「坂あがり相談室plus」2018年度版!の振り返り

今年も5月から6月にかけて「坂あがり相談室plus」を開催しました。今年は綾門優季さん、今野裕一郎さん、南波圭さんの3名が選出され、それぞれ思い思いにスタジオでの20日間を過ごしました。
少し時間をおいて、それぞれの20日間を振り返っていただきました。
綾門さんの20日間は、関わってくださった橋本さん、新田さんからも振り返りのコメントをいただきました。
綾門さんチーム、今野さんの振り返りコメントと急な坂スタジオディレクターの加藤のコメントをあわせてご紹介します。
★南波さんの振り返りコメントを更新しました!(9/1)

■綾門優季・橋本清・新田佑梨の20日間

綾門優季の坂あがり相談室plus「稽古場訪問&お茶会」(撮影:小西楓)

<綾門 優季の振り返りコメント>
家に帰るまでが遠足であるように、稽古だけがクリエーションのすべてではない。例えば坂あがり相談室plusは、面接から始まっている。

急な坂スタジオの加藤弓奈さん、持田喜恵さんとの面接でよく覚えているのは、私が企画のコンセプトを説明したあとボソッと「炎上してしまうかもしれません」と口にしたとき「謝り慣れているので大丈夫です」というお返事をすぐにいただいたことだった。私の作品が炎上してしまいそうなとき(作風的に頻繁に起こる)、難色を示されたことや全力で止められたことはあっても、そのようなお返事を聞いたことはなかった。あの一言は、これまでと前提から違うのかもしれないという強い予感を私に覚えさせた。相談室ということは何でも相談していいということだ。期間中、相談して軽々しく「それは無理だ」と決めつけられたことは一度もなかったように思う。「それは無理だ」と決めつけないことは、演劇のどのセクションに関わるとしても大切な姿勢だ。可能性は無限大ではないが、可能なかぎりはほぼ無限大だ。それを勝手に不可能にしているのは、往々にして厳しい現実ではない。ただの先入観だ。

先入観は何にでも働いている。この20日間で、「私が書ける戯曲」の先入観も、「橋本清」への先入観も、「新田佑梨」への先入観も、粉々に打ち砕かれた。知った気になっていただけだった。何かを真摯に見つめ続け、あらゆることを拾い上げるという姿勢を失っていた。それに気づいてからが本番だった。クレジットに記載されている、作と演出と出演を、そこまで重要視しなくなった。捨てたわけではない。次第に三人の作品になっていったのだ。最後の二日間のことが忘れられない。あの時間、三人が目の前の未完成な塊をとにかく形にしようと、自分のなかにある引き出しを余すところなく開けようとしていた。ホコリをかぶっている引き出しも、鍵のかかった引き出しさえも。化学反応の実験を猛スピードで絶え間なく繰り返すような、混乱しながらとにかく手だけは動かし続けるような、五里霧中、試行錯誤の果てに、三人はようやく発表に辿り着いた。

稽古に絶対に慣れてはいけない。
それが20日間の稽古で学んだことだ。

本当にありがとうございました。この蓄積の上に立って、歌ったことのない歌を歌う日が来ることでしょう。

<橋本清の振り返りコメント>
演出をしていると、《空間》が変わる瞬間に立ち会うことがよくあります。たとえば、俳優の身振りや視線、立ち位置、発話を方向づけていくことで、縦横5メートルの舞台が何十倍にも何百倍にも拡がったり、あるいは狭まっていく。舞台上を立体的(もしくは平面的)に取り扱う、という意味においての「変化」をここでは指しているわけなのですが、今回、坂あがり相談室plusで過ごした20日間を通じ、そのすがたを大きく変えたのは、そういう作品内?舞台上?の《空間》というよりはむしろ、僕たち(綾門優季/新田佑梨/橋本清)という《集団》のほうでした。

和室に入る前に三人で共有していたコンセプトは音を立てて崩れていきました。ある決められた容器にそそぐための中身を探すのではなく、そそがれる中身や、そそぐという行為が、その器自身を変えること。それは「変化」ではなく「変容」と呼んでいいのかもしれません。そして、事後的にあらわれ出るものを、三人が三人の戸惑い方で受けとめていくこと。

綾門くんから相談室のはなしをもらった時、最初はどう関わっていけば分からず、いや、もっと正確に言えば、イメージが掴めないものを掴もうとすることに向き合えず、和室に入ってもなおその状態はつづいていたのですが、最終日に向かって《空間》が変わっていく時間を通して、たとえば自分が発したコトバが、洞窟としての《和室》でぐわんぐわんと反響されながら、自分の耳に戻ってくる。たとえば自分が動かした一挙手一投足が、鏡張りになった《和室》でつつみ隠されず映し出されて、なんだかそれは、とても懐かしいもので、そして、目の前にいる新田さんと綾門くんは、これまで僕が関わってきた俳優やスタッフ、稽古場、劇場、上演空間を思い出させ、また、忘れさせてくれる存在でもあり、なによりおかしかったのが、結果としてあとから出会えるもののほとんとが、まるではじめからそこにあったような顔をして、こちらを見ている、ということでした。

そういう感覚を取り戻すことが、僕の「相談内容」だったんだなと、こうして今、ふりかえって思います。

<新田佑梨の振り返りコメント>
坂あがり相談室plusでは、公演を前提としていなくても稽古場にいられる、とても贅沢な時間を過ごしました

結局、発表らしいものはしたのですが、しかしそれは公演のために向かう作業ではなく、いまやってみたいことを試すとどういうことが出来るのか、ということを積み重ねた結果だったと思います

もし公演を打つとなると、お金をかけ、人を巻き込むというプレッシャーがどうしても生まれます
それに、稽古してる間にも関係なく世相が変わり、他の作品が生まれ続けるなかで、発表しないといけません
どうしてもそういう環境では、創作以外のことに神経を割かれてしまいます

しかし今回は、純粋に気になることを試し続けられるという自由さがありました
また、主宰や演出家1人に、作品の責任(というか、意思?)を任されるということもなく、劇作/演出/役者がそれぞれの視点から、フラットな立場で提案し、試すことができました。その創作過程がわたしにはとても面白かったです
理想的で幸せな稽古場で、とても糧になる20日間でした

3人がそれぞれ同じ裁量で作品づくりに関われたことを考慮してくださって、この場で3人分の文章を掲載していただきました
とても嬉しいです、
相談にのってくださったみなさま、ありがとうございました

■今野裕一郎の20日間

今野さんのお部屋の様子(撮影:小西楓)

20日間、急な坂スタジオ2で演出家の自分を展示するという日々を過ごしました。

日常と創作のあいだの扉のことを考える日々です。誰が開けるのか、いつ閉まっているのか、この部屋が呼吸するには生きている部屋にするために何をしていこうか、そんな風に考えていたと思います。
初日は近くの花屋で植物を買ってきました。あまり水をやらなくても良い木だけど、育てるためにここに通う、という役割を自分に与えることが最初の作業でした。それから書ききれないくらい本当にたくさんのことが起こりました。
毎日違う人が訪ねてきてくれて、会った事のない人が扉を開けてくれたり、西アフリカの音楽について話したり、美味しいコーヒーを淹れたり、ドキュメンタリー映画をつくったり、落語を披露してもらったり、最後の日には20人くらいが来てくれて、そこで生まれた演劇の発表は素晴らしく、部屋はこの時のためにあったのかと思える瞬間を体験しました。
自分には捉えきれないくらいのことが同時に起こるアトリエのようなサロンのような部屋になっていました。ある人が「ここはリビングですね」と言ってくれて、生きている部屋になったのではないかと感じることができた充実した日々でした。

この相談室plusは、公演に向かった日々でないことが素晴らしいと思います。それは可能性に満ちた日常を持つことです。そんな日々の中で、何より僕にとって大きかったことは、急な坂スタジオのスタッフの人たちに敬意を持って扱ってもらえたことだと思います。当たり前だけど、これはとても得難いことだと思います。またあの坂登りたいなあ。
急な坂スタジオの皆さん、スタジオに来てくれた人達、ありがとうございました。

今野 裕一郎

■南波圭の20日間

(左)南波さんの絵日記/(右)南波さんのお部屋の様子

ツツジが咲いていた頃に相談室の相談室に行った。久しぶりの坂がきつくて、疲弊した。
他にも色々疲弊していたから、そのままを相談した。でも、大抵のことは「大丈夫ですよ」と返された。初日の顔合わせでも「大丈夫ですよ」。その後も色んな場面で「大丈夫ですよ」と。そうして、お話が1編、絵日記が1冊、151枚の写真と210本の映像が出来上がった。今もそれらの素材を使っての映像を絶賛編集中で、他にお話も書き上げた。
今回は基本的に自分の興味があることに一人で挑戦したいとお願いしていた。
それは子供への、お話&映像をつくることだ。今からやり始めるのはどうなのかと少々躊躇していたことだったから、まずは一人でと思っていた。結局カメラマンの飯岡さんに協力してもらうことになったが、書くこと描くこと、撮影することに、ずっとずっと没頭した。紫陽花がきれいで、びしょ濡れになりながらも撮影したし、今まで気がつかなかった感覚の発見もたくさんあった。
きっと「大丈夫ですよ」の威力だと思う。こちらが拍子抜けしてしまうくらい「大丈夫」といわれるものだから、どんどんやることが鮮明になっていった。
それから、スタジオで稽古する他のアーティストのところへ、日々お邪魔させていただいたのも大きかった。誰も答えなんて知らないのだ。何をやっても。今から始めても。決めるのは自分だ。だから、大丈夫だ。勝手にそう勇気づけられた。
そしたら少し、優しくなれた。というより、思うようにならないことも受け入れられるようになった。だってそれでも大丈夫だから。
そういう意識と出会えたこと、ちゃんと腑に落ちたことが今回一番の収穫だ。
この気持ちと共に、新しい挑戦の一歩を踏み出させてくれた、全てに、心から感謝している。
本当にありがとうございました。

南波 圭

■急な坂スタジオ・ディレクターより

「オーダーメイドの企画でありたい。」
そんな風に思いながら、この仕事を続けています。相手のニーズに応えつつ、こちらからも可能な限りの提案をしたり、新しい可能性を一緒に探ったり…

今回の相談室plusも、ひとつの企画でありながら、対象者3組それぞれにとって、異なるフォーマットやルール、そしてサポートの仕方を用意する時間になりました。同時に3組が急な坂スタジオにいたからこそ、その差異や共通点をよく観察する事が出来ました。

創り手にとって必要な支援は、その人のキャリアや環境、今後のビジョンによって、様々でしょう。だからこそ、よく観察して・話して「何が必要なのか?」を探り続けます。

この20日間で3組それぞれ、創作の種を見つけ出し、植え、じっくり育て始めるための準備をしているようでした。アプローチの仕方や使う表現は異なっていても、大きな共通点があったように感じています。

稽古場にとって一番嬉しいことは、ここで育ち始めた種が大きな花を咲かせ、観る人を魅了することです。いま、私が心待ちにしていることは、3組それぞれからの「花が咲き、新しい種が出来ました!」という報告です。

急な坂スタジオ ディレクター 加藤弓奈

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