急な坂スタジオで新しい連載をはじめます。
ダンスだけではなく、絵や美術など様々なアプローチで踊り続けてきたAokidさんは、どんな言葉を紡いでくださるのでしょうか。
このコラムでは、ふと思い浮かんだことや、稽古場や様々な場所ですれ違った人・ことについて綴っていただきます。
Aokidさんの独特なリズムで綴られる文章をぜひお楽しみください!
Aokidのコラム「Drawing & Walking」第5回
秋が始まっている。
9、10月と経ち複数のイベントなどに取り組んだり、人と歩いたり遊んだり、自分で時間を過ごしていくうちに段々と「これは秋になってきている」という意識、感じが芽生え、こうして書くことでその経験を名付けるようにして、「秋になってきている」。
ヌトミック『SUPERHUMAN2022』
久しぶりにヌトミックとの仕事をしている。思えば、演劇との繋がりはKENTARO!!さんによる複合的なイベントで演劇を観に行くようになったこと。範宙遊泳のたかくらかずきくんが大学の同級生であったこと。そこから今度は篠田千明さんの『非劇』に出演したこと。それらが2015年くらいまでに身に起きたことでそれから同世代のカゲヤマ気象台くんや新聞家とのやりとりを経て2017年にヌトミックに出会った。
ヌトミックとは『何事もチューン』で身体に関するアドバイザーとして関わり、東京塩麹のライブにダンスで参加しまた城崎アートセンターでの幻のワークインプログレスも行った。2018年『SUPERHUMAN』への出演、2019年『お気に召すまま』への振付参加、また額田くんとのいくつかのソロ名義での共同制作、ワークショップなどを経て今に至る。
『SUPERHUMAN2022』の稽古前半は額田くんの実家の音楽教室”みんなのひろば”でやったり、後半は森下スタジオで連日稽古をした。
森下スタジオといえば10年以上前にアジアダンス会議というようなタイトルのもので最初に訪れた気がする。手塚夏子さんが参加されていた記憶がある。
森下スタジオの床は黒いリノリウムが敷かれている。舞台のダンサーにとっては当然かもしれないが、ストリートで過ごす時間も多かった自分としては段々とこのリノリウムというのも一つの大事な素材であるという感覚が強まってきている。
床と踊られるダンスの関係というのがあって、床はコンクリートなのか畳なのかリノリウムなのか砂なのか、それに対して足の方は裸足なのかシューズを履くのか、靴下なのか、スニーカーなのか、とか。
ブレイクダンスは元々ブルックリンのストリートだとかクラブだとかで最初踊りが始まって、飛んだり跳ねたりする振付がムーブメントを占めるところもあって、今でも床はコンクリートや体育館といった空間が選ばれる傾向にあると思う。そういった床に対してスニーカーのグリップやバネによって踏み込んだり、蹴り上げる動作が促され、ああいったフロアームーブがこれらの組み合わせによって生まれてきたと今になっては言えると思う。
対してリノリウムは滑り止めの側面があって、つまり床から足に対して複雑な摩擦がかかってくる、これに対応するように足の裏や足の様々な筋肉、足以外の部位の筋肉の機微までが引き出され、より複雑な筋肉運動や振付が表出される以上に引き起こされているんじゃないだろうか。
ブレイクダンスの練習でぐわっとバネを使った動きをとったり、それをぐっと腕力で止めたりする身体の操作は面白いが、このリノリウムで身体の様々な表情の機微を引き出そうとしたり、もっと骨盤や肩甲骨といった内側の方から動くようなイメージを持って取り組むのも面白い。
彫刻刀によって彫刻が形作られたり、絵具によって絵画が制作されるように、ダンスも地面がどういったものかとか壁とかそういった限りなく要素の顔をしていない要素によってダンスが制作されていくと考えることも面白いかもしれない。
演劇の稽古を楽しみつつ、こういった隙間時間で身体を探ることも楽しい。
4年ぶりにリクリエーションをした『SUPERHUMAN』についてまだ曖昧な部分もあるけど少し書き出してみる。
そもそも僕自身はあまり再演というものの経験は少ない方だと思う。ましてセリフのあるパフォーマンスは少ない。
やっぱり自然と面白かったのは以前共演したパフォーマー間でのやりとりが微妙に変化して経験されるような手応えがあった。
でも以前、一緒にやってはいたので互いが再び出会い直して関係し合うような感じ。
それぞれの過ごした時間の中での成長もあれば失ったものもある変化した状態。
それらは本番に近づいて内容が上がっていくことでやっと認識されるようなところもあったけど。
そういったことが対人間では感じられて。
空間に対しては前回は北千住BUoYの地下スペースで行われ、今回は芝公園という屋外に仕切りを作った空間で行われた。それぞれの俳優達は作品上の演出の指示やチーム間での意見交換で空間に対するパフォーマンスを決める時もあれば、稽古場の森下スタジオから芝公園へ移った時の違いに自ら対応せざるをえずそれぞれで調整し合っていったところもあったと思う。
改めて共演して感じられたのは、ヌトミックの出演者の人たちはなんだかんだリズムとか音楽的な要素への技術をそれぞれ別の楽器のように持っていることだ。
またそれぞれが空間に対して、それぞれのやり方で身体動作を伴った解決方法を持ち、それを独自に開発して進めているような感じもあった。
僕以外に外部から出演の佐藤滋さんは普段、青年団にいるということだけどここでもまた独自のやり方によって空間を埋めていく様子を稽古場で眺めていた。
あともう少し互いに稽古し合う時間や本番があればお互いの技術が交わっていくのかなぁとか思ったり。やっぱり空間や時間が埋まっていくくらいの方がそれぞれのやっている仕事や取り組みが見えてくるということがあって、本番やそれに近い状態、ダメ出しをする段階で見えてくる具体的な段階というのがあった。
外側からヌトミックを眺めることも最近多かったので今回同じ舞台に立ちながら一緒に作品をいじっていけたのは楽しい作業だった。
自身のパフォーマンスに対してはもちろん反省もある。思ったより自身の発話におけるボキャブラリーが増えていないことや、勢いだけではいけない部分や、勢いでやろうとしていない気持ち的な部分(でも結局、勢いの燃料をたくことでやっとできることがあると気付いて再びその火を燃やすような調整もしたと思う)の変化など。
佐藤滋さんはコロナ発症のため本番一週間前あたりで降板が決まった。
非常に悔しいものだったし、他の出演者のセリフが増えて刷新する必要が出てきた一方で、なんとか滋さんがこれまでの稽古にいたということをポジティブにしていけないかと考えた。
さっきも書いたようなやりとりが稽古場では起きていて、その時間は誰かと一緒に踊ったときのように鮮烈に体験されたはずだったからきっとどこか、そのことが上演するそれぞれの身体に現れる気がして。具体的な箇所もあれば、たとえば滋さんの演技を軸にもう一方の代案を立てるとか。あるいはもっと抽象的に雰囲気とか強弱とか動きとか音とかそういうレベルでのことも残っていることがあったはずで。
ということで前向きにすぐ稽古を再開した。
以前、こう考えたことがある。街を歩きこの目や身体でその街を見回すことは、自分自身がカメラやビデオとして撮影するようなことでもあって、きっと踊った際にそれらがプロジェクターのように映されるということだってありえるのではないか、と。
それはちょっとイメージによったポエティックにその事象を見てしまった表現と言えるかもしれないけど。
それくらいのことだってこの舞台芸術においてどこかで想定として上がったって面白いと思うのだ。
それに演劇などは、上演を行うのはその劇団チームやスタッフによって行われるわけだけど観客の人などが鑑賞する時間というのも基本的には途中参加のようなことだと思っていて、色んなところからそれぞれ作品や企画が開かれていたり、半開きだったり、あるいは閉じたりしながらいつも誰かの途中参加を待っていること、人が参加し続けるその状況こそを指すものだと思うところがある。
そんなに勉強していないくせにどこかそう思いきっているところがある、持論。
自分が関わった作品に関してはこうやって少しだけ手応えを手繰り寄せて書くことがなんとか出来たのだけど、最近どこかずっと物足りなさを感じている。
たとえば自分の好きだと思っていた、気になっていた作家たちの発表こそが減っていて、今は今の状況でこそ出てくる作品の傾向というのがある気がしていて。
それはたとえばオルタナティブを感じられる機会が減っているというか。
気のせいかもしれない、たとえばKEXにだって足を運んでいないのだから。
でもこの「何かの足りなさを感じている」というところから出発出来ることがあるのも経験上知っている。
この足りなさはどのようにして埋めていけるのか、というよりはこの違和感に耳を傾けてそれが何をさせるのか、足の運び先ももう少しそれに委ねてみたい。
ということで11月は海とかにたぶん行った方がいい。歩いて景色を見て取り込むことで塗り変わっていくかも。
Aokidプロフィール
東京生まれ。ブレイクダンスをルーツに持ち東京造形大学映画専攻入学後、舞台芸術やヴィジュアルアートそれぞれの領域での活動を展開。ダンス、ドローイング、映像、パフォーマンス、イベントといった様々な方法を用いて都市におけるプラットフォーム構築やアクションとしての作品やアクティビズムを実践する。近年の作品に『地球自由!』(2019/STスポット)、『どうぶつえんシリーズ』(2016~/代々木公園など)、『ストリートリバー&ビール』(2019~/渋谷)など。たくみちゃん、篠田千明、Chim↑Pom、額田大志、小暮香帆といった様々な作家との共作やWWFES(2017~)のメンバーとしての活動も。