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坂あがりスカラシップ対象者・野上絹代インタビュー

坂あがりスカラシップ対象者・野上絹代インタビュー

2016年3月に坂あがりスカラシップ対象公演を控えた野上絹代。所属する快快の前身である小指値の旗揚げの頃から、現在考えていること、新作公演や今後についての思いを聞いた。
取材・構成=橋本倫史

野上絹代

(c)白井晴幸

(c)白井晴幸

振付家・演出家・俳優/FAIFAI所属。幼少よりバレエ、ダンスを始め、高校から振付けを開始。大学在学中に同級生らとともに劇団小指値(現在FAIFAIに改名)を旗揚げ。以後、俳優/振付家として同団体の国内外における活動のほとんどに参加。ソロ活動では、俳優/振付業のほか演劇、ファッションショーの構成/演出なども担当。作品制作の「きっかけ」を他者との対話によって徹底的に掘り下げながら演劇/ダンス/または舞台芸術の外側へ縦横無尽に行き来する。自らの出産、子育て経験を活かした幼児と保護者のためのダンス教室など、自らの多様性をも生きる強さに変える表現者。

目次

■一番フィットするのが演劇だった

――今日はまず、絹代さんのこれまでの活動を振り返るところから伺えればと思ってます。小指値(快快の前身団体)を旗揚げしたのは大学のときですよね?

野上 そうだね。多摩美ってすごく特殊なカリキュラムで、映画を撮りたい人も、演劇をやりたい人も、アニメーションや写真をやりたい人も同じ学科にいて、その中で「何かを作れ」っていう課題が出るんだよね。うちは父親が映画屋さんだったから、映画を撮ろうと思って大学に入ったんだけど、私はほとんど演劇だったかな。

――映画を撮ろうと思って入ったのに?

野上 そう。1年生の最後の制作のとき――それは「10人以上集めることができれば企画が成立する」って課題だったんだけど――篠田(千明)に誘われて制作したのが、オリジナルのミュージカルを作るって企画で。ただ、ミュージカルなんだけど、10人の中には人形劇をやりたい人たちも一緒になってたから、途中で人形も出てくるんだけど(笑)。とにかく、そこで私が作・演出・振付みたいなことをやって、それを篠田がちょこちょこ直して発表したんだけど、そのときに「あ、舞台楽しいな」と思ったんだよね。そこから4年間、演劇っていうかライブしかやってないかな。

 それで、4年間やっているうちに「誰が面白いか」っていうことがわかってきて、卒業制作で何か作ろうってときに集まったのが小指値のメンバーで。そのメンバーにはいろんなことをやってる人がいたんだけど、最終的には演劇をやるのが一番フィットするかなという感じで、卒業制作を旗揚げ公演にしたんだよね。そこから小指値がスタートして、途中で名前が快快に変わって現在に至るという。

――「演劇をやるのが一番フィットする」というのは、どういうところに感じたんですか?

野上 私がそう感じたってわけじゃないんだけど、いろんなことをやりたい人がいたときに、あれもこれも詰め込めるのが演劇だったっていうことなんだと思う。あと、個人的に思うのは、舞台っていうのは一人じゃできないジャンルだよね。たとえば映画だと、最終的に編集するのは監督で、誰か一人の目線に集約されていくのかもしれないけど、演劇だと皆の考えを反映させられて、それを最終的にアウトプットするのは俳優であるってところが、皆のわがままな性格にフィットしたんじゃないかと思う。そのときはがむしゃらだったから、何も考えずにやってた気がするけどね。

■娘が小学校に上がる前に

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――2012年に体制の変化はありましたけど、今も快快の活動は続いてますよね。そうした中で、今回絹代さん個人として坂あがりスカラシップに申し込もうと思ったのはなぜですか?

野上 もちろん快快もある程度自由にやれる場所ではあるんだけど、自由にやってきたつもりでも、団体で作るっていうことには無意識に制約を感じてるところもちょっとあって。たとえば自分が作・演出になったとして、それが快快の作品っていうことでパッケージされることに不満はないんだけど、「もっといろんな種類の自由があってもいいんじゃないか」って思ったんだよね。自分自身が作り手としてさらに強くなるためには、快快とは違うことに――ある程度決まった人を使って、決まった人と話をして作品を作るっていうのとは違うことにチャレンジしてみたいな、と。

 あと、うちの娘が来年小学生になるんですよ。小学生になると、ある程度成長はしてるんだけど、保育園にいるとき以上に帰ってくるのが早くなるし、今より手がかかるようになるんじゃないかと思うんだよね。そう考えると、娘が小学校に上がる前にこれまでの自分の成果みたいなものを出して、そこから今後のことを考えたいなっていうふうに思ったのが、スカラシップに応募したきっかけかな。

――快快は基本的に、集団制作という方法を取ってますよね。作品を作るとき、何度も何度もやりとりを重ねて作り上げていくわけですけど、そうやって集団制作で作るときと、自分一人で作るときとで一番大きく違うことは何ですか?

野上 快快で作るときは、集団で考えて集団としての答えを出すっていう感じがあって。もちろんそこに自分の意見を反映させることはできるんだけど、やっぱり少し小さくなるところはあるし、いろんな意見の集合したものが快快みたいな感じがある。でも、個人で作るとなると、自分ひとりで責任を持って答えをバンと出す。そこが違うところかな。

 でも、たとえば快快としてイベントに出るときでも、私しか参加しない企画もあったりして。そういうときは個人でやるのとほとんど変わらないようなやり方でやってるんだけど、そういうことを重ねてきたときに、自分ひとりで作るってこともできるんじゃないかって思うようになってきて。それまでは「皆で作りましょう」って感覚のほうが強かったんだけど、自分ひとりでもできる地盤が整ってきたのかもしれないね。メンタル的に。

■「生きてるぞー!」ってことを叫びたい

――ここ数年の快快の作品としては、『りんご』、『6畳間ソーキュート社会』、『へんしん(仮)』、『再生』がありますけど、どの作品も“命”や“人間そのもの”といったことが根底にある作品だなと思うんです。快快の集団制作の過程では、作品の根底にあるテーマについて全員が徹底的に話し合って作品を作り上げていくんだと思うんですけど、そういったテーマに対して絹代さんはどういう考えを持っていたんですか?

野上 何だろうね。でも、人間、生まれてきたからには「生きてるぞー!」ってことを叫びたいわけじゃないですか。そういうことを、これまで一貫してやってきた気はする。それを除外して考えたとしても、自分が舞台に立つ以上は大声を出して思いっきり身体を動かすっていうのは常にやっていきたいことかもしれないですね。これも言葉にすると陳腐だけど、「命って大切だよね?」「皆、大切だと思ってるよね?」っていう普遍的なことに行き着くのは、表現をやっている以上避けて通れないことではあるな、と。ただ、それを言いたくてやっているというよりは、どうしたってそこに行き着いてしまうことでもあるし、それを意識しないと舞台って難しいんじゃないかと思うけど。

――『りんご』という作品の中には、絹代さんのお父さんが亡くなったときの話が出てきますよね。あの話がすごく印象的で。

野上 うちの父が亡くなったのは70のときなんだけど、2回脳梗塞をやって――1回目のときはリハビリの必要もないぐらいすぐ治ったんだけど、2回目のときはがくっときちゃって。脳みそが年取ったじゃないけど、老化が著しくスピードアップしたって感じだったんだよね。その時期に私も出産をして、小さいものの世話で手一杯だったんだけど、それと同時に死に向かっていく人の世話を家族でしていて。デイケアサービスみたいなものにも通ってはいたんだけど、うちの母も仕事しながらだったから、どんどんぼろぼろになって。あるとき、デイケアセンターから帰ってきたときに、センターの人が「ちょっと熱が出てるみたいです」って言ったんだよね。その日の夕方から父が咳き込み出して、いつもはイライラしてた母も、その日は優しく背中を叩いていて――そうこうしているうちに父も落ち着いてきて寝に入ったから、皆で「いまのうちにごはん食べよう」って話になったわけ。それで、ごはん食べ終わったあとに、うちの母と私と妹とでモノマネ観てたんだよね。うちは家族でモノマネ観るのが好きで、「やっぱりコロッケの岩崎宏美はすごいな」とか言いながら、「シンデレラハネムーン」を聴いて大爆笑してて。で、うちの母が隣で寝てる父の様子を観に行ったんだけど、「ちょっと、お姉ちゃん!」とか言って。「え、どうしたの?」って行ってみたら、もう脈がない状態で――もし気づいてたら家族で泣きながら父を送ったのかもしれないけど、誰も気づかず爆笑してるときに、隣の部屋で亡くなったんだよね。でも、最期に聞いたのが家族の泣き声じゃなくて笑い声だったっていうのは、もしかしたら父が望んでた最期なのかなっていうことはちょっと思った。それは良かったなっていう。

――絹代さんのお父さんが亡くなったのは、出産して間もない時期だったわけですよね。

野上 そう。3月に娘が生まれて、うちの父は12月の中旬に亡くなったから、娘が1歳になる前に亡くなった。

■演劇を続けることと母であること

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――さっきも「娘が小学校に上がる前に」って話がありましたけど、演劇を続けていくことと母であることというのは、やっぱり無関係ではないと思うんです。絹代さんの中では今、演劇を続けていくことと母であることはどういう関係にありますか?

野上 うちの娘を出産する前に、自分の中で決めたことがあって。それは、「もしこの子を産まないという決断をするのであれば、演劇はできない」ってことで。もしこの子を出産しないのであれば、そういうことをするのはやめる。でも、もしこの子を出産するんだったら、自分のやりたいことを全うしながら、子育ても全うする。それは今もずっと心に留めてることで。

――それはでも、何でそう決めたんですか?

野上 何でだろう? でも、子どもを産まないという決断するのであれば、自分の好きなことはできないと思ったんだよね。そんなことをしてへらへら生きていけるわけねえだろうっていうか……。産んだら産んだで大変だから、どっちにしろへらへら生きてらんないんだけどね(笑)。でも、こう、人間が生きていく上で大切にしなきゃいけないことを守れないやつが、演劇なんかできるわけがないと思ったんだよね。だから、自分の表現活動みたいなことをやりたければ、どんなに小さいものでも尊重しないと駄目だな、と。そういうふうに思ったんだよね。

――絹代さんの最近の活動の中には、お母さんや子どもと一緒にやるワークショップやダンス教室がありますね。あるいは、『Y時のはなし』という作品を、子どもたちと一緒に上演したこともありますよね。そうやって子どもたちやお母さんにも参加してもらう活動というのを始めたのは、何かきっかけはあったんですか?

野上 えっと、『Y時のはなし』に関しては私が企画したことではないんだけど、まあでもすごくやりたいなという気持ちはあったんだよね。というのも、出産をする前に、「このまま演劇を続けてても、何を目標にすればいいのかわからない」っていう時期があって。そんなに有名になりたくもないし、めちゃめちゃ金を持ちたいっていうわけでもないし、大舞台に立ちたいって気持ちもあんまりなくて、何を目標にしたらいいのかわからない時期があって。そのときに、「この子を産んで育てることで、ネクストステージに行けるかも」って思ったんだよね。それはすごく無責任で安易な考え方だったなと思うけど、でも、実際に産んでみたらまさにそうで。子どもを産んだことで、自分と関わってくれる人への感謝も生まれてきて、それが自分の表現に役立つこともあるし、娘の存在が私を表現者として強くしてくれたんだよね。

■演劇にシャットアウトされた気持ちになった

野上 子どもたちやお母さんに参加してもらう活動をやってるのは、もう一つ理由があって。娘を産んだ直後に、演劇をしばらく観れない時期があったんだよね。当たり前のように未就学児お断りで、今まで自分を育ててきてくれた業界なのに、途端にシャットアウトされたような気持ちになったときがあって。演劇を観たくても、託児システムがない劇場もいっぱいあるし、託児所に頼もうにも高くて二の足を踏んじゃうし……。でも、たまに娘と一緒に演劇を観に行くと、やっぱりすごく嬉しいんですよ。娘が騒がないように気は張るんだけど、子どもと一緒に演劇を観れたっていうことにすごく楽しみや達成感があったんだよね。だから、こどもを抱えてても来れるような場所だっていうことを、お母さんたちに知ってほしいのもあるし、そういう場所になってほしいというのもある。

――お母さんとして自分が感じたことが、そういう活動にも繋がってるわけですね。

野上 そう。娘を産んで間もない頃は、しばらく鬱々とした日々を過ごしてたんですよ。「おっぱい飲ませながら韓流ドラマを観て私の人生は終わるのかな」とか、「『花より男子』、何周目だこれ」とかね(笑)。「私の人生はこうやって終わっていくのか」っていう気持ちになる日々を過ごしていたんだけど、でも、きっと自分以外にもそう思ってる人はたくさんいると思うんだよ。私は実家暮らしだから、母親の力も借りれるし、区の保障制度みたいなものも利用できるんだけど、親の力を借りれない人もいるだろうし、保障制度があるってことを誰に聞けばいいのかわからない人もたくさんいると思うんだよね。そういう人たちに自分の活動を知ってもらえば、「子どもを連れて外に出よう」って気持ちになれるんじゃないかな、と。やっぱり、外と交流することによって子育てが円滑に進むと思うんですよ。ずっと家にいると、親の鬱屈が全部子どもに向かっちゃうんだけど、外に連れ出しておばあちゃんとかに「やだ、かわいい」とか言ってもらえると、自分が褒められてる気持ちにもなるじゃない? そのために、少しでも外に足を運んでくれるなといいなってことで始めたんだよね。

――前に絹代さんに話を聞いたとき、「つらいのはつらいんだけどさ、本人たちが一番気にしてないっていうのがお母さんの強みじゃない?」って話をしてくれましたよね。あの言葉を、こないだの『再生』を観ているときにも思い出したんです。あの作品は、終盤になればなるほどしんどいはずなのに、ふとした瞬間の絹代さんの表情がすごく楽しそうに見えるというか。

野上 そうだね、だからちょっとMなんじゃないかと思うけど(笑)。たしかに『再生』のときも、「大変だー!」「でも生きてるー!」って気持ちがすごく強かった。あの作品はもう、頭を動かすよりも身体を動かして、そのあとに何があるのかっていうチャレンジだったから、すごく楽しかった。快快だけで制作してるときは初日明けるまでが大変で、皆がひとしきりしゃべって稽古しない日とかもあるんだよね。でも、『再生』のときは結構早い段階で「あとはやればいいだけだよね!」ってなってたんだけど、初日が明けてからが超大変で、「あと10日もやるの?」みたいな感じで(笑)。しかも、初日は娘の遠足の日だったから、弁当を作ってから劇場に行くっていう(笑)。もう、笑うしかないっていう感じだったかもね。

墻内美穂(横浜にぎわい座/スカラシップ事務局) 前に話をしたときに、「自分の周りにも子どもを産んで活躍している人がいるってことを感じ始めてる」と言ってましたよね。それは自分の問題意識とつながるところがある、と。

野上 そうですね。子どもを産んで育ててる人って、ダンスの世界では結構いたんだけど、小劇場ではあんまり見かけなかったんですよね。それが最近、小劇場の世界でも結構増えてきて。そうすると「ただ演劇ができればいい」ってことではなくなってきて、保育園の問題もあるし、色々必要になってくるわけですよ。私は幸い仲間に恵まれて、海外公演のときには娘の渡航費が劇団から出てるんですよ。だから海外ツアーがあっても何とかやってけるんだけど、でもその前に、たとえば助成金で子どもの渡航費も出たらいいのになってことは思ったりする。今、若い女優さんでも「普通に結婚して子どもを産みたい」って人もいるだろうし、じゃあ子どもを産んでどうやって活動を続けていくかって話になったときに、個人個人でどうにかするだけじゃなくて、もっと制度として整えばいいのになとは思うんですよね。最近、私の周りでもポンポン生まれてきてて――それってすごく幸せなことだし、祝福すべきことだし、出産をした彼女たちが演劇界で活躍し続けることもすごく喜ばしいことだと思う。

――たしかに、もっと制度が整うといいですよね。そうじゃないと、子どもに「あれ、自分って邪魔な存在なのかな」って気持ちが芽生えかねないですよね。

野上 そう思います。私の知り合いにオーストラリアで育った人がいるんだけど、その学校には外交官の子どもが多かったから、小学校のときから課題を提出して単位を取るみたいな感じだったんだって。日本の小学校は「とりあえず出席しないと駄目」ってところがあるけど、もっといろんなやり方があってもいいのになと思ったりはする。子どもの人生レベルで考えると、いろんなところに連れて行ってあげたほうがプラスなんじゃないかと思うから。

――演劇を観るってこともそうですけど、何かを見るってことはプラスなことですからね。

野上 そうそう、見たり触れたりするっていう。うちの子はいろんな国の人と触れ合ってきてるから、面白い子になってきてると思う。まだイタリア語と英語の区別はつかないんだけど、「外国人だ!」みたいな感じは全然ないね。「いいなー、金髪で」とか言ってるからね(笑)。「私はどうして日本で生まれたの?」とか言って。「え、日本じゃ駄目なの?」「私もイタリアで生まれたかったな、そしたらイタリア語しゃべれたのに」って(笑)。なかなか難しい要求だなと思ったけど。でも、そういう風に思えるのはいいことだと思う。「あいつは何人だから嫌だ」って思うより、すごくかっこいいことだなと思います。

■他者との対話をきっかけに、作品をつくる

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――坂あがりスカラシップの対象に決まったとき、サイトに掲載されたプロフィールには「作品制作の「きっかけ」を他者との対話によって徹底的に掘り下げながら演劇/ダンス/または舞台芸術の外側へ縦横無尽に行き来する」と書かれてましたよね。ここに出てくる「きっかけ」と「対話」という言葉がすごく印象的で。まず、「きっかけ」という言葉を入れた理由から聞かせてもらえますか?

野上 何となくの私の中の哲学として、「何かをやりたいと思ったときにはもう、結果がすべて出来上がっている」っていう考えがあるんですよ。そのきっかけであるとか、原因であるとか、なぜ表現をしたいと思うのかってことを掘れば掘っただけ作品が出来上がると思っていて。それが作品のコアの部分だなといつも思うから、企画を与えられたときはいつも「きっかけを掘り下げる」っていう作業をやってるんだよね。だから、きっかけを掘り下げることが制作過程ということですね。

――なるほど。じゃあ、もう一つの「対話」っていう言葉は?

野上 人と対話をしていると、無意識のままぺらぺらしゃべっているときがあって。というか私の場合はそれが8割ぐらいなんだけど(笑)、しゃべったあとに気づくことが多いんだよね。人と会話をしていると、頭が働くのかな。だから、頭を働かせるって意味でも対話は重要だし、人とのコミュニケーションっていうことも作品そのものになりうると思ってるんだよね。というのも、私は舞台表現というのはコミュニケーションの芸術だと思っているフシがあって。たとえば優秀な俳優さんっていうのは、台詞を与えられなくても、そこにポンといるだけで成り立つと思うんだよね。それはきっと、しゃべらなくてもお客さんとコミュニケーションが取れるからで。優秀な俳優にしても優秀なダンサーにしても、コミュニケーションを取るのがすごく上手なんだと思うんですよね。だから対話っていうことそれ自体が舞台表現として成り立つと思うし、そのきっかけを掘ることも作品になり得るな、と。これもたぶん無意識でしゃべってるけどね(笑)。

――スカラシップを受けて、来年の3月に公演をやることが決まってるわけですよね。具体的な制作に入るのはまだこれからだと思いますけど、今の段階ではどんなことを考えてますか?

野上 何だろう、音楽でも絵画でも、手法がいっぱいあるじゃないですか。音楽だと作曲法もあるだろうし、絵画だとキュビズムだとか何だとか、色々あるじゃないですか。もちろん演劇にも手法はあるんだけど、その手法は使わずに、別のところからポンと手法を持ってきて、それを演劇やダンスとして発表するってことに興味があって。あと、表現したいことの一つには時間っていうことがあるんだよね。

――時間?

野上 うん。大学生のときに、たぶん映画の授業だったと思うんだけど、「時間を表現するのは映像のほうがいい」って言ってる先生がいて。そのときに「え、本当かな」って思ったんだよね。別に否定も肯定もないんだけど、「演劇で時間を表現するほうが楽じゃない?」って私は思って。だって、急に「30年後!」とか言ったっていいわけだから(笑)。

――ああ、たしかに(笑)。

野上 そうそう。だから演劇のほうがもうちょっと自由じゃないかと思っちゃうんだけど、その先生に言われたことが引っかかっていて。ただまあ、時間っていうのはまだ扱えないものじゃないですか。

――そうですね。タイムマシンも一向に完成しないですしね。

野上 だから、うん、扱うと面白いかなっていうふうには思ってる。娘を産んだとき、「私はこの子を産むために生まれてきたんだ」と思った瞬間に「あれ?」と思って。この子を産むために生まれてきたんだとしたら、原因が未来にあって結果が過去にあることになっちゃんじゃないか、って。私を産んだときに母がそう思ってたら、そして母を産んだときに祖母がそう思ってたら――そうやって考えるとぶわーって時間が逆に進んじゃって、私はそのとき電車に乗ってたんだけど、席から立てなくなっちゃって(笑)。「私は今どこにいるんだ?」と思って、怖くなっちゃったんだよね。それぐらい自分に揺さぶりをかけてきた観念的なものを、どうやったら演劇で表現できるのかってことは考えてるかな。なんかこう、自分の思い一つで未来は変えられるっていうのはわかるじゃん。先のことだからそれはそうだろうなと思うけど、自分の思い一つで過去の歴史が変わる」ってことのほうが、「なんてことだ!」と思うじゃん。自分が取る行動一つで歴史が変わるかもしれないってことのほうがすごい力を手に入れた感があるし、今ある歴史が確かなものかどうか、わからなくなる。そういうことに興味があるんだと思います。

公演情報

坂あがりスカラシップ2015対象公演
『GIFTED』
作・演出・振付:野上絹代
出演:端田新菜(青年団/ままごと)、永島敬三(柿喰う客)、岡田智代、野上絹代
音楽:Mother Tereco

主催:三月企画
共催:坂あがりスカラシップ(急な坂スタジオ・横浜にぎわい座(のげシャーレ)・STスポット)

お問い合わせ:080-4187-2624(平日10時〜17時)
チケット発売 2016年1月15日(金)
http://www.kinuyo-marchproject.info/