坂あがりスカラシップ2010対象者、藤田貴大(マームとジプシー主宰)と、2010年4月より急な坂スタジオのレジデント・アーティストとなった柴幸男(ままごと主宰)による特別対談を行いました。偶然にも再演作品の稽古真っ最中の二人がお互いの稽古場を見学した後、2010年を振り返りながら創作への思いを語ります。
マームとジプシー『コドモもももも、森んなか』
ままごと『わが星』
企画:マームとジプシー
加藤弓奈(急な坂スタジオディレクター)
佐藤泰紀(STスポット/急な坂スタジオ)
採録・構成:藤原ちから
目次
藤田貴大
マームとジプシー主宰・劇作家・演出家
1985年生まれ、北海道出身。2007年マームとジプシーを旗揚げ。象徴するシーンのリフレインを別の角度から見せる映画的手法が特徴。また、役者が本来持つパーソナリティや役者自身の質感を作品に大きく反映させ、舞台上で生まれるリアルなドラマを作品に組み込んでいる。2010年6月坂あがりスカラシップ2010対象者として選抜される。2010年11月に発表した「ハロースクール、バイバイ」ではKYOTO EXPERIMENT2010フリンジ企画”HAPPLAY “とF/T公募プログラムに同時参加。2011年2月1日〜7日、横浜STスポットにて『コドモもももも、森んなか』を再演。
マームとジプシー
柴幸男
ままごと主宰・劇作家・演出家
1982年生まれ、愛知県出身。青年団演出部所属。日本大学芸術学部在学中に『ドドミノ』で第2回仙台劇のまち戯曲賞を受賞。2010年には『わが星』で第54回岸田國士戯曲賞を受賞。何気ない日常の機微を丁寧にすくいとる戯曲と、ループやサンプリングなど演劇外の発想を持ち込んだ演出から、普遍的な世界を描き出す。現在、シアターガイドにて「まちびときたる」を連載中。2011年4月より『わが星』全国ツアーを準備中。
ままごと
横浜、STスポット、急な坂スタジオとの関わり
加藤弓奈(急な坂スタジオディレクター、以下、加藤) 今日はお互いの稽古を見た後なんですけど、なんとなくそれぞれの2010年を振り返りつつ、ラフな感じで話せたらいいなと思ってます。
藤田貴大(以下、藤田) 実はマームとジプシーの稽古で急な坂スタジオを使わせてもらうのは今日が初めてなんですよ。オーディションで使わせてもらったりしたことはあったし、横浜ではずっとやってきたんですけど。
加藤 月に1回、スカラシップで「今どんな感じ?」って話はしてるから、初めてって感じは全然しないね。
柴幸男(以下、柴) STスポットでの公演は何回目?
藤田 2月の『コドモもももも、森んなか』で4回目です。
柴 マームとジプシーはSTの『しゃぼんのころ』で初めて観て、あれはすごくSTの空間を使いこなしてるなーっていうか、物理的に表も裏も使ってたでしょ? それが物語と溶けて馴染んでる感じがした。
藤田 STスポットと提携を結べたら、STの空間で稽古していいってのがあるんですよ。
加藤 そうなの? 私の気持ちとしては、もっとざっくり「空いてたら使っていいよ」って感じでした(笑)。でもずっと思っているのは、作る場所と見せる場所が違うと作品に嘘が出ちゃうってこと。それに劇場費や稽古場代は目に見えて出費になるところだから、その部分を劇場が少しでもサポートできないかって思ってる。
藤田 STの提携公演になって嬉しかったのはそこですね。そうじゃなかったら公民館を借りるしかないし、劇場を想定して稽古をするんだけど、例えば音のことにしても、普通の貸し館だと小屋入り期間と本番中に模索するしかないところを、事前に調整できる。今回再演する『コドモもももも、森んなか』は2009年11月に初めてSTと提携を結んだ作品で、その時「あ、こう使えるね」って分かったんですよね。だから『ハロースクール、バイバイ』で京都に行った時も、「STだとここの壁にラジカセを吊してたよねー」とか「こういう制作周りでやったよねー」とか、STをベース(基準)にして技術スタッフとも話し合える。
柴 そっかあ。僕は急な坂スタジオのレジデントアーティストに2010年4月からさせてもらったんですけど、まだ正直なところ、横浜で作って見せてる感じがしっくりきてないので、2011年はもっと関係を持ちたい場所ですね。急な坂も、STも、横浜って町も。でも板挟みなのは、アゴラ(こまばアゴラ劇場)へも恩義を返したいと思っているから(笑)。実は新作は小さいところで2人芝居くらいでやりたいと思ってて、それをSTでやらせていただくか、アゴラでやらせてもらうか……まあどっちみち2年くらい先の話なんですけど。
加藤 柴くんに関してはね、何年かかってもいいから横浜とじっくり関係を持ってくれればいい、と思って最初から考えてるから大丈夫。義理を返さなきゃいけない場所には返してきて(笑)。横浜はいつでも待ってるよ。
柴 ありがとうございます(笑)。僕も最初は同じように公民館を転々として、青年団に入ってからようやくアゴラ周りの稽古場を押さえられるようになったんですね。今は長期的に3年とか5年とかのスパンで「ここで作品を作って発表しよう」と思える場所を探して転々としてます。
藤田 マームとジプシーは桜美林大学出身の人が多くて、大学が町田にあるので、もともと東京からも離れていたし、横浜が特に遠いって感覚はなくて、距離感覚がフラットだったんですね。で、卒業公演みたいなことをやった時に、青年団の山内健司さんが観てくれて、「藤田はSTとか狙ってみたらいいよ」とか言ってくれて。本人は覚えてないらしいんですけど事実としてそうで(笑)。それで次の日に(俳優の)召田実子と一緒にSTスポット館長の大平さんに電話して、見学しに行って、そこで半年後の公演を押さえたのが最初です。
「町」というスケール、自分の規模
柴 ちなみに実家はどこ?
藤田 北海道の南のほうですね。
柴 劇場はある?
藤田 ありますよ、ひとつ。そこで2011年に公演するかもしれないです。でも全然、名古屋みたいな大きな町じゃないし、特に地元に帰るって意識もないんですけど。
柴 僕は今は1年の半分くらい実家にいて、それは家賃がかからないしご飯があるから、っていう現実的な理由なんだけど(笑)、基地はどこでもいいと思ってて。例えば多田淳之介(東京デスロック主宰/キラリ_ふじみ芸術監督)さんの「本拠地・日本」宣言には正直「やられた!」と思ったけど、僕はもうちょっと小さくというか、まずは町に1回引きこもるという感覚もあって。
藤田 いきなりスケール大きいとストレスですよね。僕も18歳まで北海道の田舎に住んでたし、その年頃の子に見せたいって気持ちもあります。でもいい作品を作ることだけ考えたら、そこにあるのは、欲望だけじゃないですか? その欲望の規模がひろがってく感じは分かるんだけど。
柴 僕はまずそこのレベルにしないと責任がとれないし、5年くらいのスパンで考えると、今は「町」のスケールがしっくりくるんですよ。よく「地域を元気にする」云々って言い方があるけど、それは結果であって、それを最初から念頭に置くと訳分かんなくなりそうだぞって。
藤田 ほんとそう思います! 僕は(制作の)林さんにそこの部分は全部任せます。もちろん高校生に見せたら面白いとか、おじいちゃんおばあちゃんに見てほしいとかはあるけど、それは結果であって、ゼロ地点ではないんですよね。
柴 町には、「長く自分が書き続けていくもの」が自然とめぐるような場所があると思うんです。僕の生まれ育った町は小さくてやることもないから、自転車で古本屋を1日3回くらい回ったり(笑)。その自転車で走れる距離が自分にとって世界の最適な大きさな気がしてて、それを日本のどこにフォーカスするか……。そこのピントが最近ぼやけてきたので、もう1回探したいなと。
藤田 うん、なんか自転車って面白いですよね。赤ちゃんの時は世界って自分ひとりだったんだけど、母親を認知したときにママって意識して、家族ができて、自分で歩けるようになって規模がひろがって、幼稚園に入って、自転車乗れるようになって、古本屋とかもめぐれて、切符買えるようになって札幌行けて、飛行機乗れるようになって本州行ける……みたいな。その地ならしのスパンは必要だと思ってて、その意味で僕は「規模」ってことを考えて、作品の中でもその言葉を使ってるんです。チェルフィッチュの岡田利規さんが前に『コドモもももも、森んなか』の初演を観てくれた時に、「自分の規模が何にもないのが分かるまで作品をやってほしい」と言ってくれて、だけど自分の規模を確かめたいってのもあるから、今のところここらへんなんだな、ってことは毎回捉えたい。実はマームとジプシーが今の形になる前に、荒縄ジャガーって劇団をいったん解散させたんですね。その時に旅に出て(笑)、行った先の屋久島のカフェがすっごい素敵で、「あ、こういうとこでオレはやりたいんだ!」と思って元気もらって帰ってきたんです、東京に。そのあと半年くらいしてマームとジプシーを立ち上げた。22歳くらいだったと思います。だから発端としてマームとジプシーはカフェとか小さな場所を想定していた。でもやってくうちにお客さんが入りきらなくなって、僕のやりたい作品の規模としても、舞台表現としてのテクニカルなことも、空間の使い方も、もっとフラットな場所でやりたいという欲望が出てきたんですね。
依頼仕事を受けるバランス
藤田 でも今度、相模原市のグリーンホールから依頼されて、2011年の3月にワークショップ形式でリーディング作品を作ります。それはあえて古民家みたいな場所を選んでもらったんですけど、3年前の僕らに少し戻る感覚があって。それは公演じゃなくて発表会なんだけど、やっぱり創作活動の一部なんですよね。だからお仕事としての依頼も、僕らの目標に達するための芸術作品だし、半年とか1年のスパンで考えてる僕らの血にならないと意味ないと思ってます。3月はその原点回帰の節目にしたい。僕はまだ柴さんほど急がしくないけど、今後の対応としてそうありたい。
柴 いやほんとに、大事だと思いますよ。僕も2011年は『わが星』の再演があるけど、2012年の公演は依頼された公演だけになりそうで。それはちょっとヤバいなと思ってて。自主公演がないと、何がしたいのか分からなくなってしまいそうで。
加藤 そこは急な坂でレジデンスしてきた岡田利規さん、中野成樹さん、矢内原美邦さんたちを見てるとね、依頼されたものにきっちり応えるための保証として、横浜にホームがあって安心ができる、ってことはあると私は勝手に思ってるのね。そうしたことがアーティストには必要。みんなが表(他の場所)で仕事を受けるのはカッコイイことだし、それはそれでクールにやってほしい。でもしんどくなったり、面倒くさくなったり、「今ちょっと無理!」とか思ったりしたら、ここに戻ってこれるようなホームにしたい。その感覚を伝えたいと思いながら、急な坂はボーッと待ってます(笑)。
藤田 実感としてはまだまだなんですけど、でも若干、2010年のF/T(フェスティバル/トーキョー)の公募プログラムに出て、また横浜に戻って……ってした時に、この往復はいいなと思って。それが三角形でもいいかもしんないしね。
柴 そこは僕は、今は転々とするのもいいかなと思って家出中です(笑)。
—— 柴さんは「名古屋・愛知」と「横浜・東京」の往復運動っていうイメージかなと思ってました。でも考えてみると、確かにいろんな場所でクリエイションされてますよね。
柴 僕は北九州(芸術劇場)がたいそうお気に召しまして……。とか、エラそうなこと言ってすみません(笑)。でもなんか居心地良くて、食べ物も美味しかったし。劇場自体が特にそんなに設備面で傑出してるわけではないんですけど、あそこで働いてる人とか、チームとしてもソロとしてもパワーが高くて。今までで一番やりやすかった。
作中での音楽の使い方
柴 ところで、音楽については藤田くんはどう考えてますか? 明確に何かの曲をかけようって意図はある?
藤田 音楽はできれば一曲まるまる流したいんですね。3分の曲だったら3分のシーンを作りたい。音楽は耳に残るんですね。耳に残った記憶がフラッシュバックする。俳優の声も音楽だと思ってて。それが耳に残るから、最初は何言ってるか分からなくても、次に聞いた時は分かるようになる。
柴 俳優に対して音楽が効果を持ってるとは?
藤田 考えてないですね、そこは。
柴 かけるCDは全部自分で選んでる?
藤田 そうです。CDアルバムってそれ自体に第三者としての感情がかなりあるから、そこに自分の作ったシーンを載せてみたい、っていうのはあります。
柴 なるほどね。というのは京都で観た『ハロースクール、バイバイ』は、僕の率直な感想としては、音楽が邪魔だなと思った瞬間もちょっとあったんですよ。もっと集中して観たい、聞きたいと思ったから、奥で鳴ってる音楽からの感情や展開が邪魔に思えるシーンがあった。そこは何か考えてる?
藤田 まったくないですね。もう、僕がかけたいからかけてるだけで(笑)。
柴 あ、そうなんだ?(笑)
加藤 藤田くんはあの直前にフジロックに行っちゃったから、その熱がね……(笑)。
藤田 『ハロースクール、バイバイ』はメチャメチャ音楽使いましたからね。今までで一番多かったと思う。
柴 僕はあんまり自分の舞台では音楽かけないんですよ。もうね、恥ずかしいんです。稽古場でも音楽をかけた瞬間に、「わー消して消して、恥ずかしい!」ってなっちゃう(笑)。使えたら使えたでいいんだけど、その勇気がない。あとBGMとして他人が作った曲を自分の舞台に当てるのもしっくりこなくて、それだったらオリジナルで作りたいんですよ。そもそも『わが星』の場合は、□□□の三浦康嗣さんのあの曲に合わせて台本書くってのが大前提にあった。でもそれでオン/オフの瞬間があるとイヤだから、最初から最後までずっと流しっぱなし。それは他の人の芝居を観てて「ああー、ここでこういう音楽をかけて、こう感じてほしい」って意図を感じてしまう瞬間が多いからなんですけど。
藤田 それは危ういですよね。
柴 途中で楽器を持ち出すのはイヤ。でも逆に、音楽のほうに合わせて芝居を作ってみるのは、面白そうだと思う。
藤田 CDアルバムって大体1時間強で、その時間をどう聴かせられるか、ってことで構成されてるじゃないですか。僕は18歳くらいの時にいろんなCD聴いて、芝居を作りたいと思ったんです。だからあんまり音楽をかけることに対して恥ずかしさとか最初からなかったし、例えば1曲が3分から5分くらいだとして、部屋でじっと聴けますよね。だけどなんで演劇の5分ってこんなにつらいんだろう? じゃあこのアルバムみたいな演劇を作ろう、と思ったらシンプルになったんです。……で、実はプロットの作り方においてもCDアルバムの展開はすごい勉強になってて、シーンの1つ1つも、1曲分くらいの短い時間で作ってるんですね。そして時間割はCDアルバム並みにしっかり作ってる。だから僕の芝居を観てて、お客さんは絶対寝ないと思うんですね。例えば5曲目とか7曲目でピークを迎えるアルバムって結構あって、まあアンビエント音楽はまた違うんだけど、それは演劇でいうと25分とか30分の地点。お客さんがお尻痛くなったり眠くなったりするそこに、5曲目とか7曲目を持ってくる。そうやって物語を作ってるんです。
お客さんの体感速度と、シーンを変える手術
藤田 だけどこの音の話にしてもね……STスポットはすげえんすよ。
加藤 嬉しい、もっと言ってくれ(笑)。
藤田 例えば『ハロースクール、バイバイ』で「あじさい」の役をやって、今度の『コドモもももも、森んなか』では「みずうみ」の役をやる子(荻原綾)って、何言ってるか分かんない。つまりヘルツ的にはハッキリ言って終わってるんですよ(笑)。でも彼女の声がSTだと超聴こえる。あそこはそれを音として逃さない空間なんですね。だから『ハロースクール、バイバイ』の東京公演では、音がシャリシャリしてたところでちょっともがいた。シアターグリーンでは10出さなきゃいけないところを、STでは1でいいとか、あるんです。だからSTでかけた音楽とか、STで発語させた言葉とか、音として耳に入ってきやすいのはもう分かってるんですよ。そこのお客さんの体感速度はもう分かってる。だけどいつもSTでばっか公演やるわけにはいかないから。
柴 体感速度?
藤田 うん、例えば、座席がリクライニングで快適だったら、30分のところで、本来15分の地点に置くべきものを持っていっていい、とか。東京に戻ってきたから、じゃあここの劇場ではこのシーンは下げようとか。
柴 なーるほどなー。僕はそこが分かったからといって、シーンを変える勇気がない。
藤田 だから今日『わが星』の稽古を拝見しましたけど、ビートがずっと鳴ってるから、お客さんはそこに乗るか、乗らないか、ですよね。それはシビアじゃないですか? そこを僕らは何回も何回もお客さんと摺り合わせていく時間をたっぷり持つから、音楽をかけても別に寒くないと思ってるんですね。逆にずっとビートを鳴らすのは、かなりの自信がないとできないと思う。
柴 いや、いつも負け戦覚悟というか(笑)。僕は、体感を維持できる戯曲の構造なり流れなりがあるということをなんか信じてて。そこに辿り着きたいという欲求がある。
藤田 それすごいな。僕それ、ほんとへなちょこっすもん。マジで負けていきますよ。ほんと負けてく。ピヨッピヨだもん! ほんとそこ!
柴 (笑)。だけど公演によってダメな時が全然あるわけです。そこで僕の手術の仕方は……もはや戯曲を変えることはできないって。
藤田 僕、すぐ開腹手術しますもん(笑)。
柴 なんか夢として、理想としては、机の上で一回完成させたいんだよね。
藤田 それすげえなあ。僕は怖くて机の上で泣くもんな、絶対。本番の日までずっとにらめっこしてるんですよね、台本と。でもそこだけじゃ分かんなくなっちゃって泣く。こないだの柴さんのSTの公演(toi『華麗なる招待』)も、死の扉があるって設定は、今はそれ以外言葉がないからあえて言うけど、「ルール」じゃないですか。そのルールを曲げない信念はすごい勇気というか。僕はほんとそういうのない。
柴 それはね……いや、藤田くんの言ってることは正しい。正直きっつー、って時はあって、このルールで押し通したけど全然ダメだなっていう。それは良くないことだと思ってて、藤田くんのほうがお客さんに対して誠実だと思う。僕は「あ、今回も失敗だったか……」とか思って、もう2日目とかで公演を諦めることが正直ある(苦笑)。もうこれを直すってことには絶望して、新たにゼロから次の作品で書くしかないってことを思っちゃう。快快の篠田(千明)さんとかもわりと諦めないで現場で手術してると思うけど。それに比べて僕は、その場に来てくれてるお客さんに対してすごく不誠実だと思う。
藤田 てことは、劇場も含めて、どこでやるかってことはやっぱり重要ですよね。
柴 うん、それに、誰とやるかってことも。俳優も、スタッフも含めて。手術したらね、僕はきっと殺しちゃうんですよ、作品を……。だからお腹開けらんない。
藤田 確かにあの作品でビートなくしたら終わっちゃいますよね。引っ込みきかない大きなアイデアが出発点だから。
柴 そう、だから手術しはじめたらたぶん次の日死体になってる(笑)。
藤田 だからアイデアそのものを変えて次回作をやろう、ってことになりますよね。
柴 うん、でもネタがもう尽きましたから、今年は。
藤田 でもね、それで言うと僕はもう同じ話ばっか書いてるんですよ、ここ数年。最後のシーンは海に行くか駅に行くかで終わってしまう(笑)。
柴 僕もそう、テーマは大体同じようなもの。
藤田 なんか福満しげゆきさんの漫画とか、奥さんのことしか描けないと思うし。そういうのが演劇ってダメじゃない気がしてて、同じ話を、モードを変えてゆっくりやるのでもいい気がしてて。アイデアや構造を毎回すり替えるみたいなのは、僕には無理だなあと思うんですね。……構造ってことで言うと、お客さんって、直進しかできない車みたいなものだから、僕らが受け皿になるために、そこで初めて戯曲の構造が必要になると思うんです。だから僕はガードレールで、そこに当たってくれた車はカーブしていける。だけど柴さんは、最初からハンドル付きの車に仕立てようとしてるように思うんですね。
柴 え? その車の喩え全然分かんない(笑)。お客さんが車なの?
藤田 そう、車だとして、お客さんがどんどん直進してくるじゃないですか。観てる最中。お客さんが僕の作品に入ってくるじゃん、観ようとしてくるじゃん?
柴 ああ……。僕はその「観ようとしてくる」って感覚が分からないということだけ伝えて、とりあえず先が聞きたいけど。藤田くんから観て僕のはハンドルが……え? なんて?
藤田 つまりお客さんをカーブさせてハンドリングするじゃないですか。だけど僕はガードレールでしかないと思って。
柴 ああー。なるほどね。僕はそれで言うと「お客さんは走ってきてくれない」って前提だから。その場から動かない人たちって意識でやってきたから、いかにそこにフックをかけて別の場所まで連れていくかっていうイメージなんです。そこはできるだけうまくしたい。
藤田 僕は、お客さんは走ってくるもんだと思っちゃってるんですね。
柴 それは、いいと思う。
藤田 しかしそこね……。や、これは今日語らないです(笑)。観客との距離の問題はこれから考えたいんで。
柴 僕は引っ張っていこうとしてますね。で、手を離すところは意図的に離すから、あくまでもコントロールするためのハンドルは付けてる。行き止まりなら行き止まりに連れてくし、広場なら広場に連れていきますね。たしかに。
再演作品を稽古する
柴 実は今回の『あゆみ』は打倒マームとジプシーのつもりで、「きっと藤田くんはこういうことを稽古場でやってるに違いない」と思ってやってたのに、今日実際に稽古を観たら全然想像と違ってた(笑)。だけどこないだの『あゆみ』はほぼ新作のつもりで作って、1回死んだんですよ、自分の中では。1ヶ月丁寧に作ったけど、ダメだこのままじゃ死体だわ〜、とか思って、そこで改造手術をして、結果的にわりとキビキビしたものにできたんですね。それは戯曲があったからかなあ。戯曲自体はそんなに死なないはずなのに、演出が殺してしまうことがある。『あゆみ』はそこから生き返った初めての例です。でもそれも稽古期間が1ヶ月だけだったら無理だったと思う。稽古は場所もだけど時間も大事で、あとその場所に時間がひっついてる。名古屋で2ヶ月という、そのセットで復活できた。それもありますね、町によって。
加藤 時間の流れ方が違うもんね。
柴 うん、違うんですよ、存在の仕方が。長くひとつの場所に流れている時間なのか、東京みたいに短い尺のものが複数同時に流れてる時間があるか。そういったものが毎日毎日流れてて、町自体が動いてる。そういうこともあるかもなって考えて、東京を離れて、実家に近い場所で稽古したんですね。
藤田 それを感じれてるのってすごいですね。僕はどこでやっても稽古の時間は稽古時間だと思ってます。空間のことに関しては横浜はすごくいいけど、時間のことを言えば、稽古はただつらい……まあ、楽しいんですけどね。
加藤 とか言いつつも、今日の稽古、すごく楽しそうだったじゃない(笑)。
藤田 楽しいですね。
—— 柴さんは今日の『わが星』の稽古で、「再演だけど、前のイメージを捨ててください」って俳優に指示してましたよね。『わが星』は初演ですでにある完成形を持ってたと思うんですけど、そのイメージに合わせていくんじゃなくて、新たにゼロから立ち上げるってこと?
柴 や、完全に新しく立ち上げるのではなくて、俳優が何を発露として、つまりスタート地点として、現象を起こしていくのか、そこで何をキャッチしてるのか、ってことが大事だと思うんですね。それがモロに出るんだなってことがこないだの『あゆみ』をやってみて分かったんですよ。俳優が初演を根拠にしてしまうと、そのスタート地点が浅いんです。自分の過去の記憶の映像の思い込みを出されても、身体は状態がまったくできてないので、結果しかなくて、でも大事なこととして、むしろ過程における身体の微妙な振動が面白いと思うんですね。
藤田 そこは僕もまったく考えてることは同じですね。僕の言葉でいうと、それは予習でしかないんですよ。
柴 予習? あ、いいこと聞いたー(笑)。なるほどね。
藤田 予習でしかそこにいられない俳優と、今、最中として学習しつづけてる俳優って明らかな違いで。例えばあの『わが星』のビートのシステムに嵌めた時でも、躍動する身体のタイミングはきっとある。それをキャッチできたら毎回ピュアになると思う。
柴 そういうことですね。あと「記憶喪失になってください」ってことはよく言いますね。記憶を演技の根拠にされてもつらいので。忘れてほしい。
藤田 一方で、記憶って必ず付いてきますよね。台本があるかぎりは、忘れろってことはできない。でも今それを生み出せるか、過去のままでいちゃうか、ってことはすごく重要な気がしてます。
—— 演劇はライブでありながら、つねに反復もせざるをえない芸術だから、どうしてもついて回る問題ですよね。放っておくと、すでにあるイメージをなぞるだけになってしまう。
柴 そう、同じことを繰り返すのが演劇なので、そこは逃げられない。宿命みたいなもの。
藤田 僕はそこにすごく関心があって、例えば映画で俳優に求められるものは、瞬発力だと思うんですね。瞬発力をカメラが捉えて再生してくれる。だけど演劇の俳優に求められるものは、再現性ですよね。その再現がストレスだった時期もあったんですけど、要は、放置しなければいい。腐らせないために、ずーっと可愛く保つためにはどうすればいいか? それが楽しくてしょうがない。それはもう喜びでしかない。男は分かんないけど(笑)、周りの女の子はずーっと可愛くメンテナンスしててあげたいんです。どこまで彼女たちの新鮮さを保っててあげられるか、それが仕事だなと思って。その再現がストレスなら映像に行きたいなと思うし、生身の人間であるところに付きまとってくるものに、どんだけ楽しく付き合えるかをいちばん重要視してます。
—— そこはほんとに変態チックですらあるけど(笑)、その執拗さはほんとにすごいですよね。
藤田 前に女の子だけの芝居を書いたことがあって、白塗りでアングラっぽいのをやったんですけど、6人女の子が6人全員、初日に生理になったんですよ。
加藤 わー、すごい追い詰め方だなあ(笑)。
藤田 伝染るんです。
加藤 そうそう、感染するんだよね。
柴 えっ? 嘘だあー!? 迷信でしょ? 違いますよ、もうちょっとみんな科学的に考えましょうよ!
藤田 いや、ほんとなの。ほんとなんですよ!
柴 つまりそれはある期間、生活リズムが重なることによって体調管理が揃ってきたってことでしょ?
藤田 そうそう、そういうこと!
柴 「感染」は言い方悪いって!(笑)
藤田 たしかに言い方悪い(笑)。でもその時に、ベンチシートにベッドつくってあげたりしてて、なんかもうこの子たちと付き合うしかないなって思ったんですよね。
柴 あ、そう(笑)。
藤田 そこで「ふざけんな!」にはいかなかったんです。
俳優の持久力
加藤 でも単に「同じ感情」を毎回舞台にあげるのではなくて、「同じ感情を想起する瞬間」を毎日毎日提供することを大事にして、その瞬間を再現させたいと思っても、生身の役者に力点を置くか、それとも書かれた戯曲に力点を置くかで、再現のさせ方が違ってくるんだと思う。目指してるところは一緒だとしても、何を信じてるかで。
藤田 僕は、ここ(その戯曲)で想起することがもうできなくなったら切断するしかないし、ちょっと違う糸口を与えてあげないと、俳優が可哀想になっちゃう。
加藤 セリフが嘘になっちゃう瞬間が見えて、「ダメだ、このセリフを言わせても感情が出てこない」と思うと、とっちゃうんでしょう?
—— でも俳優に甘いわけでは全然ないですよね。執拗に稽古することで、再現に耐えるだけの俳優の体力を付けてるのかなって思いました。
加藤 映像の人が瞬発力なら、舞台の人は持久力が必要だよね。マラソンをずーっと走り続けてるような。
柴 ほんとそう。
藤田 たまに「本番のライブ感が好きだから、稽古は嫌いです」とか言う俳優がしますよね。もうマジで終わってると思って。ほんと辞めろとか思います。
加藤 信用ならないよね(笑)。
藤田 それを言ったらやってる意味ないし、苦しい生活をする意味もないと思う。
柴 でもほんとにマームとジプシーの公演を観て、繰り返しやるのって大事だなと思って、『あゆみ』では相当持久力を付けさせたんですよ。そしたら役者も意外と、腐ったあとにもっともっとやらせると、また戻ってくるのが分かって。ああー、今までみたいに腐っても見て見ぬフリをするんじゃなくて、もっとやらせればよかったのかぁって(笑)。
藤田 そっちのほうがね、役者は好きですよ。たぶん。
柴 3回連続で通すとかやらせてみたんですけど(笑)。それくらいやらないと、次の町に地方公演する時にまた初めてになっちゃって、強度を持ってないとこれは無理だなと思って。
藤田 それ、こないだ京都と東京で公演やって痛感しましたよ。兵士みたいですよね。ほんとにタフにさせないと。身体壊す人も出ちゃって、救急車呼ぶかと思ったくらい。そこはカンパニーとして考えないといけない。
——『わが星』は2011年春から全国ツアーですけど、タフなものも求められそうですね。
柴 どれだけ短時間で俳優を劇場に馴染ませるかは、毎回やりますよね。
藤田 ほんと重要だな、それ……。
柴 『あゆみ』の時に良かったのは、照明家が2人いて、大阪バージョンでは照明プランが変わってるんですよ。で、岐阜でやった時はまた元のプランナーに戻ってプランも変わった。劇場に合わせて芝居を組み立てるってことを照明の面からも実感できた。新しく生きつづけられた気がしたんです。「光の当たり方が違う」って感じは俳優たちにもあったみたいで、そうやって闘っていくのは気持ち良かったですね。
藤田 僕らも照明はだいぶ変わりましたね。京都公演の時、アトリエ劇研は杉原邦生さん(KYOTO EXPERIMENT フリンジ “HAPPLAY”ディレクター)のディレクションで壁がピンクになってたから(笑)。
受け皿、クッションとしての劇場
藤田 照明も音も、さっきも言ったようにSTがベースになってるんですけど、でも逆に僕はこの横浜からどう出るかってことも考えてます。
柴 横浜がホームになりすぎるから、籠もらないようにしたいってこと?
藤田 いや、籠もれるなら籠もりたいんだけど(笑)。ここがあってこそ安心して作れるというのはあって……あっちゃってるんだけど、でも、さっきの京都で俳優の体調を崩させてしまったことへの後悔とかもあって、そこはカンパニーのペース配分とか、普通にまだまだつたないんだと思います。だけどもし、まったく横浜みたいなベースがなくて転々としてるだけだったら、かなりくじけてたと思うんですよ。F/Tのあとに今回の『コドモもももも、森んなか』の再演がなかったら、マームとジプシー改名か解散か……くらいの消耗は実際あったんですよね。結果的に作品は良かったんだけど、でも消耗はしたよ。もしこの先が何も決まってなかったら、みんな離れただろうなって。少なくとも僕はね、そう思ってた。すごい祭り上げられ感があって、危なかったなって。
—— 絶賛も批判も、熱狂も、ちょっと異様なものがありましたね、雰囲気として。それが東京の現在なのかなってことは、今こうして横浜で話してる距離感だとなんとなく分かりますけど。
柴 僕も『あゆみ』がなくて、何も考えずに東京であと2年くらい予定詰め込んで、依頼仕事をぼんぼんやってたら、確実に死んでた。芝居やりたくなくなったと思うもん。
藤田 それは僕らだけの話じゃなくて、今の20代のアーティストとかみんなそう思ってるんじゃないですか。僕らにとっての今の横浜みたいな存在がないカンパニーも全然あって、だけどしのぎを削ってシビアに衝突して、1回1回の芝居を作ってるじゃないですか。つたないから、とにかくほんとに。「若い」とか言われるのも悔しくて、若くない人たちより面白い作品を作ってる自負はありますよ。だけど若いのは事実だし、歳の差が生じるのはもはや運命というか。
加藤 私も24歳でSTの館長になった時、やっぱり「若い」とか言われて腹が立ちましたよ(笑)。しょうがないじゃんって。
藤田 だからそこは摩擦だらけじゃないですか。稽古だってガチでやってるし。タイムリミットがあるから、演劇は。
加藤 そのリミットを無視できるくらいの持久力と忍耐力が、作り手と、役者と、観客と、制作者と……ってみんなにひろがっていくと、もっと豊かになると思うのね。それは能力じゃなくて、気持ちのありようだと思って。
藤田 そこがね、住所不在だったらキツいと思う。これは僕の作品にかぎる話ではなくて、良いはずの作品が住所不定であることによってたぶん今まで死んでいったし、死ぬ可能性もある。それを守ってくれるオトナがいっぱい出てきてほしい。じゃなかったら空中解体してますもん。
柴 僕はそのへんのんびりしてるからなあ(笑)。まあでも、分かります。
—— その意味では、柴さんにとっては青年団とこまばアゴラ劇場の存在が、ある時期までそういう場所だったのかもしれませんね。
柴 そうですね。受け皿というか、もたれられるクッションのような。何もなかったら飛んでいってしまったかもしれない。
藤田 なんか、急に補助輪を全部はずしてほしくないんですよね。でも「オトナはやさしくしてください」みたいな発言もちょっと違うのかもしんない。そんなのなくてもやり続けてる強い人はいるし。
柴 うん、でもね、いなくなっちゃうのかなっていう不安はまだ全然あるからね。住所不定で受け皿のないままフラフラしてる感じはある。僕も、周囲も。
これからのこと
—— お2人の今後の予定は? マームとジプシー『コドモもももも、森んなか』は、ずっと同じことを書いてきたって意味では、今回がまさに「コドモ」を描いてきた集大成的な意味合いもありそうですけど?
藤田 はい。ただ、僕は1年ごとにテーマを持ってて、2009年度はコドモからオトナまでの長いスパンの話をしてたんですね。でも2010年度は、凝縮された時間の中でどう立体的に見せられるかにシフトした。そこは僕の中では大きな違いだけど、ストーリーは似てたり、モチーフがコドモだったりはしてます。でもやっぱり前年度に書いた作品だから、今あらためて台本見てものっぺりしてて、時間が普通に進んでるだけに見える。そこはこの1年の僕らの成長に追いついてないんです。だから今のテーマで、そこを更新することをやってみたい。とはいえ『しゃぼんのころ』とか『ハロースクール、バイバイ』よりも時間軸の飛ぶ話だから、飛ばすってことにも挑みたいですね。そのためにはもうひと段階成長しないと描けない。新作と同じ気持ちで自分たちを更新しようと思ってます。
—— シーンも、目指すものも、初演とは随分違ってきてる印象がすでにありますよね。
藤田 ……それが終わったら2011年度は、原作なり原案なりを用いた作品をこまごまと打っていこうと思ってます。たぶん全部新作になると思う。実験的で、小規模でも、各地から打っていきたいなーと思ってて、発表の機会も増やすことになりそうです。もちろんこれまでやってきた演出の方法、時間の進め方もリフレインもそこに入ってくるけど、書き物、戯曲としても、挑戦していきたいです。
—— 柴さんは? 新作を書きたい、というお話もありましたけど。
柴 僕はこれまで、人が認知できないくらいの時間感覚とか、距離感とか世界観を凝縮して、伸び縮みさせて体感させるってことをやってきたんですけど、僕もやっぱり同じことばかり書いてて、それが嫌になってきてるんですね。人が出てくると、たった1日の話を書こうとしても、結局「死ぬ」とか「生まれる」とかにもたれかかるところがある。時間が動くと何かが死んで、また生まれて、とかになっちゃうんで、例えば『わが星』みたいな系譜としては、もう次は時間を止めたいなと思ってます。あと、人からも離れたい。
藤田 手塚治虫ですね。
柴 もはや誰かの目線で何かの感情が湧くってこと自体に、砂糖みたいに甘ったるい、エモいものを感じてしまうんです。そこから距離をとって、人間の、私からの視点、みたいなものを外して、例えばそうですね、モノがあるとか……ただ存在するという状態を描くってことをやりたい。あとその一方では、いわゆる普通のお芝居らしい会話劇も書いてみたい。まだぼんやりしてて、何の題材だと自分に許せるか、書き出せるかは分からないんですけど、いずれにしてもいつどこで発表できるという見通しもまだないので、2011年の下半期は戯曲を書く時間を持ちたいと思ってます。でもままごとの自主的な劇団公演が遠い先なので、今書きたいなって思うことを書くのが来年で、やるのが再来年、みたいなことに恐怖も感じてて、ただそこに時間をかけたいという甘えを、今流れてる時間の中に無理にねじ込むことは臆病でできないですね。ピンチに陥る予感があるので。
—— 会話劇って、例えばシアタートラムでやってた別役実さんのナンセンス劇みたいな?
柴 いやもっと、なんだろう……。誰だろうな。
—— 例えば三谷幸喜とか?
柴 そう、三谷幸喜さんとかマキノノゾミさんみたいなのを、自分発信でもう一度組み立てたらどうなるかをやってみたい。
—— じゃあ、ある意味では、三谷幸喜に憧れて戯曲を書き始めた頃の、初期衝動に戻るような感じ?
柴 そうですね……。とはいえ「戻る」というより、1周回ったというか、進んでるというか。
加藤 今、選んだものが前にも見たことあるものだとしても、きっとまたそれは違うものだよね。
藤田 いいっすね。
柴 そう、だから戻りたくはないというか、戻れないですね。
(2010年12月28日 急な坂スタジオにて)