坂あがりスカラシップ2010・神里雄大 連載企画
連載企画始動!
坂あがりスカラシップ2010対象者、神里雄大(岡崎藝術座主宰・演出家)が、2011年2月に行われる演劇公演『街などない』に先がけて、毎月連載します。
これまでの投稿
こんにちは、今年もスカラシップにお世話になる岡崎芸術座の神里です。
これから毎月、何かを書いて配信していきますので、よろしくお願いします。
初回は、とある場所で発表するはずが台風などの影響で叶わなかった詩をお届けしたいと思います。
これは学生のころ書いたものにちょっと修正を加えたものです。
タイトルは「友人(仮)」と仮のままになっています。
未払いの請求書に振り込む金の工面に困り近所の友人を訪ねたが不在で金の悩みより先にやりきれぬ疎外感を感じてしまったので携帯の電話帳を開いてお話ししたい人物を探すけれどもなかなか心開けるものは遅い時間まで働いていて電話をならしたところで誰も出ないような予感が直感するからほっと息ついて電話帳を見進めるが心寄せるひとに電話をするほどの勇気も持ち合わせていない自分のことは以前から承知しているよって相も変らず疎外感が膨張し呼吸も困難なほどに重い頭で考えるのは主に性欲性欲と言ってもそこまで好色に徹するわけではないのが悲しい息苦しさで身悶えていたところ不在であるはずの友人が「どうした」と窓から姿を見せたから驚いて動揺を隠しながらも「いるならすぐに返事しろ」と怒鳴ると友人は風呂に入っていたのに来客に気づいて急に出てきたのだからそう怒るのは違うと一蹴し用があるなら上がれないならそのまま帰れというその言い草が気に入らなかったので踵を返しそこを後にすると自分の足音を聞きながらそんな短気が自分の欠点だと反省が募って落ち込んできて厄介いずれ忘れるだろう気を落ち着けようとトライするものの反省することが山のように押し寄せてきて厄介昨日飲んで言わなくてもいいことばかり話して店の親父を親父と呼んでしまったことに反省しだして厄介いよいよ早足になってきたけれどもこうなったら薄暗い道路もイヌも視界の外に追いやって陽気な気分になるまでとことん歩くぞ反省なんてなんのことと開き直りかけたところで先の友人から電話が鳴って謝ってくるからどうもバツが悪くこちらも謝ってしまって後悔先に立たず妙な神妙な気分になってきてうまくしゃべれなくなったところを友人が察し「よければ戻ってこないか」と恨めしそうに響くので頭が痛い冷静になってから向かいたいと伝えたいが声が出てこないからやがて諦めたのか友人の電話を切る音が聞こえてきてまた後悔先に立たずかけ直すがやはり声が出ないから自分は何をしているのだと自分で頭をポカリとやってみるが友人には伝わるはずもないので受話器口で怒り出してしまっててんぱるものの如何せん声が出ないから処置の仕様が無い無い無い無いと思ったら最後の「無い」が出てしまって友人は「なにが無い」と妙にオウム返しに怒る怒り方が間抜けであり可笑しくなって吹き出してしまうとやはり音が出たから友人は火の油のように逆立ったようで所在を聞いてくるから教えると五分と立たず登場したので先ほど窓から姿を見せたときみたいに驚いてそのまま勢いで謝るとこの男元来人がいいのかすぐに笑顔を作って「許す」などとおっしゃるから笑みを噛み殺すのにも一苦労だよやれやれと考えてみると起きてからそれほど時間も経っていないことがわかりまた落ち込んでしまったがその間友人とてなにもしていなかったわけではなく熱でもあるのかと心配そうな顔つきを見せ片隅によってくるからやっぱりそんなところに十数年来の友人であることの絆が見え隠れするのでやっぱり友人宅には戻らず酒に誘うと満面の笑みでついてきてそれにつられてこちらも愉快にいやはやスキップで煙草をポイ捨てすると友人が拾っていけないと笑いかけるので素直に反省してごめんよう酒屋へ急ぐとそこは満席で系列店へ通されたがそこがなかなかよい店構えでふたりとも気に入り酒が進んで愉快な一日で家に辿り着くとすぐに眠ってしまったが起きると帰したはずの友人が横で寝ているから再三こいつには驚かされるなあなどと寝顔を見つめていると妙にいとおしい気分になってきたのでその唇を見ているとドキドキやきもきが寸前で友人が起き本人も驚いていたのでふたりして笑い合ったからなんと幸せな二人組だろうか他人にも見せてやりたいものである。
こんにちは。岡崎藝術座という劇団の主宰者の神里雄大といいます。劇団と言っても主宰のぼくと制作(プロデューサー)しかいないのです。あと岡崎というのは、この団体をつくったときにぼくがお金を借りていた岡崎くんの名前で愛知県岡崎市の団体ではありません。藝術座とか「芸」の字も仰々しいし、年配の方がやっているのかと思いきやぼくは28歳の若造です。
という具合に団体の説明をしていくといろいろとスペースを使ってしまうのでこれくらいにして(だいぶ説明できましたが)、来年の2月に横浜の桜木町で演劇の公演をやりますから、これから2月まで月に一回、何かを書いていきたいと思います。よろしくお願いします。と言ってもすでに前回ろくに説明もなくぼくの詩?をお送りしたので挨拶が遅れてしまっていまして、それでいまこんなふうなことを言っています。 詩は楽しんでもらえましたでしょうか。読んでもらえましたでしょうか。ぼくは演劇の作家でもあるので、やはり読んでもらうことを前提で書いているので、ぜひ公園やみなとみらい、恋人の前など詩を読みそうなところで声に出して読んでみてもらいたいと思います。とても恥ずかしいことですが、声に出して恥ずかしいような詩を書いているぼくのほうがもっと恥ずかしいのです。しかし作家を名乗っている以上は発表するのです。恥ずかしいなど言っていられません。
話は急に変わります。話というのは急に変わるものなので。横浜で公演をすることになってぼくはとてもうれしいです。今回が去年に引き続き2回目です。これからもどんどん横浜でやっていきたいと思っています。
なぜか。ぼくはずっと神奈川県川崎市に住んでいて、川崎の北部の、町田(東京)の近くに住んでいて、横浜へはアクセスが悪いのです。新宿や渋谷にはわりと容易に行くことができます。だから横浜はずっと未知の場所でした。そして本当にたまに、横浜へ行くとなんだか川崎とは違う、「オシャレな感じ」がしたものです。横浜駅西口にいる人たちはなんだかプライドと品性に溢れているようで、とてもぼくのような人間には近寄りがたいし馴染めない場所だと思っていたのです。ぼくはもっと若いとき、自分の感覚は川崎という地域に住む人間の共通の感覚だと思い込んでいた愚かな人間でしたから、川崎の人間は横浜にコンプレックスを持っていて、横浜の人間は川崎のことを見下しているのだ、と信じていました。そのとおりかもしれません。急に格言じみたことを言うと(格言は急に出るものなので)、若いころのコンプレックスはそれからのその人の個性を形成します。だからぼくは、ぼくの個性を形成している(かもしれないね)横浜や川崎について考えることが多いのです。それは東京を考えるとか、日本を考えるとかよりも多いかもしれません。
言いたいことなんて何もないと信じていたのに、書いていたら山ほど言いたいことが出てきてしまったので、次回もまた喜んで書いていきますので、2回目になりますが、よろしくお願いします。
こんにちは、神里です。
先日、いよいよリハーサルを開始しました。しかし、これを書いている時点で、まだ2回しかやっていません。まだ様子を見ている段階です。
ぼくの団体は、毎公演ごとに俳優さんに集まってきてもらうので、いつも顔ぶれは違います。宇田川千珠子さんは、もう常連で今回でぼくの舞台は6回目になります。上田遥さんは2回目です。武井翔子さんと橋本和加子さんは初めて出てもらいます。というわけで、まずはこの顔ぶれがどのようにお互いの関係をとっていくのか、ぼくは様子を見ているわけです。今回の台本は新作で、ぼくはあてがき(俳優個人に合わせて役を作ったりセリフを書くこと)をするようなしないような最近はなるべくしないような、書き方をしますが、それとはべつに、この面々でどのような雰囲気の現場になっていくか、どのような言葉を選んだり時間繰りをすればいいか、というプランを「なんとなく」浮かべるための様子見の時間です。
話は変わるようですが、本当は変わらないのですが、ぼくは例えば旅行に行くときなど、事前にスケジュールやプランを決めるのがあまり好きではありません。その場その場で行きたい方向へ行く・したいことをする、ということができたとき、それは刺激に満ちていて好きなのですが、それはとても実行が難しいことでもあります。いつのまにか何かを気にしてプランを描いていて、そこから現実がずれるとき、何とかそのプランに沿うように修正していくよう、脳が働いてしまうのです。プランを立ててしまうというのは、極論ですが実行しなくても実行したことと同じようなものです。旅行の計画を立てているときが楽しい、みたいな。
それはけっきょく自分の頭の中でしか起こらないことで、でも世の中には自分以外もいて自分以外の頭もきっとあるわけなので予想もできないことが起きる。その「予測できなさ」が一個人として演出家として、とても大事にしたいことで、楽しみにしていることです。
だからぼくは、プランを立てないことが好きなわけではなく、いつのまにか立てたプランから、いかに逸脱していくか・そうなってしまったか、を味わうことが好きだという言い方のほうがいいかもしれません。
なので、いまはリハーサルで自分のプランをなんとなく、きっとこの通りには行かないだろうと立てているところです。
ちょっとこの文章の内容がコミュニケーションに関することになっていると思います。
これはいま自分の演劇にとってもとても重要なポイントなので、次回もそのへんのことを書いてみようと(計画)しています。
では、みなさまよいお年をお迎えください!
岡崎藝術座の神里です。あけましておめでとうございます。
正月気分もそこそこに気合を入れてリハーサルに励んでいます。
・今回はキャストが女優4人で、原則的にリハーサル現場には僕以外に男がいない。なか なかいい環境だと思うが、居づらい瞬間もしばしばある。リハーサル後に、どこかに食事 しに行っても男一人。酒を飲んでもひとり。咳をしてもひとり。自慢にしかならないので やめよう。
とにかくキャスト陣はたぶん、僕を男というより演出家として認識をしているよなの で、僕はなんだか女子校の教師のような感じがしている。教師になったこともないし女子 校の状況も知らないしで本当のところはわからない。わからないがそんな感じだと思う。 何が言いたいかというと、いわゆるガールズトークが見れるのだ。だからそれを芝居構成 の参考にしようかと、聞き耳を立てている……。
・ところで4人というのは厄介な人数だ。割り切れる数というのは(数の上で)均等な対 立を生むのではないかと考えているからだ。
逆に奇数なら、3人なら2対1、5人なら3対2という具合に対立に数的優位が生まれ、概 して均衡は破られ、どちらかの側に全体が流れやすい。(あまり数が大きくなると派閥が 生まるがここではそれは考えない。)そうすると演出家としてはやりやすい。まとまりが あるからだ。だから自分も好んでキャストの数を奇数にしていた。
が、まとまりがあるというのは、逆に言うと客観的な関係性を持ちにくい、もしくは (仲良くなってしまい)言いたいことが言えないようになる可能性がある。今回は前回の 公演からあまり時間もないので、まとまりがあるほうが円滑にリハーサルは進むけれど、 僕たちの目的は円滑に進めることではなく、なるべく刺激的な意見の出やすい環境を作り たいと思っている。だから最近は偶数のキャストにすることをよくしている。
これはほとんど仮定の話で、というかなんとなく奇数のキャストはバランスがよい気 がするという話で、キャストを4人にした理由は自分への負荷とその他もろもろあるのだ が、それにしても対立構造とか前提をそんなところに設定しているなんて、なんとも自分 は幸せになれそうにないな、と思う。幸せには、なりたいな。
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次回は本番直前の2月です。今年もよろしくお願いします。
作者プロフィール
神里雄大
演出家・作家/岡崎藝術座主宰・鰰[hatahata]第二主宰
1982年 ペルー共和国リマ市生まれ
2003年 岡崎藝術座結成
2006年 『しっぽをつかまれた欲望』(作:パブロ=ピカソ)が
利賀演出家コンクール最優秀演出家賞受賞
2009年 『ヘアカットさん』が第54回岸田國士戯曲賞最終候補ノミネート
俳優の存在をことさらに強調する演出に定評がある。