、ここは。岡田利規さん(チェルフィッチュ)とも1公演に1、2回はここで話し込んじゃうし。多田淳之介さん(東京デスロック)も、なんか急な坂には多田さんの時期というのがあって、あ、多田さんの舞台観に行かなきゃ、みたいになる時期が僕の中にはある。それで東京デスロックの人たちが稽古を観に来てくれたりとかします。
加藤 多田さんは、春先から夏のフジロックの頃合いまではなんかいますね(笑)。
佐藤 なぜか多田さんが来る時は人がごちゃっといる時が多いですね。急な坂スタジオは集まっている人が時期によって違っていて、例えば今はダンス系の人が多い。
神里 性格的な問題なのかな、僕はわりとポツンと……(笑)。
岩渕 僕もわりとそうです(笑)。
神里 個人的には、最近チェルフィッチュの弟分みたいになってるので気をつけようと思う。なんかいっつも公演かぶるし。ちょっと気をつけよう。
佐藤 でも公演が重なっているからこそ、稽古の時期が同じで、ここで会ってしまう、というのはありますよね。
神里 なんかレベル低い話で申し訳ないんですけど、酔っぱらった勢いで「一緒にやろう!」みたいなのがないのはいいですね。
加藤 それはないですね、ここでは。それを目指して来ているわけではないので。
岩渕 なんか一緒にやりましょうよー、みたいな人は確かにいますよね。
神里 やんねーよ、っていう。
藤田 そういう雰囲気のあるところはほんと鬱陶しいですよね。すごい能動的に絡んでこようとする人とか。
佐藤 去年のバーベキューの時に、矢内原美邦さん(Nibroll)に「うちの上に住めばいい!」とか言われて盛り上がってたじゃない?
神里 あれは僕が困ってたっていう(笑)。住みませんっていう。
藤田 矢内原さん、昨日も「おはようございまーす」って挨拶したら、「髪変えたっ?!」って(笑)。早口でなんか凄いテンションだった。
岩渕 ふとトイレに行こうと思ったらニブロールの稽古場がガラッと開いて、「次の人! はい、次、次!」って感じも(笑)。
藤田 たぶん矢内原さんがトイレに行くタイミングでしか休憩できないから。矢内原さんは、半ばここの風物詩化してますよね。
(取材・文=藤原ちから)