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新連載!Aokidのコラム「Drawing & Walking」

急な坂スタジオで新しい連載をはじめます。
ダンスだけではなく、絵や美術など様々なアプローチで踊り続けてきたAokidさんは、どんな言葉を紡いでくださるのでしょうか。
このコラムでは、ふと思い浮かんだことや、稽古場や様々な場所ですれ違った人・ことについて綴っていただきます。
Aokidさんの独特なリズムで綴られる文章をぜひお楽しみください!

Aokidのコラム 「Drawing & Walking」 第1回

自己紹介。
中学2年の頃にミスチルのベストアルバム『骨と肉』を買ってそれに影響を受けて自分の言葉で世界に対して書いてもいいんだと思い、詩を書いたり曲に合わせて歌ったり、バンドに憧れたり。

結局、バンドは紆余曲折あって始められず、ブレイクダンスを始めます。
明日学校で、逆立ちにみんなで取り組んだら面白いのでは、とか。
”ビタミンすぅ〜MATCH”のCMの中で1人、校舎で踊っているダンサーを見て、他で起きていることとは関係なく勝手に踊ることを通して自分の王国を作りながらも教室や学校で別で過ごす人たちと共存している光景に、素晴らしい景色を見たのでした。

もしかしたら今も変わっていないかもしれなくて、勝手にどこにいても自分の世界を楽しそうに作り上げる、笑われても、誰に注目されなくても、自分にとって楽しい場所がそこに存在していることに集中する姿はとても動物みたいで美しいと今でも思っているのかもしれません。だからどこか舞台の上だけで踊ることを信仰してるわけでもなく。

こないだそういえば、どこかの施設の並んだ窓ガラスの前、うまくもないけど1人で自由にステップを繰り出し踊っているおじさんを見た時、笑ってしまうくらいに嬉しくなってしまった。

ダンスは気づかれないところで起きていて、きっと掴むことのできない幽霊のようでもあるのかと。だからあなたが踊ることはいつも正解で、そうやって逃げ続け、時にたまに人前に姿をあらわすくらいでも十分なのかもしれません。これは完全に筆に任せて書いたテキスト。自己紹介は次回に続きます、さて本文へ。

改めまして。初めまして、ダンサーのAokidです。
こちらでしばらくエッセイのような形で文章を書いていきます。

ただいきなりですが僕は振付を人に対してしてきたことが少ない気がします。また自己紹介の仕方も振付家や、アーティストと言ったり場所によって変えてきました。でも最近はダンサーということも多いです。

それにしても僕は人の振付で踊ることもほとんどしてこなかったのですが、しかし色んなことに、世界に、環境に、状況に色んな踊りをさせてもらってきた気がしますし、どこかいきなり踊り出している時、確かに世界に対しての振付をしているとも言えますが、ここで踊っているという感じの方が強いかもしれません。

また絵や美術、音を使ったアプローチもダンサーの活動に含んだレパートリーのように考えることもできるのかもしれません。ということでいったん、肩書きはダンサーとします。
また職業欄にダンサーと書くことのほかにも度々、詩や歌の中にダンサーという言葉が登場し状況に充てがわれるように職業上だけでなく、こっちの詩的に活躍する可能性を含んだ”ダンサー”という言葉の方の活躍も見ていきたいですね。見ていきましょう!
どうぞよろしくおねがいします。


DANCE TRUCK TOKYO:2021でのAokidパフォーマンス(撮影:HiroshiMakino)

6月15日、お昼過ぎに東京デスロックの稽古場にお邪魔させていただいた。『再生』の再演に向けての稽古。
主宰の多田淳之介さんとは何度も舞台で一緒に仕事をしているけども、知らないこともたくさんあり、また演劇の制作現場を見ることがなかったので少し緊張して稽古場に3時間ほど滞在した。この日は初めて通しをするという。
スタジオに到着すると稽古場はスタッフとステージ側で分かれ、真ん中のスペースに美術が散乱した状態でセッティングされている。
俳優の人たちが話をしたりしながらシーンを作っているところらしい。この『再生』にはダンスver.で何度か出演したことがあり、演劇の方は映像で一部だけ見たことがあったのでなんとなく概要については知っていた。フォーマットとしてはダンスver.に似ている部分もあって、遠いものには感じられなかった。
役者たちがいて美術の置かれた空間を見て、改めて役者というものについて考えていた。
なぜ人は役者になって、稽古場に集まりこれから行われる、作られる劇について何を待ち、乗っていくのか、何を持っていくのか。

それはダンサーも然りで、集団で集まった光景などを見てなぜダンサーたちはそこで作られる作品に向けて何を待ち、何に乗って、何を持っていくのか。
1人でその場に出て行って何かするのとは違うのか、ここではそこまでこの考えを発展させはしないのだけど、稽古場で集まり制作する姿を通してそんなことを思った。自分は結構1人でどこかの場に出て行ってアクションをすることが多い。

何かいきなりその場に相談を持ちかけに現れるような、、、だろうか。
ん、タイミングを作るということだろうか。

劇場で発表をする、事前にポスターを用意し紹介し接点を作る。
階段を上がってドアをくぐって舞台の幕が上がるのを待つ。
あるいは、この街の溜まり場でいきなり唐突に日常のテンションからしたら少し山になったあたり、を作り出してみることで他の人と接続しうる。
生きている時間の中で、寝たり起きたり、1日のリズムがそれぞれにあって

ある時、人と出会う、
ある時、祭りが起きたり、
ある時、会話が起きたり、
ある時はミーティング(またその席でテンションが上がったり)、
ある時は呼び出されて怒られて、
ある時はこの話を聞いていたくなくて教室を飛び出したり。

どのように人と集まるのか、あるいはどの人とどのタイミングで集まるのか、両者とも合意の上なのか、一方的なのか。
日常に耳をすませる、
耳をすませようとイヤホン、
からマーラーのあの曲が。
長い。長いプール。
それは確か映画『WATER BOYS』のオープニングでかかっていた曲。

その日、急な坂スタジオをあとにし桜木町を抜け、馬車道の方で一休みしにいった。そこまでいくとDance Base Yokohamaがあり、来週はここで練習会をする予定なので改めてそれについても書こうと思います。

このエッセイのシリーズでは急な坂スタジオに様々なアーティストが訪れ、出会い、すれ違うように、様々な舞台芸術やそれ以外にまつわる、自分の体を通して起こるクロッシングや透き通りについて書き起こし、文字の上だけでもドローイングみたいにして書き連ねていきたいと考えています。
どうぞよろしく。

▶︎第2回はこちら

Aokidプロフィール


撮影:石原新一郎

東京生まれ。ブレイクダンスをルーツに持ち東京造形大学映画専攻入学後、舞台芸術やヴィジュアルアートそれぞれの領域での活動を展開。ダンス、ドローイング、映像、パフォーマンス、イベントといった様々な方法を用いて都市におけるプラットフォーム構築やアクションとしての作品やアクティビズムを実践する。近年の作品に『地球自由!』(2019/STスポット)、『どうぶつえんシリーズ』(2016~/代々木公園など)、『ストリートリバー&ビール』(2019~/渋谷)など。たくみちゃん、篠田千明、Chim↑Pom、額田大志、小暮香帆といった様々な作家との共作やWWFES(2017~)のメンバーとしての活動も。