「余計なお世話です」番外編〜綾門と加藤の往復書簡〜

2020年4月30日

 2018年秋から急な坂スタジオのHPにて、綾門優季さんによる連載「余計なお世話です」を掲載してきました。公演ごとの舞台批評だけではなく、舞台芸術全体の課題などを交えながら、たくさんの方からのご協力の元、連載を続けてまいりました。
 この数ヶ月、社会全体にとっても、舞台業界にとっても、厳しい状況が続いています。この状況の中で、今語られるべきことをどのような形で掲載するのが良いか話し合い、綾門さんと加藤(急な坂スタジオディレクター)の手紙でのやりとりを掲載することにしました。

 二人のお手紙を、こっそり一緒にのぞいてみましょう。

※『往復書簡 3通目(綾門→加藤)』を更新しました。

「余計なお世話です」番外編〜綾門と加藤の往復書簡〜

★往復書簡 2通目(加藤→綾門)

綾門さま

こんにちは。加藤です。
今twitter上は、とある動画でざわついています。個人的には、紅茶を飲むことで国民を安心させられるのはエリザベス女王だけだろう、と思っています。

さて、前回のお手紙から急な坂の状況も大きく変わりました。3月中も利用の無い日は休館、横浜市在住以外のスタッフはお休みとしていたのですが、現在は5月6日まで臨時休館としています。様々な人が使ってくれることで、急な坂スタジオは成長してきました。今はきっと「待つとき」なんでしょう。この期間だからこそ出来ることを考え続けたいと思っています。以前の日々を取り戻すよりも、新しい日々を迎えるための備えをしようと思うと、不安より期待が大きくなるかもしれません。楽観的すぎるのかもしれませんが…

オススメ映画、「綾門さんらしいな」と思いました。この状況で、ザ・鬱映画!
学生時代に映画館で「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を見て、自分でも驚くほど嗚咽して、生まれて初めて映画作品に対して「二度と見直さない」と心に決めた日が懐かしいです。この決心は今でも揺らいでいません。「メランコリア」も一度しか観ていないのですが、映像&音楽が美しくて、そんなに憂鬱に感じなかった気がします。「ダンサー〜」に比べてって、だけかもしれません。この機会に見直してみます。

もし私がラース・フォン・トリアーでオススメするなら「キングダム」ですね。デンマーク国立病院が舞台のドラマ作品です。放送当時の視聴率、50%とかだったらしいですよ。アメリカでスティーブン・キングが「キングダム・ホスピタル」としてリメイクしていますが、こちらはかなり脚色されていて、キング色が強いです。まあ、それはそれで面白いので機会があればお試しください。

綾門さんのお手紙を読んで、久々にラジオが聞きたくなりました。あと最近、邦楽を聴いてないことにも気がつきました。悲しいことですが、30歳をすぎると新しい音楽を聴かなくなる傾向があるそうです。(早いと25歳くらいから)だから演劇であれダンスであれ、公演を観に行って新しい音楽と出会うことが、いかに重要な機会だったのかと、身につまされます。

今回の質問、難しいですね。綾門さんが読書家なのは知っているし、普段絶対読まないものをおススメしたいし、憂鬱でも陰気でも無い作品を選びたいです。私は怒りや不安は他者からもたらされるよりも、自分自身で増殖・増幅させてしまうものだと思っているので、読書を通して火に油を注ぎたく無いな、と。

色々悩んだのですが、漫画を1冊選んでみました。川原泉ってご存知ですか?大雑把なジャンルだと少女漫画になるのでしょうが、大きな瞳とお人形の様なスタイルの主人公ではなく、なんというかすごく「地味」な感じの絵柄です。作品そのものも少女漫画っぽくなく、短編小説みたいというか。まあ、騙されたと思って読んでみてください。

川原泉「美貌の果実」
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主人公はどちらかというと冴えなくて、なるべく静かに・穏やかに生活している人ばかりです。こんな時だからこそ、声が大きいだけの人たちに引っ張られることなく、本当に小さな切実な声を聞き逃さない様に、日々を過ごしていきたいと強く感じています。そんな気持ちにぴったりくる作品かと。

最近、宣言とか会見とかを以前よりも見る機会が増えましたが、響く・響かないがありますね。組織の大小関係なくリーダーには言葉を届ける能力が必須なんだなと、痛感しています。今回の質問は「綾門さんにとって理想のリーダー像とは?」です。お返事、楽しみにしています。

4月14日加藤弓奈

★往復書簡 3通目(綾門→加藤)

加藤さま

お世話になっております、綾門です。

川原泉、知らなかったです。『美貌の果実』読んでみます。まだ途中ですが、絵で想像していたより、ぎっしり文字が詰まっているタイプの漫画なのですね。物語の始まりが火山の噴火からでビックリしました。

それにしても、理想のリーダー像…難しい質問です。ここ数ヶ月、「これこそが理想のリーダーだ!」と心の底から思えるような記者会見をみていないことだけは確かです(日本に限るなら)。どうしてこうも曖昧で後手後手で強きを助け弱きを挫く言葉が、日々、重要な地位にあるはずのリーダーのメッセージとして次々に伝えられるのですかね…。みぞおちを数回殴られたような鈍痛で立ち上がれません。最初の頃、それでも記者会見はしっかりみておこうという気持ちをぎりぎり持っていたのですが「なんか辛いし、自分の心を守るほうが大事だな、重要な情報そんなに言ってないし。」とシュルシュル萎んでいき、今ではあとからTwitterでザックリ内容を把握しつつ、映画を観たり、ラジオをきいたりするだけの生活になってしまっています。リーダーのメッセージを遮断しているわけで、ぜんぜん良くないのですが、言葉を受け取ろうとすると、どうしても生理的に無理で、秒で画面を消してしまいます。

ところで、新型コロナ、わけわからな過ぎて、少しづつ感染症について学んでいるのですが、つい最近、こんな言葉に出会いました。

 日本のリスク・コミュニケーションの教材の多くは、このような「上滑りしたコンテンツ」です。情報を呑み込んで、そのまま吐き出しているだけなんです。咀嚼して、消化して、自分のものにして、自分の言葉に換えたメッセージになっていないんです。
 「自分の言葉」になっていない言葉を遣ったメッセージが、人の心に届くわけがありません。
 (岩田健太郎『「感染症パニック」を防げ! リスク・コミュニケーション入門』光文社新書より引用)

ですよね。って感じです。僕は昔から独特の意見をはっきり言ってきたつもりですが(時々あまりにも回りくどくて結局何を言いたいのかよくわからないのが致命的な欠点ですが)煙たがられたことも一度や二度、いえ、十度や二十度ではありません。誰も言っていないようなことを言うのは控えよう、世間の空気の流れに従おう、と考えるひとたちにとって、僕の言動や行動は意味不明に感じられるようです。ただその考え方が、今回は悪魔的に作用し、目眩がするほど最低な社会を生み出してしまいました。同調圧力は危機感を覚えるほどに高まっていますが、歯を食いしばって独特の意見をこれからも言っていきたいですし、独特の意見を言うことを恐れず、そのひとの感覚の伝わってくる言葉を紡ぎ続けるひとが、個人的にはリーダーであってほしいです。

話は変わりますが、いまツイッタランド(人を派手に燃やしたり、急に持ち上げてから地面に叩き落としたりする危険な見世物で有名な、地獄の遊園地です)は「演劇」と名のつくものに言及していると、突然知らない人に後ろから刺されるくらい、急速に治安が悪くなり始めています。具体的に名前は出しませんが、数々の演劇人たちが時代の犠牲者となりました。胸が痛みます。一方で、署名活動やクラウドファンディングといった、3月から特に活発化したものに効果的なツールであるのもまた事実です。そこで質問なのですが、

「今後ツイッタランドとどう付き合っていけばいいですか?」

そんなに嫌ならやめればいいという話もあるかと思いますが、ツイッタランドでなにぶん10年も生活していたものですから、唐突に出てしまうと「陸に打ち上げられた魚」みたいな状態になりそうで、未だに居座り続けてしまっています。

4月29日 綾門優季

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